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苦しかった日、というblogを書いてから
不思議だけど、深く心が切り替わり
あぁ、この場所に到達する事が
私が選んだゴールだったんだなと、
自分の感覚に
教えられました。
もちろん
助けて!は最後にしたい、ですが
人間だもの、
まだ、揺れる日もあるだろうなぁとは
思ってはいます。
(今日も少しぐるぐる重さのある心模様デス)
ただ、やっと
どこに心を向ければ
何に触れたら
私の心が、あの場所に戻れるのか
わかってきた感じです。
私の自分操縦術は
ねばならぬ、の心意気で、
導くものではないと、
20代後半の人生の棚卸しで悟ってから
手探りで身につけたものでした。
今ここ、の
感じているものを
丸ごと、味わう事と
その上で、
望む場所に
どうやって自分の心を運んでゆけるんだろう?
という、「問い」を持ち続ける
という やり方でした。
もちろん、
現実や人をコントロールしたくなる心もある。
恨みや怒りも抑えきれない日もあります。
けれど、
コントロールできるものと
コントロールできないものを
ありのままに、みていくと
私の問題の周りには
超絶コミュニケーションが難しい人がいて
それはもう、
障害のゾーンで生きている部分がある事を
受け入れるしかなくて。
社会では普通という皮を纏い
地位を築いて生きてきた人達だけど
そうであるが故に、歪みが集中していて
それが障害と言われるゾーンのものなのだと
発達の凸凹がある息子を育てる過程で
やっと理解した視野でした。
どうにもならない事を
結局は、受け入れるしかなくなり
ぐるりと巡って同じ場所に
かえってきてしまう感じがしていました。
でも、螺旋階段を上がるように
同じ場所戻ってきたようで
実はいつも、少し視野が違いました。
それを受け入れることは
同じじゃない。
同じ選択を、違う視野でするという事でした。
同じ選択でも
自分がしてきた事に
誇りを持ち、自分の尊厳に触れて
やっと 心が楽になれました。
美しいものを
血族の中にみたかった。
切望していました。
その想いを持ち続けた事は
コントロールではなくて
愛でした。
ここでなんと書いていても
最後まで信じて
希望を捨てられなかった事は
恥ではないし
ターミナルまで、自分を差し出しながら、
待った事も
私の人生の誇りでもあるはずです。
母が、私と父を裏切った時には
怒るというか叫びました
「母の中に一度でも美しいものがみたかった。最後のチャンスだったのに。賭けたのに。」
そう言いました。
でも、
母には
何も、響きません。
何も、伝わりません。
それが母でした。
絶望しました。
父の死後、
母は、自分の恥を感じて揺れました。
こんなものが残っていたのかと、
また私も、信じたくなり心が揺れました。
(今思えばほんの少し見えた光でした。)
喉元過ぎて
元の母に戻ってゆき
いつもの
『大した事じゃない
なんなら私は何もしていない』
ぐらいの妄想に生きるようになりました。
そしてそれは、姉もです。
私は今、姉と会っていないし、
連絡を絶っています
父の死後、3ヶ月経った頃に
姉は、自分が犯した事を
なかった事にして擦り寄ってこようとした事や
母に色々働きかけて動き始めた事で
どんな心模様か、予想がついています。
姉は母の業をそのまま受け継ぎ
恥を生きています。
彼らの存在が、
ただ そこにあるだけで、苦しかった。
大丈夫な振りをしているけれど
本当は、とても苦しかったです。
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でも、少しずつ
生きる気力を戻せてきていた事も
事実です。
死にたい気持ちだった私を支えてくれたのは何か、蘇らせてくれたものは何か考えました。
それは、ささやかな
ピュアな美しいものでした。
今ある幸せが、より際立って
私を生かしてくれました。
親族は
最低な事をたくさん残した(ている)人達でした。
大人になるほどに
何故か壊れていった人達でした。
どんどん、
どんどん
自己中心になってゆく・・・
止まらなかったです。
たったの一度も、
傷つけた相手の為に正直になれず、
抗えない事が
心から、情けなかった。
でも彼らには
そうなる理由があって、
そこには、
彼らなりの悲しみや苦しみがあったでしょう。
そこまで憎い相手の立場になって
感じてしまう私も、育ってしまった。
それは
苦しみでもありました。
本来 私は、
自分を守る事を優先して良かったのです。
でも、それも、許されなかったし
できなかった。
私は
憎しみを持ったまま生きる事も
人によっては必要な事で
決して不幸な事だとは思いません。
それは自分を守ることができる
優秀な脳の機能なのかも、とすら思います。
憎むことで、
自分を守れて
周りも守れて、
苦しみを広げず
日常を生きられるなら
憎しみを、無理に手放す必要もないでしょう。
ただの一つの方法です。
憎しみや恨みを手放す事を誇りたい
スピリチュアリズム
ポジティブ教の人達、
説教したがりの宗教家の方々が
薄っぺらいのです。
多分、彼らは長けた人なのです。
自分達の正当性を証明する
幻想世界を創り出す事に。
壮大なる承認欲求が創り出した
壮大なる、まやかしの世界だと
私は思います。
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私の脳の構造的には
憎しみや恨みを、
自分を守る壁にできなかった、
それだけの事。
私は
見通してしまった視野や、同情、共鳴を
自分を守る壁に変えて
生きるのです。
そうでなければ生きられないから。
それがたまたま
この世でいう「許し」だというなら
決して、高尚なことでも
立派でも、ありません。
私はそれを誇りたいとは思わない。
生きる術だからです。
壊れない為に、
私にはこの道しかないと悟っただけです。
この世の安易なポジティブ教に
一矢報いたい気持ちはずっとあります。
彼らには
他者への愛がないから
憎める事の幸せや恩恵は、きっとある。
憎む事は、悪ではないです。
私は、そう思います。
無理に手放さなくてもいい人も、いる。
手放したくなるまで、存分に味わえばいい。
私は
全部ありのままを受け入れる選択に
たまたまなったけれど、
これが善では決してない、という
存在の在り方で
これから出逢う、
自分に似た誰かに、1人でも心寄り添えたら
本望かなと思います。
必ず、出逢ってゆくはずですから。
私には、親という存在はいなかったけど
ピンポイントで、私が欲しいものを
その時々の役割で くれた方々がいます。
その方達も、完璧ではない。
全てを分かち合う事も無理だし
完全な理解や寄り添いなども貰えません。
旦那でも、そうです。
でも、
彼らがくれたカケラを繋ぎ合わせて
受け取りました。
それは私が求めた、
親から受け取りたかったもの
だったでしょう。
私が
その繋ぎ合わせた全体像に
なってゆくのです。
心が苦しみに引っ張られない為には
私が美しいと感じるものを見出して
触れて、
ワクワクする心に正直になって
心をそちらに、向けておく事は
今は、大切です。
ともすれば
どうしようもないところまで落ちてゆくので。
うまくできない日もあるけれど、
今後、それを自分に許す、という事だけは
決意して
誰にも侵されない領域なのだ、
自分で自分を裏切らず、
虐げずにいる事を誓うなら
また、始められる。
今日も、
私をふっと笑顔にしてくれるものに
注意を払います。
心をふっと楽にしてくれるものに
心を開きます。