想い出の滝へ
順路2にある吊り橋。奥にもう一つあったよ。
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私が目指したのは、順路1の『不動の滝』!
思えば、ここも不動明王さまの地だった。
私の心に宿った仏様。
ご縁ですね。
不動の滝は
数段階に分けて落ちている。
見物の人間は
上から降りてゆく形でアプローチするので
実は、滝の全景は、捉えられない。
上から滝が落ちてゆくのを
覗く、感じなので。
この水の色が見えてくると
わくわくした。
幼い頃から、
何度訪れていても
この滝を前にすると
わぁ✨と呟き
目を見開いて
じっと、飽きずに 青い水を見つめた。
滝の側に降りてゆくと、途中から
気温が変わる。
夏でも涼しくて、声を掛けられるまで
離れたくない場所だった。
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何度も、訪れた場所だった。
昨日は 旦那と。
最近、ここを思い出していて一人で、
父を辿る旅をしようか?と思っていたけれど
少し遠いのと、
鬱蒼とした森の中
1人で滝に向かう事を考えると
少し怖くて (熊とか最近は・・・)
ちょうど仕事の絡みでリサーチしたいものが出来た旦那と、合意して
この滝へ、寄り道して貰った。
いい木だなぁ・・・
この水路が大好きで✨
子どもの頃から いつも目を奪われていたっけ
山から湧いたお水が、水路を流れているの
めっちゃ透き通って綺麗✨
必ず手を突っ込んだなぁ。
透明感、こっちの方が伝わるかなぁ。
浅いけど、サラサラと流れは早くて
決して水は淀まない。
葉っぱ一枚、水路に落ちていない
石ころがたまに水路の底に
転がってきて残っているぐらい。
この水路は、岐路で分かれて
森の中に誘引され
その先で細い滝になって
さっきの大きな滝と合流するの。
水路脇に、一休みに最適な石を見つけて
旦那と腰掛け、
念願の水路のお水に足を浸せた!
子どもの頃、水路の中を歩きたかった。
でも、やった事はなくて。
足を水路に浸すと冷たくて💦
直ぐ痺れた。
これは歩けないわ💦
キーンと冷えて痺れたら
足を出して
また暑さでじんわり緩んだら、
浸す、を繰り返し
疲れを癒した。
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昔から、この滝は素敵だったけれど
いつも人は少なくて
本当に、ひっそりした場所だった。
でも、昨日訪れてみて
滝も、滝周辺も
活気づいている事を知った。
若い人達が多く訪れていて(びっくり)
昔は閑古鳥だった茶屋も、大賑わい!
茶屋から望む森のロケーションの中で
飲食できるって幸せよね〜
小洒落た場所ではない価値も
受け止めてくれている若い人が頼もしく感じた。
周辺のお店や、滝の周辺も
手入れされ、生き返っていた事が嬉しかったし
訪れていた人達が、
これからを担う若い人達だった事も
とっても嬉しかった。
きっと、
必要な人に必要な情報が届くようになった、
SNSの良き面ですね。
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実は
高速を降りて、
滝に至るまでの景色について
改めて思う事がありました。
父は、この景色が
実はとっても、
気に入っていたのでは、ないかな?と。
もちろん、滝もとっても素敵で
滝を観に行くこともイベントだったけれど
不動の滝に至るまでの間の景色を
同じぐらい楽しんでいたのでは?と
素晴らしい眺めに気づき
車を走らせながら
昨日、改めて、
車を運転していた父の心を
垣間見た気持ちでした。
何度も、来ていたのにな。
今まで、私は何を見ていたんだろう・・・
私が変わったのかな・・・
当時、父がこの景色を観ながら
私達、家族と
滝に向かって車を走らせていた時の心に、
想いを馳せ
胸が痛んだ。
ごめんね、ジジ。
今日も一緒に 小さな旅をしました。
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帰り道、
犬でもなく、
猪でもなく、
牛でも、
山羊でも、羊でもない、
グレーと茶色が混ざった生き物が
草むらで草を食んでいました
私「何かいるよ!?」
車を停めた旦那が「写真撮って!」と。
向こうも、私に気づいて顔を上げて
こちらをじっと見つめていました。
スマホを探してモタモタしていたら
後続車がきて動かざるえなくて💧
手が乾燥していたのか?
チャンスでシャッターが切れず💧
あ〜れ〜 動物さん さ〜よ〜う〜な〜ら〜
と、なってしまった。
残念ながら、画像に残せませんでした。
旦那「信じられん、あれで撮れてないって。」
と、憎々しい。
その直ぐ後に寄った
道の駅で、剥製に出逢い
何と、日本カモシカ様だったと知りました。
これだ〜!って。
ちなみに、
日本カモシカさまは、神のお使いらしい。
だから
シャッター切れずで正解だったのよ。
出逢えただけで幸運、・・・と、いう事に❗️
野生の大きな動物に出逢うと
それだけで、なんか、わくわくする。
カモシカさん
もぐもぐ可愛かったし、
良い想い出になりました。
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私は、子どもの頃
深く透明な青い水の色に
無性に惹かれていました。
でも、実は
その「惹かれる」は複雑で
好きなのか
恐怖なのか
子供心にも分かりませんでした。
怖いもの見たさのような・・・
ただ明るく真っ直ぐに「好き」!
では、ない、事も、
気づいてはいました。
でも、
子ども特有の好奇心と、
元来の天邪鬼さが勝って
ゾクゾク感も、恐怖も、「込み」のままの心で
口では「透き通った深い水が見える川が好き」
「見たい」「見たい」と言い続けていました。
ある夏、その思いに応えるように
父が連れていってくれました。
どこかの川の上流でした。
橋の上から その透明で青い深みを眺め
「川底まで何メートルぐらい?」と、父に聞いた記憶があります。
その川の「青」は
今も特別に好きな蛍石のブルー系統の色味で
目を奪われていました。
父曰く「5メートルぐらいかな?」
眺めながら、自然と湧き上がる気持ちを
感じていました。
そっか、今気づいた。
蛍石は色んな色があるのだけど
川の色、でした
特別好きな蛍石の深い青色は
あの時、父と見た川の色でした・・・
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後に、海に惹かれ
海に通い、潜るようにもなったのですが、
今だからわかるのですが
あの時の 川の水を眺めるわくわくは
海に繋がってゆく、きっかけでした。
父が一部、繋いでくれたものだったのだな。
海は、私に大きな転機をくれた存在で
救いでした。
全てにおいて、模索していた当時
海から得ていたものは
単純なものでは決してなくて
危険と隣り合わせ、
命懸けだった事も
外せない要素でした。
人からは決して受け取れない「時」に
海や自然や動物は、
必要なものを与えてくれていました。
多くのネガティブなものを
惹かれる、という中で
昇華させてもらいました。
それがどれだけ幸運な事だったか
今では分かります。
海にまつわる中で
出逢いや、実感や、視野を
貰ってきました。
そこに繋がる体験を🔑
父は、私にくれていたな・・・
そんな事を思い出していました。
あの時は、私の惹かれる、に
耳を傾けて、動いてくれたね。
私の自我が育ってしまってからは
何一つ、
私が惹かれるものを
認める事も
許可もない
父だったけれど。
幼少期は
大切にしてくれた体験も
記憶にあるよ
その事を
大切に思えなくなった事は、
仕方がなかったけれど
お別れをして
こうして思い出せば、胸が痛むよ。
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一緒に過ごすように、
父に語りかける日が増えました。
やっと、
死の周辺で生まれた
全てに対する呪いからの、ひと段落で
次の段階に入った感じがしています。
これも、流れでしょう。
ちなみに、私は
自身が持った呪いを、1ミリも否定していません。
肯定しきっているし
運命だったと受け入れています。
血族に必要な解放だったとも、思っています。
が、それも不変ではなく
ただ、過ぎてゆくものとして
今は、感じて眺めています。