きっちり、シンクロしてた事

ありがとうの巡礼中です。
今年中にはもう会えないだろう、と、
感じていた人には
感謝のメッセージを
送るかどうかも迷いました。
伝えたいけれど、
それすら、独りよがりかも。
今きっと、
大変な時を過ごしているのだろうから。
想像がついていたので
悩んだけど
でも、思い切ってメッセージを送り
お1人とは繋がる事ができました。
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ありがとうの巡礼に
巡った中に
今年、繋がった
臨床心理士の先生もいらっしゃいます。
寄り添って
理解を示されて
共感されながら
話す事で
救いが生まれました。
カウンセリングは一旦終了し
その後は自力で何とか頑張っていて
望む方向へ心を向ける事が叶いました。
先生へのお礼はどういう形に?と
考えました。
お歳暮?
手紙?
メッセージ?
手間取らせて、重荷かも。
やっぱり先生にとっての仕事の予約を入れて
「今の私」を見せて、会いに行く事かな?と思い、
御礼をする目的で、予約を入れました。
先生に半年ぶりに会えて
御礼をお伝えできて、良かったです。
必要な時に、頼らせていただこう。
この日に知ったのですが
先生の最初の職が
私と同じでした。
あぁ
やっぱり💦
先生との出会いも、
必然でシンクロニシティだった。
最初、人相をホームページで見た時に
苦手、と思ったの。
でも、
相を超えた🟰(業を超えた)人にしか
私は引き上げられる事はないのも
もう、知っていて。
・・・この方は、どちら?
たっぷり悩んで
直ぐには繋がれませんでした。
ある日、もう限界がきて
臨床心理士さんへ電話をしました。
その時の「声」と「話し方」に
たったそれだけの情報なのに
来た!!!!と
希望を感じました。
カウンセリングを始めてみたら
その勘は、大正解でした。
先生も、きっと業を超えた方・・・
そして それを
真っ当に循環させている稀有な方
素晴らしい・・・
ありがとうの巡礼の日は
医療的なカウンセリングというより
世間話?のようなフランクな話をして
先生の生い立ちに触れる事を「聞いても良いですか?」と
初めて質問しました。
私は一目置いた人を、紐解きたい人間。
そこから学ぶ事がたくさんあるし触発されたい。
先生も
「タブーは無いですよ。」と受け止めてもらえ、
ほっとしながら、興味深くうかがって
帰ってきました。
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昨日のブログ
母性の話に繋がるのですが
私が
お手伝いさんに育てられた話を
臨床心理士の先生に話た時に
必要最小限しか
言葉を挟むことがないスタイルの先生が
最後に「多分、・・・あなたが想像するより、私はそこにあった事を理解できていると・・思います。」というニュアンスの言葉を
噛み締めるように
控えめに
添えてくださった日を、
忘れません。
嘘くささがない状況、人、から
喉から手が出るほど、得たかったものでした。
語り切る事も
説明し切る事も
無理なのです。
普通に生きる人にとって
他者の人生など二の次で、普通。
所詮、理解など得られないのが現実なの。
理解されている、と思う事も
実は都合がいい幻想で、そのタイミングが上手く合致した、というだけ。
でも、有能な心理療法家は違うの。
自分を明け渡した状況で
ニュートラルに
私と対峙してくれて
私が1を話したら
10想像、
100想像が可能な方で
理解を示して
目の前にただ、居てくれる。
もう、そうでしか
私が満たされるように
理解される事など
無理なのだと、
悟るしかなかった中で
それが、望みだったのだから。
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私の生い立ち
私の存在は
まさに
ゲームチェンジャー
連鎖を断つ為に
生まれたような存在だと
自分を振り返って
自分の存在の価値を認める程に
全てが仕方がなかったのかも・・
という事を、理解するのです。
その意味
悲しさや
苦しさを
多分、先生も知っている・・・
そう思えました。
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姉は、母の目の届かない場所で(遠方で)
母方の祖母に2歳まで育てられました
私は、母は昼間は仕事で不在で目は無いけれど
夜は帰ってきて目が届く自宅で
母方の祖母に2歳まで育てられたそうです。
当時の産休は3ヶ月あまりだったはず。
姉は、私の育児の為にやってきた祖母と
再会するまで
祖母の家を出て離れてから
保育園と、実父母の家での生活だったそうです。
3歳の時の一年ですね。
私は
2歳からの記憶があるのですが
祖母に全く心を開いていなかった事を
感情記憶としてハッキリ覚えています。
その心の印象だけは
はっきり覚えているのです。
大人になって
子どもに関わる仕事をするようになって
どれだけ、
あの心が異常な事なのか
知りました。
勿論、母親になった人なら
わかると思います。
どんな他人に育てられても
その人を慕うしかないのが
赤ん坊です。
でも、赤ん坊の私は
祖母に全く心を開いていませんでした。
もっと幼い記憶が無い頃の
赤ん坊時代に、
私は一体、どう育てられたらのだろう!?
どう育てたら
あの2歳の頃の私の心になるの???
訝しく
私、虐待されてない?
薄々感じてきた
自分の中にある
完璧に押し込め抑圧している
時に溢れそうになる、孤独や闇や怒りや悲しみに
触れそうになった瞬間でした。
多分、祖母は
離れた家で2年育てた姉に再会し、
嬉しかったのだと思います。
大人しく扱いやすい
祖母の言いなりになった姉
私の育児の為に再会しても
興味と意識は姉に、向けていたはずです。
生まれたばかりの赤ん坊の私は
適当で良い「意識外」と決めたのでしょう。
この辺りが☝️
多分、その時の欲求が譲れない
母とソックリなの。
馴染みがない赤ん坊より
自分が育てた愛着ある姉の方に
自然に意識が向く人間で
祖母も、それを律する事が
難しい人間だったのでしょう。
発達障害脳です。
だから想像がつくのです。
勿論、
やる事はやる
育児だったでしょう。
犬猫を育てるように、きっちり。
でも、
心は共鳴させない。
自分で働きかける事もない。
そんな育児でも、自然と愛しいと思えたら
愛してあげるけど、
そういう子じゃなければ業務的、
赤ん坊の心は想像しない。
祖母は、自分のペースは乱させないで
完全に自分のペースで育児したでしょう。
そんな感じ・・・だったはず。
いわゆる
赤子にとっては
やんわりネグレクト状態。
信頼関係を築ける大人がいない状態だったのです。
私は、そういう中で
乳飲み子〜2歳まで育てられたはず。
そこで叩き込まれた「何か」があったはずです。
私が、子どもに関わる仕事をし始めて
多くの子どもと一緒に寝食を共にしていて
普通に
本物の親では無いから
充分ではないけれど
世話をしている養育者と
繋がれず、
心を閉じたままの赤ん坊など
ほぼ、あり得ない事を
目の当たりにするほどに
血族の業を感じてゆきました。
他人であろうと
赤子は求める生き物でした。
私も、勿論求めたでしょう。
でも、届かなくて、諦めたのでしょうね。
それが 私でした。
私が2歳を迎える頃に、
祖母は
祖母にとっての息子が(母にとって弟)
孫を産んだから!と
世話をしにイソイソと帰ってゆきました。
男の兄弟を特別大切にした
祖母だったそうですから、その長男に当たる孫に会える!とウキウキ帰って行ったそうです。
取り残された私達姉妹。
母は、私達を
自分で育てるつもりはなく
住み込みで
育ててくれる人を探しました。
その時に、乳母としてやってきたのが
私が、初めて
この世に生まれてから
心を開くことになった
住み込みのお手伝いの、
鈴木のおばぁちゃんでした。
ぱーーっと花が開くように
お手伝いのおばぁちゃんに
あっという間に懐きました。
自分でも覚えているのですが
大好きで
大好きで
愛しくて
愛しくて
身悶えするような「愛」を
初めて!!!
おばぁちゃんに
感じていたのです。
ある意味で、
幸せな出逢いでもあり
残酷な出逢いでもありました。
姉は
お手伝いのおばぁちゃんに
懐きませんでした。
多分、父母の嫉妬の
空気を、既に読んでいたのでしょうし
姉は祖母には多少、
私より愛されたので
ある程度、満たされて生きて居て
祖母と生き写しに似た母にも
心を開いていたのだと思います。
姉は当時、
父の血を色濃く表していて
もじもじした、
自己主張の苦手な大人しい子どもでした。
いじめられっ子のタイプです。
気が強い、
自分のペースが最も大事な
祖母とも母とも、
姉は、相性は良かったの。
私は残念ながら
母に似ていたのです。
きっと祖母も、
母を育てた時のように
姉を大事にし、
意識と注意を姉に最大限注ぎながら
差をつけて(祖母が、母にした最も最悪の事)
ネグレクト気味に
私に接したはずです。
ただ、
姉への養育は
私に与えるよりは
愛はあったでしょうが・・・
しょせん
血族の中の連鎖を抱えた愛、
だったでしょう。
祖母が
自分の子、長男と次男を育てた時の
空気だったはず。
そこには歪みがあったはずです。
そして
何度も書くけど
私は祖母に、
母を育てた時と同じように
育てられたのです。
予想ができるようになったのも
闇が極まってしまったからです。
姉も
私も
祖母に育てられ
血族の業を受け継ぎましたが
ここからが違うのね・・・!
私は
血、以外の人に
血族以外の人に
心を許し
開き
愛して
心の循環ある中で
たった数年だとしても・・・
育てられてしまったのよ。
私が
血族のゲームチェンジャーに
なった理由でした。
ここに生まれていた悲哀も、
臨床心理士の先生は
深く、受け止めてくださいました。
人生で初めてでした。
ありがたかったです。
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私はもともと
家族の中で特異点でした。
家族の心が透けて見えるし
血族で隠していた
暗黙のルールを侵す存在でした
でも、人の気持ちも
感じてしまう人間に
育ってしまった。
これも悲劇でした。
混沌で苦しくて
生き直しを始めた頃から
自分を責めました。
自分が親になると更に
色んな視野が生まれましたし
本当は
ボタンの掛け違い
心の選択、道を誤った非の大元は
両親にあるのに
私がよその人に心開いた事を
私はどこか恥じました。
親も
人との繋がり方
関わり方
自分を明け渡す心のコントロール
やり方が絶望的にわからないまま(発達障害だし)
向き合えないまま、生きてきた両親には
子が、
親以外の人間と繋がってゆくのは
とても衝撃で
悲しく
悔しい事だったでしょう。
姉はこれでうまく行ったのに!親は自分達はおかしく無い!と思ったでしょう
(本当はそうではなく、抑圧した歪みを姉にも負わせていたのですが。)
その心がわかるからこそ
自分中心な屑っぷりを
あり得ないほど、
たくさん投げられて
生きてきたのに
両親を、捨てられなかった。
全てが仕方なく、
今もここに、存在している。
切なくて
受け入れ難く
何十年もジタバタしたけれど
もう、それを全部
許すのです・・・
許さない事を含めて
許すのよ。