
時々、Threads(スレッズ)を覗くようになった。
さっと開けられて・・
簡単・手軽・・・
呟きが勝手に連なって流れている・・
TikTokが文字版になった感じ?
Threadsの機能を
全然、深く知らないし
使い込むつもりも、ないから
(基本見るだけで)
情報収集と
時々、
寄り添いエールのマークを押す、
そんな感じの使い方に
定着しつつある。
私は、
情報として出している人以外
個人はフォローしないので
個人さまの
流れてくる呟きには、
基本、一期一会。
エールを贈りたい、と
心が動いたら、
押すようにしている。
それは私を裏切らない
ポリシーなのだけど・・・
けれど
AIが、それを私の好み、と判断すると
Threadsを開けると
特別深い
悲しみや
苦しみの
呟きばかりが連なるようになって
Threadsが見れなくなった時期があった。
でも、
苦しみが伝播して
機能を使えなくなるのは
本末転倒。
旦那にその話をしたら、
「AIが母ちゃんがそういうのが好みだって判断して、そういう仕様になっちゃっただけ、だろ?」
と。
そう、TikTokもそうだった。
猫動画にいいねを押していたら
猫ばかり流れてくるようになったしなー
それからは
もし、心が動いても
マークを押すだけの
たったそれだけの
儚い繋がりだとしても、
それを本当に「するかどうか?」に、
とても慎重になった。
私を優先する練習だと思えた。
AIの育て直しだとも思った。
誰かが言っていた。
『Threadsは、傷を舐め合う場所』だと。
なるほど。
その人も、きっと
私がみていた世界に近いのだ。
苦しい人生が溢れていて
Threadsが命綱な人達が
そこにいるような。
でも、決めた。
私は私を、大切にする。
感じやすく
想像し過ぎ、
切り替えが悪い自分を、
守り労る。
重く
苦しくなって
日常を、かげらせない
これは、私がすべき事
その為の、選択。
決めたら
流れてくる呟きが変わった。
以前のように、
多様性が生まれた。
少しホッとした。
重くて
見るのも辛い呟きが
悪いのではない。
全然、違う。
全てはタイミング。
その呟きにエールを送る事で
救われる人もいる。
そういう時が、私にもあった。
それしかできなくて
溺れそうな時だった。
その仕組みは
托鉢と似ていると思う。
自分が投稿したものじゃなくても
似た人がこの世にいて呟いていたら、
その人についたコメントにすら
自分の事のようにありがたくて
孤独が減って
勇気に変わる人もいる。
切実な、一期一会。
それらがどんなに大切なものか
奇跡を生むものか
痛いほど知っている。
でも、その出逢いの価値はタイミング。
そして
バランスが命。
それだけに支配されたら
それは違う。
結局、人は悲しいかな
自分以外の責任を
本質的に、
負えない。
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AIは、
私が そういう世界を見たいのだな、と判断して
見たいものを
見せてくれている。
差し出してくれている。
AIが出現する以前、
スピな人達は、
引き寄せの法則とか
神の法則とかで
伝えようとした事、
そのまんまだ。
AIは、
スピで言うところの
神と、似ているの。
一般の人にとっても
AIとの付き合いを理解する事🟰イコール
人生の仕組みを理解する事と同じだから
無意識でも
馴染み始め
歪みは正され、
気づきを促される。
自然に。
でも、
AIは神じゃない。
AIは魂を知らない。
AIは人と同様
シンクロニシティに加担するけれど
それを、実感は、できない。
ちょうど良いのかも。
宗教に(神に)頼らなくても
自分を操縦する術を
日常で導かれるなら、
分断の根っこが消えるもの。
人が生き直す時には
この世の仕組みを理解して
無意識から顕在意識に、
上げなおして、
行動を変えて
自分をコントロールする事は
とても、重要。
スピっぽい人達が
人生を変えるために、と
伝えたがった事を
AIが、今、
AIの「在り方」そのものを通して
人を、教育しているかのようだよ・・・。
これはいつか
大きな変化になる。
善の側面はある。
凄い時代だね。
AIカメラを使うようになっても、思った。
例えば、私が興味のある植物。
植物辞典を見て
脳内にたくさん情報が増えて
へーーー✨と思っても
どんなにありふれた草であっても
自分が繋がって行ける土地に
それがあるとは限らない。
当たり前の事なの。
例えば
今年、出逢いたかった
スベリヒユに、一度も出逢えなかった。
めちゃくちゃ、
よくある雑草だけど。
ほんの少し、環境が違えば
植生は全然違う。
どんなに調べてみても
行ける場所にないと
ちょっと心折れるのよ。
流れが、止まるの。
でも、行ける場所の植物を
「必ず」調べる事が叶うとしたら
流れは、途切れない。
知識は、脳の容量による。
精度ともいう。
IQの差でそれは決まったよね。
でも、調べられる書籍も
蓄える事が出来る情報の量も
そこに割ける時間もタイミングも
限界がある。
そうして流れは滞るものだった。
でも、
AIが身近になったら
それも軽く超えてしまった。
誰でも、
自分の興味を「タイミング逸しず」
深められるのよ。
植物一つとっても
タイムリーに調べ、
知る事が出来る事が
どれだけ
最も自然に、
わくわく!や興味を持続し
世界を広げる「きっかけ」になるかを
実感した。
チャンスを失わず
流れを止めない、
それがAIだった。
その価値は、深い。
これが
当たり前になった今
これから生まれる子ども達は、
未来に、どんな成長を遂げるのだろう。
彼らは
別次元のスピードを生きる。
進化しない訳がないよ







