境界から見る景色

はじめましての気持ち

卒業旅行

金山巨石群の中の神社

縄文の時代に生きていた人達も


この岩に触れていたんだなぁと思うと


不思議な気持ち。




以前、ここで父とも写真を撮った。


ガラケーで。


息子も一緒だった。


ちょっと寄っただけだったのに


凄くて感動した場所。




その頃はまだ、全然、


観光で訪れる人も少なくてひっそり。


こんなに凄いのに!と思った事を覚えている。



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上まで上がる石段をみて、


案外、すぐそこではあるけれど


もう今の母には無理かなと。



母も、石段をみて、怖気付いたのを感じたので


ベンチで待ってて!と声をかける。




下から仰いでいても、十分巨石は近く


迫力満点。


座って観ていられるベンチに誘導した。




が、母、そこが気に食わなかったのか




何も言わず、


ふらふらと、道ではない、


石段でもない


小道をつづらおりに造り上げた


木や草を払っただけのモサモサ「斜面」を


小道ではなく、斜面を!


ショートカットしようと、ヨタヨタしながら


登り始めた😱


は、はぁーーーーー❓❓❓😱


小道をゆっくり歩く事すら面倒に感じる

心許ない脚力なのに


その脚に向き合わず


ショートカットを選ぶ異常さ💦


母の手をガシッと掴んで


斜面を数歩登った母に←既に異常な光景


私「何やってるの⁉️ばば、やめて⁉️」


87歳母「・・いけるって。」


全く、全然、健脚でもない、


山仕事も畑仕事も「生涯無縁」で


今、もう杖を持って欲しいぐらいの


老人なのに。


呆けも拍車をかけて


自分への認知はどんどん歪んでいってて・・・



私「やめて❗️」


物凄く本気で止めている声も、届かない。



そういう人なの。




登ろうとするのを、


手の力で止めるしかない私。


どんどん大きな声になっていって


最後は


叫ぶように「本当に、やめてったら❗️❗️」と


響いた。




そしたら、やっと


呆けた眼差しを


私の目と合わせた。



あぁ、変なゾーンに入ってる人の目。


その目を見るともう怒れない。




けど、本当は


ボケではなく


元々、こういう人だったの。


元々そういう脳のゾーンに入っている人だった


こうやってずっと生きてきたの。


この行動は、呆けじゃなくて


通常。




呆けたのは


この選択を


取り繕う事、判断が、


できなくなったところなの。






母も、


はっとして


孫の手前、他の来訪者の手前だと思い出し


何かを感じたようで。


今がチャンス!と


母のプライドも尊重し


私「こういう斜面ってね、途中までいけると思って行っても、行けなくなった時には困ってももう戻れないの。転んだらおしまい。」


「私だってこんな斜面で転びそうな母を支えられない。戻してもあげられない。行くなら石段で行こう。ゆっくり行けばいいじゃん。」


息子、援護で (ちょっと引いてて言葉が出なかった)


「うん。ババ、こういうところって見た目より足場悪いんだよ。危ないって。」



やっと、母も折れて、


聞き入れた。



石段を一緒にゆっくり登った。


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もっと、厳かな気持ちで


この場に居る事を 想像していたけど




全然そうじゃなく、ドタバタだった


残念💦