境界から見る景色

はじめましての気持ち

解き方

長いかな。お時間許す方のみで


画像はトンコさんからいただきました。アリガトウ

何だかピタッとハマった感じで嬉しい✨


金縛り・・・


体験した事ありますか?



脳や身体のアンバランスが引き起こすと言われていますね。


私も90%は同意しています。



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私は思春期〜20代後半まで

わりと日常的に金縛りを体験してきました。


当時は訳がわからなかったけど、


今は


心と身体のバランスを取るための


上手くできた仕組みだったんだなぁ〜


と、思います。



でも、実際、

金縛りにあっている時の空気は重く、


夢うつつなので、


通常ありえないものが見えていたりして


ホラー映画を耐えるように懸命でした。


何度体験しても、苦しく、


私は 全く慣れませんでした。


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20代後半、


ちょうど 逃げていたものに

向き合い始めた頃でした。




その当時


金縛りの際中に、


耳元で大音量の声が聴こえるようになって


恐れ、困惑していました。



お経を読むような

かなり低音の男性の声で


3倍速?くらいの高速で喋り続ける声が


右耳の奥に 直接響くような


そんな感じでした。


内容を聴き取ろう、と思えば

聴き取れてしまうけど・・・


もしその内容が

自分を縛るものだったら、と思うと怖くて


あえて理解しないように

唄を聴いているように聞き流しました


高速だった事がそれを可能にしてくれていて


必死にやり過ごしていました。






そんなある日、


金縛りの体験もある人から

助言をもらいました。




その高速で喋り倒す男へ


『聞いて欲しいならこの条件をクリアして出直してこい!』と、僕なら言うよ、と。


当時の私的には、その発想が



もう目から鱗❗️❗️❗️・・・というか。





だって、


理解を超えた何かに

私が出来る事はないと思っていたし


耐えるしかないと

思い込んでいたから。






そうか❗️❗️❗️❗️❗️❗️


怒っていいんだ。

嫌だって言っていいんだ。

気持ち伝えていいんだ。


確かに、・・・私、言いたい!!!


そう思ったんですね。



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そこで、じっくり考えて


眠る前に


心の中で、声の主に交渉を始めました。


★『怖い声で高速大音量!で耳元で喋られても、私は聞きません!』


★『もし、聴いて欲しいなら、できたら優しい女性の声で来て。ゆっくり話して!』


★『嫌な気持ちになる話はノーサンキュー。私は穏やかに過ごしたい。ここは私の居場所です。境界が守れないなら話しかけてこないで❗️』


そう真剣に、オーダーを出しました。


そして、


それを教えて下さった方から


もう一つ


金縛りへは助言ががありました。


それは『金縛りに抵抗しない』という事でした。





いつも、来る!!!という気配がすると


緊張で身体も心もガチガチになるんですが


そこをあえて、


力を抜いて・・・

身を任せて・・・


「何が起こるか楽しんでみて!」と。


その助言も、とても新鮮だったので


もしまた金縛りが来たら


やり切る自信は全くなかったけれど


取り敢えず、力を抜くチャレンジをする❗️


そう決めました。



何度も何度も

自分に刷り込みをするように


決めた事を再確認しながら

眠りにつきました。


そしてある日、


ピキーーっと金縛りがやってきて


夢うつつで、流されそうになりながら


決めた気持ちを思い出し、


抵抗しない❗️

力を抜く❗️


を、試みました。


いつもより強く

どくどく心臓が波を打ち始め


あぁ💧・・・上手くいってない???


ちょっと困った気持ちになった時に、


目の前に映像として


見たことのない『幾何学模様』が現れたんです


あれ???

これ、なんだろう???


一瞬、ふっと意識がその模様に集中し


次に


頭の中に、とある言葉が浮かんだんです。


それは合言葉のように「半分」だけの


専門用語でした。(私の専門分野)



半分が頭に響き


その後半、半分の言葉を


反射的に私は「心」で答えていました。


職業病のようなもんですね。


ex


例えば「優柔不断」という言葉だとしたら


頭の中にするりと入り込んで浮かんだのは

「優柔」で、


その音を聴いて私が反射的に「不断!」と、

答えた感じです(笑)


『山』!『川』!みたいな、アレですね。


あはは。



この2つに意識がスライドした時に


多分、私の緊張が一瞬解けて


真に『身を任せる』状態になったのでしょう。



とん・とん・とん、と流れるように


次に起こった事は


衝撃、でした。






上昇したんです。


ぶわぁーーーーーーーーーーーーーと。


音とともに


透明感のある女性の声がして


もの凄い『圧』を身体に感じながら


急上昇していく感覚を味わいました。






あれ???・・・ちょっと話の方向が💧と


気になった方


健康ですね!


健康だから大丈夫!


できれば 一つの怪談話ぐらいに思って


読み進めていただけたらば有難いですw





・・・話を戻します。



さて、そこから


あまりの衝撃に目をぎゅっと瞑った私は


始まってしまったものの波に乗ろうと、


力だけは抜こうと意識していました。


耳元で囁く女性は「・・・大丈夫!」


そう言ってくれていて。←誰💦



徐々に上昇の圧が軽くなり、


・・・止まった!と思った時に


勇気を振り絞って


目を開けてみました。



私は、なんと



空に『浮かんでいた』んです。





どこかの海岸線で


風が轟々と吹いていて

嵐の直前のような・・・


海も大地も

寂しく孤独な色でした。






目を開けた瞬間

右のずっとずっと遠くに


ぽつんと同じように浮んでいる

魂を感じました。


なぜ人と書かないかというと

人としては見えていなかったから・・


遠くにぽつんと微かに光っている

それは私と同じものだ、と、


確信だけが一瞬で流れ込んできたからです。






超絶、『非現実的』なのに


夢とははっきりと隔絶していたのは


味わった感覚のリアルさでした。


皮膚感覚も、聴覚も、視覚も。



何が起こっているのか

もうわけが分からず💧


心が限界でした




遠くに同じものを見つけた瞬間


ぱん!と現実に戻ってきたのでした。



これが全部です。



目覚める直前まで体験したものも、


目覚めた後の世界も


私にとっては同じ現実だった、と


はっきり感じる


体験でした。




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これは一体何なのか?という

疑問も興味も持ったけれど、


それより何より不思議だったのは


何かがはっきりと『腑に落ちた』気がして


体験自体を追求する気に


ならない自分がいる事でした。


こんなにリアルな感覚の

不思議な体験をしたのに


そう感じている自分にも、驚いたのでした。





それから20年以上経ちましたが


あの日を境に、一度も!


金縛りはありません。



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今思うと、あの体験には


多くの学びがありました。



絶対に理解できない

関わる事は無理だと思っていた


未知の声の主に(理解できない対象の象徴ですね)



拒否、ではなく


どんな方法だったら受け入れられるか


「提案する」選択をした事は


自分と 相手を、可能な限り


対等に、尊重した選択でした。



私のブレークスルーの


瞬間だったはず。





力を抜く事も

意識を逸らす事も


とても下手な人間でした。



金縛りが解けた後、身体は弛みますが



もうそれでは身体がもたないよ!と、


私の脳は伝えたかったのかもな〜と


今は思います。


力を抜くのに「心の力技」だけじゃなく、


弛めるには


自然に心が向くもの、

惹かれるものが大事なんだよ〜

(幾何学模様、惹かれるんです)


それが本当のリラックスだよという事も


あの体験で教えて貰った気がします。


他にも後から理解できた事がいくつかあります。

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これは全て私の脳が創り上げた


幻想かも知れないけれど



その幻想にも


私は導かれ、


救われていたわけで


ある意味、究極のセルフヘルプでしょう(笑)


そして、なんて完璧な創造なんだろう!と


思ったのです。



今でも、


あの時の体験が、私を支えているはず。




この助言をくれた方は


アメリカの臨床心理カウンセラーさんでしたが


今思うと、


流れを止めず味わい切ることで

必要な変化が起こる事を


サポートしてくれた方でした。


私の「創造」を


否定せず、


軽視せず、


尊重し、


人が持つ『力』や『可能性』を信じて


寄り添った


軽口風だけど、

とても深い助言だったなと


思うのです。


あと。


楽しんでみて!の、

一言にも感謝しています。



彼には別の視野もあったと思います。


専門家ですから。


一言の診断名で括られる世界も


知っていたはずです。


でも、彼は


違う方法で、


サポートする事を選んだ人なのでしょう。


私は、そういう方に


帰路や、節目で出逢ってきました。




大多数の数の原理で捉えた世界とは違う

視野と、対し方で


人に寄り添う方々が、この世にはいます。


その意図した恩恵を受けてきたんだなぁと


ありがたく思うのでした。





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もう一人


この体験を「現実」に結びつける


きっかけをくれた重要な人がいました。


ごく普通の、私の友人です。


私が興奮冷めやらぬ勢いで


「ね、変に思わず聞いてくれる?💦・・・私、金縛り途中で身体から抜けちゃったみたい・・!!!」


起こった出来事を率直に話したら


「そっか。この体験を◯◯(私の名前)は体外離脱って解釈するんだね。」と。


否定でも肯定でもなく、・・・サラッと。


その時に、


(・・・なるほど、解釈か。じゃ他にもっと私に重要な解釈が・・・あるのかも?)


そう思えたのでした。


そこから私は、


新しい視野が生まれるまで


この体験に名前をつけるのをやめたのです。


あの時、あの一言が無かったら


体験を、陳腐なものにしてしまっていたかも。


今でもあの友人の

ニュートラルな佇まいと一言に


とても感謝しているのです。



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脳は時に、




自分で創り上げて

自分で癒してゆく


不可思議だけど


合理的な『創造』を


しているのかも知れないなぁと思います。


私がそう思うようになった

一つの象徴的な出来事でした。