境界から見る景色

はじめましての気持ち

食べたもの色々

食べたもの色々

いつもの、自由なビビンバ。


菜花が入ってるから、春のビビンバだね✨



ビビンバは


キムチと胡麻油とコチュジャンがあれば


具材は案外どんなものでも


きっちり ビビンバになる。


そして美味しい。


こういう食べ物は珍しい


カレーみたいな懐の深さを感じる



今日も、自由なビビンバには


菜の花や、お揚げさんを刻んで炒ったもの、と


正当なビビンバらしくは ないけれど


きっちり、美味しかったです。




特別、韓国好きな人間ではないけれど


食には興味があります。



「繋がりを感じるけど少し違う」


というものには自然と心動くの。


この、『少し違う』という事に


意味と、力があるのでしょう。



いつもの大雑把な盛り付け。


この日の 私的ワクワクは👇


納豆には卵とメカブが入ってる

ささやかな幸せと


大根の葉っぱとジャコの炒めものが

出来立てほかほか✨な事。


あとはカボチャと鶏ひき肉の煮物一欠片


人参と新玉ねぎのマリネサラダちょびっと


キャベツとルッコラの生野菜一掴み


あ、紅茶の煮豚も


作ってから冷蔵庫に一度も入れていないので、

柔らくしっとりで美味しかった。


この煮豚、


紅茶の風味が、お肉や他の香味野菜とお醤油と出逢うと、不思議と飲む紅茶っぽくない独特の香りに変化する。セージの葉のような。


ミニ冷奴には 自家製キムチを載っけて。



☝️1週間寝かせた玄米甘酒をオーガニック豆乳で割った食前に出てきた飲み物。


ここは、とある眺めのいいカフェ。


この日は息子を口説いて一緒に行ってきた。


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以前、父をこのお店の前まで連れてきたら、

景色に感動してくれた。


カフェでお茶をしたかったけど

人が一杯で入れなかったの。


もう一回連れていってあげたいなと思いつつ


諸事情で叶わなかった。


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いつも混んでいて、


どうせ当日予約なんか

取れないと思っていたけれど


ダメ元で電話をかけてみたら・・・


まさかの🆗👀


一緒に行こう〜!と息子を誘った。



私のベジランチボール。


結構、お高い💧


一転、何故か予約が取れやすくなっていた理由を知った気持ち。値上がりしてたらしい。


けど、まぁ場所代、景色代だね。




ご飯は発酵玄米で、お菜の乗っけ盛り。


私の好きな「乗っけ盛り」


自宅で食べているものと、趣向も変わらないけど(笑)


お菜一つ一つは、味つけが違うから新鮮。


スパイスを効かせてて、和風なようで和風でなく、インドでもないし・・・何とも言えない・


『無国籍風味』だった。


切り干し大根のあえものや、ひじきの煮物って日本ぽいお惣菜に見えて


ピンクペッパーとかクミンが香る

決して日本のお惣菜ではない仕上がりだった。


一度、体験するには面白かった。


好みかどうかは、別問題かな。


でも、野菜いっぱい、手作りなのは

それだけで、ありがたいし、


私には十二分に価値があるから


旦那と、もう一回来訪は、あるかも。



これは息子のベジバーガー。


麻炭を練り込んだバンズに、


こっちのトマトソースは味も濃く、


ベジミートもお肉とあまり変わらず食べれて


結構、美味しかったらしい。


同じく、お高いけど。


普通がいい人、旦那はこっちかな。




流行りの インスタ映えするお団子。🍡



古民家カフェ巡りは、半分仕事。

でも、趣味も兼ねていて、そこは楽しい。



団子好きな息子には、これとは違う

5本セットをテイクアウト。



このお店を、経営の目線から、旦那は気に入っていたけれど・・・


正直、キャラ弁とか、こういう「映え」ばかりを追いかけた食べ物が、興味0の私は


最初から醒めていた


団子を食べてみて、余計にイラッと。


この味で2本で800円・・・


友達と、可愛いね💕って言いながら一緒に食べるそういうアイテムだってわかってはいるし


状況によれば、私もそうするけど。


でも、


団子は、地味だけど、


築き上げてきたままで十分、


可愛く美しく美味しい


日本のソウルフードなのに。


こういう盛り上げ方でしか、


乗ってこない


再発見できない日本人が


嫌いなのかも ←毒




子供の頃


似たことを思ったのを思い出す。




何故、日本の喫茶店のどこにも


緑茶を紅茶のように出すお店が


ないんだろう?って。


紅茶はあるのに。


コーヒーもあるのに。


紅茶より、緑茶が好きだった、


子どもの私には、不思議な事だった。




緑茶専門店のカフェが生まれたのは、

それから何十年も後でした。


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このお店の名誉のために。


結果、いいお店なんだなって

理解して帰ってきました。


まず、珈琲が美味しかった。


ランチは食べなかったけど、

メニュー表をみていたら


しっかり手間をかけた手作りで、身体を考えたメニューを提供しているのがわかって


地道な事を大切にもしてるお店なんだな〜って

理解できた。


いい立地じゃないのに

駐車場を点在させてでも、


しっかり確保していった様子とかも


やる気があって、


お客様もひっきりなしに来る理由だろうな。



団子の「映え」を利用しているけれど


それも工夫の一つと言っていいぐらいに


根底全部がしっかりしてた。




リピーターが付いてる理由もわかりました。


入り口にあった恵比寿様も


とっても可愛かった!!!


ご利益あったんだね。


つられて自然と笑みが溢れる神様でした。

昔の友に会った日



今の心に率直に、を、心がけて会ってきました


結果としては、予想通り。


友も目的は果たし、


私も伝えるべき事は伝えて


にこやかに別れました。

後腐れはない状態で、終われたと思います。


---


予想通りだったコト、2つ。


一つ目


私とどうしても、と会いたがった理由は、


まず一つは、自慢をする為だったよう。


もう一つは、私の子育ての結果を、確認したかったみたい。(多分、無意識の焦燥感でしょう)


どちらにせよ、


自分の無意識に触れずに


繋がってこようとするのは


下衆でした。



私と疎遠になった頃が「岐路」だったよう。




二つ目の予想通りは


私に繋がろうとしてた 


友の子、Tちゃんが


切ない結果になっていたコト・・・


これは、できれば外れていて欲しかった・・・


良き展開が、あって欲しかった。


想定外もある、という学びになって欲しかった


---


あの頃、私には


友が 何を 間違えているのか


何が それを邪魔しているか


手に取るように、感じていました。



別に私じゃなくても 親ならわかる事でした。



間違えたら、


育つことができない危うい子も、いる。


散々、目の当たりにしてきたのに。


でも、結局、友は間違えたままでした。



私と距離をあけた理由は


どんなに理由をつけても


見透かしてしまう私が


疎ましかったのでしょう。



抑えきれなかった衝動が、


自慢話に透けて、情けなかった。


こんなものがTちゃんを潰したなんて。




私は所詮、他人だから


軽く扱われ傷ついても、縁は切れる。


でも、切れない娘には、


向き合うべきだったよ。


Tちゃんの人生も、命もかかっているのに。


救いようがない阿呆だよ



ちょうど、Tちゃんに最後に会ったのが


今の息子と、同じ年頃で


あの頃のTちゃんを思い出し胸が痛んだ。


--


人生を通して、友のような人が「揺れて」


変化できる期間は、短い。



育児期間はそのチャンスで


尊さに触れ、人らしく生きて変化できる


ゴールデン期間なんだよ。


人は


一生涯、コツコツ成長できる魂と


一定期間だけしか成長できない魂とが


あるみたい。


彼女は後者


私の父母もそうだったな。



彼らは


子が、自我を持った時に、


自分達の許容範囲に育っていなかったら


もう、親、修了。


子に反抗されたら


「苦しめばいい。そこから学んでを理解しな


さい。私の許容範囲に入ってきたら愛してあげ


る!」 条件付き拒絶で対応する。


まさに友もそんな感じ。



昔から、友は


うまく子を愛せない人だった。


虐待だよ、と感じる瞬間も多々あった。


きっと友の家系の連鎖。


でも、その中に まだ、愛は感じた。


そのうちTちゃんに


虐めや病気など降りかかって


それがより、友を まともにした。


愛ある選択をしようとし


それがTちゃんに伝わっていた時もあった。


虐めや、病気を得る事も


無駄にはならないのだ、と学んだ。



友と娘ちゃんと、本当に一緒に泣き笑い


心から応援した十数年でした。


---


友が、今回、私に自慢したかった衝動は


下の妹ちゃんの就職先と、彼氏だったようです


尚更なんで?と思った。


興味もない私に、それでも、知って欲しかった友の無意識って何なの?と考えてみたよ。


こうかな・・・


ある意味、友が、ありのままの自分で、


2人の子を同じように育ててみて


上の子は、潰れてしまい・・・


下の子は、輝かしく成長したので・・・


その両方を 知る私に


「ね? 私がダメな訳じゃ無いでしょ?

おかしいのは、Tでしょ?」って


承認して欲しかった気持ちなのかな・・・


私が同意するわけ、ないのに・・・



私の視野では


あなたの間違いも失敗も見えているし


あなたの抑えられない人間性が引き出されてしまうのも


Tちゃんが駄目だからじゃないって知ってる。


もちろん、究極は、誰が良い悪いの問題じゃ


ないのだけれど



友が この世に先に生まれ


友と旦那さんの勝手で、生み出した命が


Tちゃんなのだから


そこを「無かったことにして」


自分に向き合わず、被害者ぶるのは


立派な一つの悪だよ。


と、心で思っていた。



もう、友は


下の子の成長で、満足しちゃったみたいだから


あとは墜ちてゆくだけでしょう。


人間って、堕ちるときは呆気ないんだね。



彼女は


結局、子どもを


自分の自尊心を満たす「道具」にした。



そうならない生き方に、導かれていたのに。


最後の最後で、結局「道具」にして失敗した。


連鎖の力に負けてしまった友・・・




友を、少しの間だけ


愛に触れさせ、


まともな人間にしてくれたのは


Tちゃんだった。


その恩恵を巡り巡って受けていたのは


妹さんも、だったはず。



今、友は


Tちゃんからの因果応報を受けて苛立ち


他の家族を味方につけるべく立ち回り、


Tちゃんを孤立させている。


駄目人間のレッテルを貼り、厄介者扱いして



自分の心の安定の為なら、


どんなふうにも子を扱う姿・・・


控えめに言っても、醜いよ。


友の姿は、


私の母や父、姉を思い出させた。



友がTちゃんをこうやって扱うように


私の父母もこうして私を


切り捨てて いったのかな


痛みも感じずに。




愛があった時も確かにあったね


でも、消えてなくなる人間もいるんだ。




友を通して


私にはやっぱり家族はいなかった事を


また見えてしまったし


今、まだ生きている母の中にも「何もない」事も


姉だけが、今も我が家の子である事も



友を通じて


生々しく、リアリティをもって


再度、感じてしまった。




友も、父母も


振り返る事も、後悔をする事もなく


幸せに


のうのうと生きて、死んでゆく。




そんなもんなんだなぁ・・・と


友をみて、


この世の無情を感じた。




その陰で


Tちゃんは一人で背負い


苦しみながら、生きてゆく。




無情だ・・


だけど、ただ現実で


それが運命なんだ。



ふと、


Tちゃんのご先祖さま聞いて!?と


問いかけた。



あなた達が、脈々と繰り返してきた負の連鎖は


あなた達にとっても心痛まない当然のことうけれど。


その視点で生きて死んだのなら、


連鎖を生きている友へも、何も思わないだろう

けれど、


間違ってるよ。


あなた達が、今、守るのは


友じゃなくTちゃんだよ。


Tちゃんが、あまりに不憫だよ!


しっかり、守って!!!と、


心の中で 叫ぶように語りかけた。


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友とは、もう会わないかも。


最後にTちゃんの為に、


私は今、何ができるかな?と考えて



友が受け入れられなかった


あえて十数年、黙っていた事を、


一つ開示した。



『発達障害を診断する時にね、まず、発達の凸凹と同じような振る舞いになる「病気」が潜んでいないか、判別する為に脳のCTを撮る医師もいるの。』


『その判別しないといけない病気の一つが、Tちゃんの病気だったよ。』


『ようは発達障害と同じ。Tちゃんの問題の元は病気にもあるって事だよ。』


『私は一生変わらないって言われる凸凹脳の傷も癒せると信じてきたよ。』



Tちゃんの病気は脳にも出てるものだった。



私が息子の凸凹を受け入れた時


Tちゃんも、似たものを背負っている事は、

分かっていたけれど


友はカテゴライズから「逃げた」ので


あえて、そこから一度も


この話を突きつけた事はなかった。




友の愛が育てば、カテゴライズも要らない。


愛があれば選択は間違わない。それが最も重要だから、と。



私は、迷いながらも


息子の自尊心を育む選択をする、ありのままの姿を 飾らず晒してきた。


受け入れていない人の前で それをする時

受ける負も気づいても流してきた。


愛から選んでいるものを

友と、共鳴させられたら、と願い


ある時期、それは上手くいっていた。

十数年、育んだ関係だった



でも、友は


状況も、子も、

落ち着いて安定してきたら


むくむく「元の自分」が顔を出してきて

あっという間に、元に戻ってしまった。



私は、私と関わりがなくなっていた7年間の


知りたかった結果を、受け取ったよ。


無意識に、刻まれた連鎖に生きるって、


こういう事なんだね。


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私は友に


必要な時がきたらTちゃんに「障害者手帳を」促した。


友は目を伏せてきた世界だから

今はプライドが許さないだろうけれど。



⚠️あまりに、何も なさすぎたから⚠️


手帳を取る過程で 繋がる人の縁もある。


友には、もう期待できないから。


友が心動くように給付金を餌に誘導しておいた。下衆だから、こっちの餌に。




「Tちゃんの病気と心の繋がりを考察して寄り添ってくれる医者が必要と思うよ」と伝えた。


誰も、いないのだから。



友曰く「医者は(繋がりがあるって)何にも言わないんだよね・・」


と、また十数年前のように逃避したけど


切り込んだ。


私 『凸凹息子の脳の傷は単純なCTに映らないから私は見た事がない。でもTちゃんの脳にははっきり写るものがある。関係ない訳ないでしょう?』


『今までの医者がどう言おうと、脳にある事実を考えれば、わかるじゃん。』


『発達の凸凹と判別する疾患に挙げられている事実がある以上、繋がりを診る医師はどこかに必ずいる。でも自分から探そうとしないと出会えないよ。小児の先生から探してみたら?』


と、黙らせた。




なんで、ここまで、


こんな事も超えず


逃げ続けられるんだろう。


自分は


何を守って 何を捨ててたか、


直視しなよ。



『Tちゃんだけに背負わせる問題じゃないと思う。』


とも、言わせていただいた。




一度切れた縁。


これで本当に縁が切れてもいい。




友の心に刺さって


記憶に引っかかってくれたら本望。



事実その時、


友が、ほんの少し、揺れたのが見えた。


それでいい


役割はきっと終わった。




Tちゃんはもう大人になっているから、


家族以外の、良い縁に


つながる事を、心から祈ってる。


運命は切なくとも


その奇跡はある。


Tちゃんなら引き寄せられると信じるよ。




記憶の中のTちゃんは


一生懸命、生きようとしてた


私にとっては


とっても健気で、可愛い子だった。


どうか、生きてね


---


再会は


戒めにもなりました。



子の


自我が確立してゆく時、


自立してゆく時が、


親として 


もう一度、問われる時。



分かってはいたけど。


再度、気が引き締まりました。




そこで失敗したら


関係性が歪むか、危うくなる


そういう時期。




友や、親の姿は、


私の反面教師


大切な戒め。



私は、生涯、親でありたい。


変わりゆく関係を、親として育みたい



その為に、見通したものを、


見せてもらった姿を反面教師として活かします


ある意味では、貴重な姿をありがとう


心では、さようなら

人と会うという事






私は、若い頃


まやかしの自己肯定感だったので



自分が本当はどんな能力を持っているか


長い間、理解できていませんでした。



そのまま、人生の棚卸しが始まって


一旦 


自分を全否定する状況に入ってしまい・・・



私が100%悪で


それ以外は善、という場所で


何年も過ごしました。



メリットは、


数年間で多角的な視野が得られた事。


それはもしかしたら 幾世分だったかも・・・



デメリットは


命がけの危うさだった事



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あと数日で


久し振りに、昔の友人に会います。


あ、これしっくりきた。




友人とか 友達と、書くには


今はもう、しっくりこなかった・・・



かと言って知人と書くのも違和感で。




そっか「昔の友人」これいいな。



今はそう。


会いたいとは、もう思っていない関係でした。




万が一誘われても断ると決めていたのに


何故か🆗してしまったのは


このブログにも書きましたが


何となく、流れなのだと感じ


それに乗ってみたくなったからでした。




会う日が近づくにつれ


会いたいわけじゃないのに、という


後ろ向きな気持ちが膨れ上がっていて


戸惑っています



大体、


空気も、疎遠になっていた時間も


ぶった斬ってやってくるものは


シンクロニシティでしょう?



乗ってみる気になったのも


きっと確認、収穫をしにゆく為なんだなと


感じたから。


最初は「よし!収穫だ!」と思っていたけれど


なんかそれって・・・


どこか人の不幸を決めつけていて


ニュートラルじゃないなぁと。


もし仮に 昔の友人に、


思いもよらない良い展開が開けていたら???


以前の関係のように純粋に一緒に喜べるのか?


と言われれば・・・今はちょっと違う。


いや、


娘のTちゃんが幸せなら 全然、それは嬉しい


これは1ミリも嘘じゃないけれど



言いたいのは


私が、状況的に今は会う気分じゃないと


事情も軽く説明して、牽制したのに


衝動が抑えられず??←母そっくり


万が一、自慢?しにこようとしているのなら



その事に、うんざり・・しちゃうから。



距離が空いた理由があったでしょう。


始めるならば、相手の今を推し量る事や


埋める必要があるものを埋める作業無くして



何が始まるっていうんだろう???と


醒めているのです。



もし、会ってみて


彼女に中に光るものが見えたなら


また「始まる」再会の一歩に


なるのかも。


でも、昔の私をイメージして寄ってくるなら


ちょっともう違うんだよ・・・と思うのです。





5年前に、(その時点で疎遠になって1年半ぐらい経っていたかなぁ・・)


グループで会おう!と声をかけられた時が

そんな感じだったらしい。


実は、私は、気づかなかったけど。


他の友人が受容の心でカラッと「きっと〇〇は自慢したかったのね!」と言っていて


((あ、この会はそうだったの???))と初めて気づいたの。


実は私には、友が話していた自慢だったらしいTちゃんの様子を


自慢する状況には1ミリも感じていなくて


危ういな〜💦と、思うだけだったから。


まぁ、それぐらい


みえているものも、


感じる事も、解釈も


ある時から


違ってしまった人、だったから。




それに合わせるのは


今は しんどい。




でも、


今、回ってきた役だというなら


1日だけ、頑張ろうか・・・


でも、どう、頑張れば??






私は、


人と「会う」と決めた時は


いつも会う前に


最も純粋なものに触れて、


良い事が生まれるようにと


本当に毎回、キュッと祈り


会っていました。


おまじないのようなモノです



人なんて簡単に、すれ違ってゆくと


知っているから。


出来れば、実りあるものにしたくて。





でも、今回は、それがない・・・





心が疲れているのもあるし


鬱っぽいからかな




この数日で


そこまで心をもってゆくことも


可能だけど




今のところ、やる気が起きない。




鬱っぽい、は言い訳かなぁ・・・



やりたくないのなら


そのままに、が正解かな・・・






私、汚れたのかな・・・



ふと、父母姉が、


年齢を重ねる程に、


どんどん人間である事を


やめていった事を思い出し、




こういう感じだったのかな?


こういう積み重ねに、


抗う事もなく流されて


自分を守ることに必死になったら


あぁなるのかな・・・


と、カケラを感じてみたり・・・






それとも、


私が黒いものに強くなったから、


もうそろそろ鏡の対応を選んでも大丈夫、


というサインなのかな。


変化する時なのか。




どう会えばいいのか・・・


何が、今の私の正解だろう・・・


今を 感じ続けています。



私は、昔の友人に


もう昔のように会うつもりはないよ、という意味の、牽制はしました。


①グループで会うのはNG

②取り繕う事はできないよ、と。


それでも、昔の友人は会いたいと、

引かなかった。


流石に無神経なだけではないと思うんだけど


じゃ、その意味って?


・・・とかね。




ぼんやり考えています。




何を意識してゆけばいいかな。


逆に何も意識せずにゆくのか。


その時勝負、も良いかもね。


ありのままを、出して、受け入れる。








でも、今思えば


父の事で縁が繋がった、


学生時代の友も


こうやって繋がってくれたんだな。


自分も大変な中で。


面倒だったろうな。




そう思えば


今度は私のターンなのかな


恩送り?




まぁ、自分が何を選ぶか


本当はわかっている。


もうわかっている。





その間には


揺れて愚痴も出るけど


今、ここに いるだけです。



ありのままです。