境界から見る景色

はじめましての気持ち

勝手に手柄にする人




人には良心がある、と


そう信じています。



が、


中には、その良心が


分厚ーーい、心の壁に覆われていたり


奈落の底のような深層に押し込められていて





己に都合の悪い時は





深く眠る良心に


繋がれない人がいます。




そういう人に対して


良心を信じて動く事は


ほぼ、報われない。


それを分かっていて、やり続ける


選択もあるけれど。




手柄泥棒は、


本来なら、恥を感じて自分を振り返るところを


無意識に


真逆に振る舞うの。




まるで、漫才のコントのようです。


ツッコミどころしかない。


でも


笑ってくれる観客はいません。


本人は、当たり前のように振る舞うの


人としてあり得ない姿です。


が、


私にとっては


頻繁にされる事でした。



彼らは社会ではしません


私にだけ、する事でした。



私は


血族の多くを反面教師にして


血族ではない、多くの他人に救われ


育ててもらいました。



自助努力と


血族ではない他人から


死の淵から生き直すチャンスを得たの。



その


血を吐くような


心と、選択の


どこにも


あなたは いなかったよ。




あなたの欲を満たす事が


たまたま必要と重なって


偽物の優しさになっている事はあっても




真の


寄り添いも


理解も


励ましも


本当は、一つも無かったよ。



なのに、私の選択と生き様を


何故、あなたの手柄にしようと詰め寄れるの?




私の


あなたへの振る舞いや選択は


決して


あなたとの循環の中で培われ

あなたに自然に返しているものではない。


もっと大きな流れの中で

選択できているだけなの。


そうするしかなかったから。


私が、私の為に、

選んでいる事なの。


あなたは私に対して、勘違いなど1ミリも

できる人生じゃない。


恥だらけだからこそ逃げてるのも知っている。


逃避だよ。




本当は


問題に一つも取り組めなくて


罪悪感で一杯だから・・・


横柄な態度で自分を守っている事も知っている


ごめんね、の一言が言えないのも


その「ごめんね、」の後ろには


人生で、傷つけたまま逃げた人との


無数にある記憶に繋がってしまうから


重すぎて


言えない言葉なのだと、知っている。


認めてしまったら


恥と罪悪感で


生きていられない予感があるでしょう。



だって


それだけの事を


何度も重ねてしまったから。


人の命すら軽く扱って。


逃げて、逃げて、逃げ続けている。




わかってるの。


だから


ここまできてしまった


あなたの悲哀に心寄せて


せめて、もう突きつけないでいようと


決めている私にまで


私の血を吐くような、今までも


勝手に


あなたの手柄にしないで。




どうしようもなく、何かがズレている


どうしようもなく、何かが狂っている



これを、される時


何とも言えないものに


胸が掻きむしられる。



せめて、


そっとしておいてくれたらいいのに。


私は自分から


突きつけたり


意地悪な気持ちで関わってゆかない


絶対に。


悲しいかな


それが私だから。



そこに、何故、漬け込んでくるのだろう




私はもう、そんな嘘くさい事を


めんどくさくても、流さない



いつもぐるぐる自分だけの世界に生きて( 自閉ですね。)



恥だらけなのに


あなたのどこが立派なの?



あなたが 


もし、自分を振り返り


生き直す機会がやってくるというのなら


することは、一つだよ。


振り返った姿で、そこに居続ける事だよ。


それが立派な姿なの。




いつも


狡くて、


歪んだ認知で


自分を味わおうとするよね。




自分は大丈夫と思いたくて。



人の8割はこんなものだから、と


踏み躙られても


私は自分をなだめてきた。




それでも


その姿を感じるたびに


トラウマは踏まれ、


胸の芯が震えて、純粋な怒りが湧き出した



どれだけ、耐えろと?



せめて、


暗に、


自分の失敗は失敗じゃなかったと主張し


合意を、誘導しないで。




善意に漬け込んだ搾取は、させない


あなたの後ろめたさや、罪悪感を

私は背負わない。


私の心を踏み躙ってまで

安心したい気持ちで


そこにいる事を


ただフィードバックしてあげる





私はね、もう合意しないの


それは、愛じゃないから。




昔から、自分の家はおかしいって気づいてた。


なにも変わらず続くなんて


それどころか、もっと酷くなってゆくなんて


思っていなかったよ。



家族の死に際でも


目が覚めない人達には


信頼のカケラもなくなった。



これが、


こじれて固まった、


凸凹人なんだよ。



私が、必死で


心からの決意と祈りで


凸凹息子を、


違うゾーンに繋げようと育てた理由。



凸凹人は


ある意味ピュアだけど


拗れた部分は


この世の悪でもあるのです



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この怒りはきっと


逝っても消えない。




私の脳はそうなの。




あ!!!! 


今、わかった・・・


繋がった


話が少しずれます。



少し前に


今が幸せならば、過去は印象を変えるはず、

という心理学の概念が


自分には当てはまらないというblogを

書きました。


それを


作家のばななさんへ問いかけた、


当時恩人のように思っていた臨床心理士さんに、


醒めた気持ちになったのですが


その理由、


今書いたblogの内容と

どこか通じるからだ。


ある意味で、同じだった!


なるほど❗️



臨床心理士さんは


ばななさんを傷つけた当事者じゃない、

第三者なので


もちろん、


私が受けている空気とは違って


狂った空気も恥知らずさも、

臨床心理士さんには、ないはずです。


他者として、問いかけただけ。


でも、何か嫌な違和感がありました。


ロジックは同じだからです。


どんな他者であっても


相手の過去の傷に対して触れる姿勢として


そのロジックで触れるのは


失礼なのよ。


今日は、はっきり、言い切れる。





自分が、自分に用いる時だけ


正しい立ち位置で使える


「教え」や「ロジック」って


絶対にあるの。



他者がそれを誰かに使う事は


間違いなものってあるのよ。




そこを間違える人って


この世に ごまんといるのだけど。




先生って呼ばれる人に


もしくは呼ばれたい人に


圧倒的に多いのよ。



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何も変わらない、を前提に



この怒りについて


私が、私の為に


できる事を考えよう。



昨日、宣言した


「〜について、言いたい事は山ほどある。


せめて、もう触れないで (偉そうに)


そのまま墓場に持っていって。」


と、ピシャリ。




どうせ呆けで、


数時間後には「内容」は忘れるの。


でも、


私に対しての「面白くなさ」だけ残るの


私もただ優しくしたかった。


喜ぶ事だけしたかった。


それが無理な間柄を設定していたのは


私ではなく


あなたなのよ。



報われないし


やり切れないけど。




だからと言って


全てを飲み込み振る舞う事はできない


それは、自分を傷つける、嘘だから。


あなただけを


守る事を強要しないで。



私は


最小限の吐露で


自分も守り


呆けたあなたも、


守っているのよ。




こんな運命だとは



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12月に入ったら


新たな道が開ける




これで良かった。


流れに、乗れた。



今はコツコツ目の前のことをこなしてゆく。



情もあり、


愛もある事で


私の心は、散りじりになる




どうしても


逃げられなかったけれど




これからは


必要な時には


距離が取れる


だから、好きなように生きてみて。




私以外に


みてくれる人が居るって


救いだ