友とのランチと、石
友とのランチの写真がアルバムにない〜
えーーーーって😵 撮ったのに😱
最近
石以外の、喜びのブログはあまり書いてない。
本当に、嬉しく満たされた事。
その場で味わい尽くして完結しちゃうからかな?
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今までも、
ここには
色々書いているようで、
実は書いていない部分は、山ほどある。
偏っているの。
出せる範囲でしか出していない。
まぁ、そんなものでしょう。
日々の介護の色々。
闇だらけの出来事の詳細や、
父母姉とのやり取りの詳細は
ある一定のラインを持って
書いていない。
私の記憶にあるだけだ。
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友とのランチは、美味しいお魚のお店でした。
人気店で、ランチ客で一杯だから
ゆっくりは出来ず
引き続き、いつものカフェへ。
そこは、広くて眺めが良くてくつろげる。
友とは、数ヶ月ぶりだったけど
元気そうで良かった。
台湾旅行土産をいただいた✨
次は私がお土産を買ってくるよ!と宣言。
流石に海外までは行けないけれど💦
お土産を買ってこれるぐらいの喜びを
自分に与えるよ!という宣言で。
友も、私のその気持ちを汲んで
ニコニコ笑っていてくれた。
色んな話をして、
情報をシェアして
くつろげて、
楽しい時間だった✨
あ、石活の話は、友にはしないでいた。
何故なら、
友は時々、迷信に信心深く?
お盆は絶対に水に近寄らないし
河原や海の石は持って帰らない、を
くっきり
はっきり
実行している人だと、知っているから。
今の私にとって石活は
とても大切なものなので。
友はその話をしても
否定は絶対しない人だけど
わざわざね。
だから、
最も最新で夢中になっている事だけど
その話は、あえてしなかった。
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実は、友が信じて避けている
スピリチュアル界隈でもよく言われる
☝️「石には色んな念がこもっている可能性があるから」
という迷信を
私も、自分に何となく、採用していたの。
長い間、ずっと。
それは、多分、自分の惹かれる、を
否定する為でもあったのね。
その為に
石を避けるべき、様々な理由を探して
たくさん、自分にストックしてしまったの。
だから
石に心開く事は、
ただ開くだけ、じゃなかった。
自分で自分にかけた洗脳を
捨てる事でもあったのです。
私にとって何重にも
包まれた「檻」を出る
象徴のような出来事だったの。
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でも、幸せに生きる友は、わざわざ
価値観を変える必要がないもの。
あえて 友が畏れている迷信に対して
違う価値観を持った自分を晒す必要はないわ。
それに、
この迷信については
実は今でも
ただの「迷信」だと
言い切れない視点を持ったまま
石と戯れる自分を許したので
いつかその視野に生きる私からみる
スピリチュアルな石の世界について
書いてみたいです。
私がその迷信を
否定するのではない方法で
統合できた心の過程を。
友は、私の友の中で
最も愛されて育った、育ちの良い人ですが
用心深いのです。
だけど、その用心深さは
人間不信とか、
傷がある事からくるような
用心深さとは、どこか違って・・・
私には学ぶものがある姿に映りました。
勘が良く鋭い姿で
素直な姿で
自分の責任を最大限取る姿でもあり
潔い姿でした。
同調圧力の中で、
優先順位を間違える事が
ないとは言えないけれど、
多分とても少ない人だと思います。
友の石への扱い、選択を知って、
友は、宗教も持っていないし
全くスピでもないし、
何かに傾倒している事もないのに
重要な事は、
理由なく取り入れている気がして
なるほどなぁと、思っていたの。
カフェでお茶をしていた時(もう随分そこにいた頃)
隣に男性が座ったの。
ちょっと荒っぽかった気はしたけど
私はその場が楽しくて、
今思えば、考えないようにしたのね。
でも、その男性が荷物を残して席を立って
どこかに行った時に
目で追っていた友は
何かを確認して( 動き、動線でした。)
話の流れをぶった斬って「行こう!」と
私に言ったの。
友「 隣の人、ちょっとおかしいから。」
あっ❗️❗️❗️私も実はそう思ったのだった。
私「・・・了解。」
その去り方はマッハ(笑)
そして、
友「後ろにいる。振り向かないで・・・こっちに歩いてきてるから・・・」
隣のビルに移り
エレベーターを避けて
エスカレーターでまずは階下にゆき、
後をつけられていない事を確認して
やっとお手洗いに。
ほっ!
友「ごめんね!急に。私、神経質過ぎるかもだけど、何か感じた時は、とにかく離れるの。」
私「ううん!私も気にする方。危機管理だよね。」
友は凸凹育児もしてきた人で
差別感覚でしている訳ではないの。
どこかおかしくても、
大丈夫な人は大丈夫なの。
野生の勘が、鋭い感じなのよね。
そして、
潔く迷いがないの。
この友が、『石は念がこもっている可能性があるから持って帰らない』という選択をしていた事も
私の石への解釈を
少しの間、強化したのは確か。
一目置いている、友だし。
それに
今でも、どこか真実を含む視野だと、
私も思うから。
でも、そのタガから自由になれた。
自由になるしかなかった、とも言える
流れがあった。
これも宿命のようなものでしょう。
いつかそれについても
書いてみます。
まず、スピな概念を知らないと
なんのこっちゃ、な話だけどね。