心洗う Alan WalkarのFaded
アラン・ウォーカーのこの曲を
繰り返しリピートで一曲を延々と
聞き続けています。
車の中で。
新しい曲ではなくて
もう何年も前にリリースされた名曲
一生、きっと大好きな曲です。
私は父のDNA🧬の影響を
色濃く受けていて
音に影響を強く受けるタイプです。
凸凹息子の凸凹も
聴覚型の受動タイプでした。
息子は、幼い頃はその聴覚の過敏さに
苦しんだし
今でも、一般では聞こえない音が
聴こえているらしい耳を持つ息子です。
全ては、遺伝🧬
でも、
音に悩まされた耳は
音に救われる耳でも、きっとあるのよ。
どんな事も「表裏一体」
それが真理です。
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アラン・ウォーカーのFadedを知ったのは
学校への送迎時、
過敏な耳を持ちながら、
音楽を聴く事を楽しみ始めた凸凹息子が
私のスマホをいじって流す、
多様な曲の中の一曲だったから。
とっても静かに深く響く、
不思議な曲と記憶されたのでした。
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今、心の総仕上げの時に
この曲が、また掘り起こされて
繋がった、
その奇跡を感じながら
聴き続けています。
心が、到達する場所へ
私が向かいたい場所へ
絶妙に、導いてくれる。
支えて貰っています。(ハンドパンの曲と共に)
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母と車に乗って
この秋から
いくつもの場所を巡りました。

👇父ともきたカフェだったそう

この日は 父の位牌も持って
紅葉を観に連れて行った。
出たがりな母のリクエストでした。
でも私とのお出かけは、
数日経てば、もうどこに行ったかも
忘れます・・・
私は、忘れても構わない母の延長だからね
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晴れたよき日。
冬一色になる前に、少し遠出。
できる時に
今のうちに

素敵な眺め

ここのカフェは、昔、私が父母に
素敵なカフェがあるよ!と教えて
父母が2人でも訪れるようになっていた
遠方のカフェでした。
まだ元気な頃の父母と、
幼い息子と私も
一緒に訪れた想い出がある、
大切なカフェ。

拾ってきた綺麗な落ち葉を洗って
ファイルに挟んで今施設に飾ってあります

母は私の前では完全に「素」なの。
私は母の延長だから。
その弊害を私は
山ほど感じているけれど
母は、何もわかっていない。
自閉スペクトラムが強く
私の線引きすら見えないし
受け入れない。
でもね、ここに「他人」の要素が加わると、
少し違う。
人、らしくなる。
施設に入所させたのも
人ではない(人でなし)になってしまう母を
人にする為に
助けを引き寄せたのよ。
心がもうギリギリだったから。
他人を感じて「人」になっていて欲しかった。
今でも、
私を粗末に扱うその姿に
傷つく時もあるけれど
私は
私の価値を、
もう母に委ねない。
委ねていない。
素でいられることの恩恵を
私は知っている。
それがどれほど深く、
母の魂を救っている事かも
私が、知っている。
母が、自覚なく
このまま逝くとしても。
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色んな場所へ行く道中にも
ずっと繰り返し流した、この曲
この曲が流れていたら
黒い心には、なれない。
母もそうだったろう。
私もそう。
母へも
父へも
あの、屑な姉へさえも。
時には
旦那にも
息子にも
新しい段階の『心』へ導いてくれた。
あまりに今、
この曲に支えられていて
感動を通り越して
私もハンドパンで
単純でもいい、一生に一曲でも曲を作ろうか?と
思い始めたぐらい。
音楽って・・・すごい
周波数ってやっぱり凄い。
でも、私は
音楽が全く聴けなくなった時期も
経験しているから・・・
音楽も、諸刃の刃と知っている。
音楽、曲、メロディが聴けない
そういう時には
シンプルな音が寄り添ってくれた。
音に心動き癒された。
好きな音
鈴の音
小鳥の声
銅羅の音
鉄琴の音
虫の声
風の音
波の音
雑踏の音
川のせせらぎ
色んな音に、
支えられ、寄り添ってもらったよ・・・
音は、心にダイレクトに響く。
理由は要らない。
音は、魔法のような存在。
音は、神秘。
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父はクラシックが好きだった。
好き、というより、
切実に「必要」だったはず。
多分、音楽がなかったら
父は、生きていられなかった人だった。
人と
繋がる事、
関わることが
どうしても、自分をコントロールできず
難しかった。
自閉スペクトラムの傾向が強い
混乱、苦しみ、哀愁を抱えた人だったから。
なのに、心の感受性は
実は繊細で感度が高かったのでしょう
私も、私の中に
自分ではどうにも出来ないと感じる
混沌がある時の苦しみを知っている。
(それは、母も抱えているでしょう。血族の業なのだから。)
父は
食べるように
空気を吸うように
音楽を必要とした。
その切望はわかる気がする。
父は晩年
ヘッドホンでクラシックを
大音量で聴く刺激にハマってしまって・・・
大切な耳を壊してしまった。
父にとって生命線だった
酸素のように父に必要だった音楽を
聴けなくなってしまった。
不憫だったよ。
母はずっと、
父が音楽を空間に流す事を嫌って
許さなかった。
ヘッドホンに仕向けていった超本人。
父の耳が壊れても
多分、何もその意味を、
わかっていない母だった。
父が滅多にない悲しみを吐露しても
ふっと意地悪そうに笑って
上から目線で、傷つける意見をする人だった。
それは、
共鳴も
共感も
したくなくて
目の前の傷つく人を
あえてチャンス!と踏み躙って
気持ちよくなっている人の(母)の、姿だった。
同じ痛みが、
母の中にもあるはず、
あったはずなのに。
母は、自分の痛みに
触れられないばかりに
他者の痛みもバカにした。
もう一度痛みを味わい
傷つく事を恐れて
傷を守って守って守って、生きて、
イマココ。
自分にも
誰にも
寄り添っていない。
愛と、勇気がない人は
誰の痛みにも共鳴出来ない。
自分の傷が痛まないように
母も父も、
色んな酷いことを、
色んな失敗を、
重ねた人生だった。
父も母も、未だ絶望的に
自分がわからないままなのでしょう。
きっと父はまだ
母よりはずっと
母のその悲哀を
感じていたと思います
似た者同士で
傷つけあってきて
お互い様、な部分はあれど
別れなかったし
父は、母を大事に思っていました。
確かに
もっと慈しみ合う道もあったと思う。
だけど・・・
自閉スペクトラムの
お互いの壁は
本当に、険しかったね。
私は見つけたよ
そこに切り込む術を。
鍵(キー)を。
愛と、恥、だったよ。
息子を産み育てるまでに
切れなかった連鎖も、あった。
間に合わなかったものも、あった。
負のDNA🧬として
息子に渡してしまったものもある。
申し訳ない。
それを息子は背負って生きてゆく
私も、
子育てがひと段落したら
これで終わり!に、しないで
連鎖を生きて、
連鎖を切ってゆくからね。
それが
私の供養だよ。
父が、あっちの世界で
美しい音や曲に囲まれていると良いなぁ
楽しめているといいなぁ
そう願うよ。