家族の夢と、日常と

最近、心の変化、整理が進んだからか
父を含む、
家族で一緒に過ごす夢をみる。
前回までの夢は
姉は そこにいる設定なのに
姿も見えず、声も聴こえなかった。
でも直近の夢では
夢の中に
姉の姿を見て
言葉を交わした。
夢の中でも、私は
最初は壁を保っていたのに
途中から、もういいや💦と、
それもやめて
普通に接する私に
戻ってしまっていた。
目覚めて、
私って本当に大馬鹿だな・・・
と、思った。
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現実で
それを、姉に、私からする事はないし
姉の変化を私が実感しない限り
絶縁を翻すつもりも一切ない。
いえ、
もし晴天の霹靂のような
変化が姉に起こっていて
謝罪されても
許す事はあっても
元の関係に戻る事はもう、絶対にない。
そういう関係がたまたま、姉妹だっただけ。
この世には、こんな縁は腐るほどあるもの。
夢と現実の境目がない私は
私の中の許しが
進んでしまっている事を悟った。
どこか、悔しかった。
また、私だけが、と。
でも、それも整理したの。
ただ、ただ、
また、私の弱さで
同じところには、戻らない。
そう自分を奮い立たせた。
私は、私の力で
彼らを許したの。
彼らからの助けはなかったよ。
ないばかりか、更なる「負」を重ねられた。
この現実で、
何もなかった事のように振る舞う事は、
もう二度と、しない。
それは、違うの。
やってはいけない事だった。
今まで そう間違えてきて
自ら引き寄せた
血族の負債であり現実だったのだから。
私の心の整理が進んでも
姉の存在には1ミリも関係ない。
私が
自由になって
喜びを受け入れても
何も、
私が取る選択を変える必要はない。
関係、ないの。
大丈夫。
自分に
喜びを許す事と
他者を許す事は
関係ない。
そう自分に、言い聞かせた。
ある部分と
ある部分が
共鳴しやすい脳ってあるのよ
私の脳はどちらかというと
そういう脳だった。
共感覚、という仕組みが
すっと理解できたのも
体感があったから。
だから、
よく混乱したし
漬け込まれてきたんだ。
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そうだ、
次回、臨床心理士の先生に話してみよう
夢に姉の姿が見えた、と。
先生は夢の話しを
興味深く聴いているのがわかる。
ふふっ・・
臨床心理士さんだからね。
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私は、好き、惹かれる、を許してから
今、生まれたての、その心を
じっくり味わっている。
同時に
観察モードでもある。
(私の特性だからね)
この体験は 私の心の隅々に繋がっている。
それを実感する日々。
この変化から繋がる未来。
そりゃ変わるよ・・・
こうやって心は繋がって出来ているんだ。
何故、私は
この感覚を
こんなに
虐めて、
閉じ込めて
平気でいられたのかな。
・・・理由はわかっているけれど。
それも、もう仕方なかったと整理した、けれど。
一歩、動いてここから見てしまうと
その自分に愕然とする。
純粋で
単純で
誰にも侵されない
誰も必要としない
でも、とても
強く感じる「喜び」は
深く揺るぎなくて
色々な視野を
私に教えてくれる。
この「感覚」を
許せていなかった私が
自身の人生に
呼び込めなかったもの
切望したって無理だった。
今だからこそ、
今ここからだからこそ、
よくわかる。
そして、
その感覚を
許し認め与え、伝える
子育ての重さを
再認識
真に、
子育てこそ
全ての根っこ。
本当に尊い「仕事」なのよ。
私は
無価値に感じるよう刷り込まれた
家事や
子育てに
疑問を持って
それまでの実感のカケラを
かき集めて、かき集めて、
勇気を出して、刷り込みを超えようとして
今がある。
実感のカケラになってくれた出逢いには
心から、感謝だ
でも、優先順位があってw
未だ大切にできていない事も一杯だから
これからの挑戦も改革も続く・・
家の中を見て、そう思う(笑)
全部が、繋がっている。
みようとしなければ見えないけれど
全部、ちゃんと、繋がっている。
〜〜〜
昨日は、
旦那にも
今の私の「惹かれる」「好き」を熱く語って
G・Wのご褒美に(我が家は混む時期に混む場所に向かって動かない派。渋滞が嫌いなので。)
とある河原に
渋滞を避けて下道で連れて行ってもらった。
河川敷に降りるのも、今は一苦労なの💦
降りれる場所をチェックするようになって
初めて気づいたの😱
気軽に、河原敷きに
降りられる場所が 今は、殆どないの💦
驚きでした😱
河川敷に気軽に入れないような護岸整備に、
上手くなっているのね・・・
一般人が侵しにくいような
整備なんだろうけど
なんかなぁ・・・💧💧💧って思った。
川も海も、
お出掛けしても、全然、身近じゃない・・・
昨日、行った河川敷も
ネット上には、情報のあった場所だったのに
河原に降りるには、一苦労💦
獣道のような人が草を踏んだ細い草むらの道を
何とか無理くり降りていって。
でも
楽しかった・・・✨
橋のお陰で日陰もあって🤭
私にとっては
ほんの20分ぐらいの感覚だったけど
その時点で1時間半は経っていたらしい。
昨日は、
河川敷を歩ける事に感謝した。
石だらけの凸凹は、
歩くだけでも、大変💦
バランスも必要
筋力も必要
痛まない関節も必要
今は・・・何とか大丈夫。
実は、25年前、
心の棚卸しに入ってから
体調も大きく揺れた。
こういう場所は、身体の不具合で
とても歩けない時期もあったなぁ・・・と
今更、振り返って
今、
歩ける事、
しゃがめる事
それを繰り返せる事を
心から、ありがたく思った。
これは、切実な
「ありがとう探し」
「感謝探し」
ではなく
自然に湧き出した「ありがたい」だった。
苦しかった時、
目の前にある幸せを、何度も数えた。
何万回も数えて 心に焼き付けた。
そうする事で、自分の心を支えたの。
私は、何万回とそれをしている最中
誰にも、その作業を語らなかった。
ただ純粋に「ありがたい」に生きた。
その作業ですら、
逃避を含んでいた事も、今ならわかる。
その因果を、いつか受け取る事になる事も。
でも、どうしようもなかった流れだった。
棚卸しの最終章の嵐がやってきて悟った。
ありのままに湧く感情に、素直になる
ありのままに運ばれてゆく事を、受け入れる。
その中に
逃避もあって
間違う事もあって
それしかないという、仕方なさもあって
全部あり
ただ、私の中の美学があって(大多数の人と、違いはありそうだけど)
私からみて、美しくない生き方は
したくないなと願う。
人との関係には
悪縁と
良縁が
この世にはあって
悪縁は
善悪の「悪」ではなく
タイミングが
決定的にずれている事、なのかも。
美しくみえない時も
ただ、それだけなのかも。
そういう視野は、ずっとあったの
でも、それを生きる強さがなかった。
今後は、違う。
その心を持ったまま生きてゆく。
側からみたら
変わらず悪を裁くように
見えるでしょう
でも、違うの
それが私の正解で
立ち位置なだけ。
不動明王さまの存在と在り方の
意味に、救われた由縁でした
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味わい切ったら
どんどん、
シンプルに
ショートカットするような
生き方になるんだろうな。
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今日は、旦那の実家に。
義父がとうとう目が見えなくなって
障害者手帳1級に。
それでも、
頭がしっかりしていて
呆けていなくて
今を生きていて、凄いと思う。
どれほどの心で
今を受け止めているかと思うと
尊敬しかない
翁
長老って
義父さんのような人。
それを通って支えている旦那も
色々な心情があるだろうと
言葉にはしないけど、
そういう気持ちでみています。
私の方が先に
自分の親の介護が始まった頃は
旦那の理解がなくて
浅くて、
酷い言葉を吐かれた事もあった。
今でも、喧嘩した時には悔しさを思い出して
時々、言わせてもらう。
旦那は、自分の親の介護をするようになって、
全然、私に対する在り方が変わった。
情けないけど
実感しないと
想像できない人が
この世の殆どなのだ。
旦那ですら。
旦那が変わっただけでも
幸運なのでしょう。
今は仲間。
同志のような感覚で
仕組みや支援の方法の
情報交換をしている。
お別れは、きっとあっという間・・・
一期一会の気持ちで会っている。
結婚して、
旦那の血族
義父と甥っ子達には
美しさというか・・・
かっこよさ・・というのかな
人として
真っ直ぐ立とうとする姿というか・・・
そんな、
当たり前だけど
自然体の
強いものを
みせてもらった
母に、
『一度でもあんたの中に美しいものをみたかった。だから必死に支えたのに!』と
父の、死の直前に叫んだ私の心を
血族はずっと踏み躙り
何も自覚をしないまま、
真っ直ぐ立つ事もなく
醜い姿で
そのまま旅立つのに。
やり切れない
その渇望を
少し、癒してくれていたのは
旦那の義父と甥っ子だったよ