境界から見る景色

はじめましての気持ち

食べる、にまつわる実感



とある地元で愛されている郷土食

ソース味のスープ麺って感じ。


「郷土食」とか「家庭の味」というジャンルに


目がないワタクシです。


愛されてきた・・・とか、

作り続けられてきた・・・とか


そういう中に


何があるんだろう???と 思うのです


共感する何かを掴みたくて、挑戦するけど・・


このコはまだ、掴めず💦


いつも ウムムム・・と思うのに

でもまた興味津々で、いつか食べると思う



菊の花


これも同じゾーンですw


まだよく分からず。


これを定期的に繰り返して食べているのは


惹かれた漫画家さんが、

菊の花が大好きだと知ってから。


季節になって見かけると、つい買います。


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好きじゃない、なら

距離をあければ いいだけ・・・


なのだけど。



こと「食」に関しては

誰に迷惑をかけるわけでもなし。




時々思い出しては観察モードで


チャレンジします。


惹かれる味だけではなく、


未知に触れる感覚はわくわくします。



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「食」にまつわる さまざまなコトは


自分の「実感」を探るツールとして

ある時期、とても大切なものでした。




外から侵されるリスクの低い


今ここ、の『実感』って・・・


実はとても少ないものだと思うんですよね。



人間ってそんなに 


自分で思っているほど

自分で考えてないし、感じてもいないです。



混沌のまま矛盾を抱えても


生きられるように、


大抵はできているんだと思います。



社会的に生きるって、

案外そういう事かもとも思います。



それができる事も

実は、優れた「能力」なのだと



凸凹君を産んで、思うようになりました。


難しいアンテナの人間もいるのです。




真似しても 

真似させても


混乱して 混沌が深くなって

壊れるだけ


人は人、私は私、でした。


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子どもは親からも社会からも


無意識に価値観を受け取っていますよね



自我が確立する頃に


社会や親と、自分の価値感に


大差がなければ


苦しむ事は少ないのでしょう




でも、自分ではないものを

ぎゅうぎゅう詰に、手渡されている場合は



反抗期も強くなるはずだし・・・


不安定にもなり・・・


子は必死に生き残りをかけて

模索するんだと思います。


誰だって、嘘っぽく生きたくないから。


人によっては、本当に生きられないから。


自分は何を感じているんだろう????って。



その中で、他者に侵されにくい『実感』が


多分「食」と「恋愛」だと思うんです。


本能に近い、アンテナだからです。






恋愛、は「恋」です。


人とする 恋愛だけでなく

恋に落ちる瞬間って何にでもあります


動物や

音楽や

自然や

さまざまな物や

観念も


惹かれるものにハマる感じの


アレです。


対象は人によって多種多様なはず



恋に落ちるのに理由なんかない・・・という、


この仕組みこそが


可能性そのものなのだと思うのです。




理由なく繋がる世界


これを、どう扱うのかに

生き残りが潜んでいます。


何故なら、理由はあるからです。




自分がそれを、どう扱うのか

他者が自分のそれを、どう扱うのか


実感を味わうほどに


問いへの答えが腑に落ちてくるんです



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ハマるものは一歩間違えば中毒にもなる


その理由は


生き残りのギリギリの選択だからだと思います



決して、能天気に

惹かれているわけではないのですよね


簡単に否定されて(させて)

よいものでは、ないのですね。



惹かれる事は間違っているわけではない。


回復への心のベクトルだと思います。




凸凹傾向の人間はハマりやすい脳だとも

言われています。


状況把握には役立つカテゴライズだけど。


何となく・・・愛のない洞察だなと思います。


この傾向の脳があって

この世は発達したのになぁ〜






どうしても毒にやられて進めない時は


カテゴライズして休憩。




ただ、


惹かれる事は 

悪ではないと知っている事は


自分や

他者を


あやめない


視野なのだと思います