境界から見る景色

はじめましての気持ち

食べものの周辺の心

まずは介護食




メインは 細切れ肉の塩胡椒炒め&ポテト

と、小さなお菜たち


--------------------------------------



メインは エビチリと卵の炒めもの

と、小さなお菜たち


------------------------------



メインは 焼きししゃも

と、小さなお菜たち


お昼ご飯に 少しサイズの八宝菜


-------------------



お昼ご飯のピザトーストと、牛肉コロッケ


母のコロッケ好きは

父が亡くなってから知った事だった


---------------------------------------------


メインは 厚揚げの田楽風3種&うずら卵

小さなお菜たち


------------------------------------------


食事をほぼ作らなくなった母に


食べたい!と言って炊き込みご飯を作ってもらった。


手伝いつつ、作ってもらったら、


まだ、作れた。


でも、もう、億劫なのか、


自分からは、作らなくなった。



老化という過程の中で、

何らかのラインを超えた、のだろう。


そういえば、呆けの境界ラインもあったな。


呆けてきた自覚が、多少でも残っている間は

自覚ある佇まいだったけど


ある日、呆けている事も忘れる時がきて


「私は呆けていない。」になった。


あぁ、超えちゃったんだなぁ

ここからが認知症、って思った事を


思い出した。




最後まで残った、作るものは


ご飯を炊く事

食後のコーヒーを淹れる事。


コーヒーは習慣性がある、

中毒でもあるからね。


まだ何とか、


朝にハンドドリップで淹れているが


2杯一緒に淹れて置いて2杯目は夜の分。レンチンで飲むようになった。


今までの母では、あり得ない事だけど

それぐらい面倒になっているんだなと


その行動を読んだ。


老化は鬱っぽくなるものだし

気力も体力も減ってくる


今はまだ、何とか作れるものがあっても


本当にギリギリなんだろうな。


こうやって老人は、

食事を作れなくなってゆくんだろう。


施設に行く事になったタイミングも

絶妙だったと思う。





貴重な、母作の炊き込みご飯。


具材は大きいけど、

味付けは復活してた。


ちょっとまだ薄い、とか判断して調整してた


何年か前は、


作る気は今よりあったけど

驚きの、味の麺つゆを作っていた


呆けるとこうなるのか!と驚いた。


その味のない素麺を

父は何も言わずに黙々と食べていた。


それが日常になっていたよう。


その頃の父は食事作りを担っていたし


呆けてできなくなった人を責めても仕方なし、作っただけでもよし、だったんだろう。


父の味覚が、当時、狂っていた訳ではない。

でも、父は何も言わずに受け入れて食べていた


愛だったよね。



母の料理は、不思議と


復活した面と

退行している面とがある。


入れ替わるように。



【母作・具の大きい炊き込みご飯、混ぜる前】


ありがたく、いただく。


食べられなくなる日は、もうきっと目前。


父が体調を大きく崩してから、母は食事作りが復活していた。


色々あった愛憎まみれた2人だったのだろうけれど


父も、最後に、ご飯を作ってくれる人が

側にいただけでも


ありがたい事だったのかも、という

視野も、あるね。



--------------------



今月は、旦那の誕生月✨でした。


天体の動き的に、


この日は特別な日だったらしい。


星に疎い私は良く知らなかったけれど。



同級生のケーキ屋さん作

お気に入りになって以来、


ケーキを買うなら、

ここのケーキを食べたいと願う。


素朴で、正直、素直な味。


-----------------------------------------


母と紅葉を観に行った🍁


実はもう


紅葉を観に連れて行くのは

4回目だった💦


でも、母は納得してないからか?

行ったことを直ぐ忘れる。


奮発して連れて行った

有料道路上の山の絶景の紅葉も


母は頑なに、

綺麗ね!とは言わなかった。


元々、私が感動したり、喜ぶ程に

天邪鬼に冷めた空気になる人だったから


またか💧と


悔しく


やり切れなく思ったけれど


施設に行く前だから、母と不穏な関係に

なりたくなくて、


ぐっと我慢。




でも


あの態度は


自分が期待した場所じゃなかったから、

だったのか〜


そういう人なのよ💧




直ぐに


紅葉🍁を観に行きたいと、

また言った💧💧💧時に


今度は、はっきりと


亡き父とよく行った場所を、希望したの。


その時に、やっと解ったよ。


(( あぁ最初から、そこに行きたかったんだ!))


と。


最近は認知症のせいで、言葉が出にくいの。


その地名も、うまく言葉に出なかったから


母は「どこでもいいわ!」って言ってたけれど


本心は違ってたのね。


なるほど。


了解。


じゃ、行くか!と、


高速を飛ばして行った🍁




画像の、このお蕎麦屋さんも、

いつも父と寄っていたお店。


3人前の大ざる蕎麦❗️

全部、2人で食べた切った。


母に父が乗り移ってたのかもw


変わらず、美味しかったです。


-------


この地の紅葉は、


時期がずれていたと言うより

異常な気候のせいだと思うけど


発色が悪かった。


紅葉真っ最中だけど、茶色っぽい。


ちょっと残念だった。


よっぽど、その前3回連れて行った🍁紅葉の方が、紅葉している木の数は少なくとも


綺麗だったのに。


でも、そこは


母自ら、望んだ場所だったからか?



いつも辛口批評で

連れて行き甲斐がない母なのだけど


この地は


景色も、

食の味わい方も、


前向きだった。



きっと、

過去の記憶にある場所で


脳内で補正が出来る分


良き心持ちに繋がりやすいのでしょう。



良かったね。


また、来れて。



その記憶には

父との良き思い出も

一杯あるのでしょう。


酷い裏切りを

最後の最後で、持ち堪えられずした母は


大馬鹿だよ。


でも、それも

きっと忘れていくのでしょう。



もう今しかないよ。


呆けてゆくのだから。


今、たくさん、思い出してあげなよ。


良き記憶の父を。


謝れないなら、せめて。


それがきっと、


今の母ができる


最後の供養だよ、と、思った。



やっと、これで


紅葉🍁を観に行ったと認知症の母の脳内に


インプットされるでしょう。