境界から見る景色

はじめましての気持ち

風が好き

ここ数年、季節になるとお世話になっている

鮎料理のお店


あのテラスで💦


あのテラス席で、食べるはずだったのに💦


骨皮スジ右衛門な父の「風が寒い!中で!」の


一声で、店内に💧💧💧



ガラス張りで景色は楽しめた、けど


ちょっと、残念💧



予約時に「テラス席で」と言ったので


きっと、わざわざ1本だけ

立ててくださっていたパラソル・・・


(オープンが2週間前倒しになっている事を皆さん知らないようで、お客さまが3組だった)


ごめんなさい( ;  ; )


心よく店内に変えて下さって


ありがとう💦


店内も、ほぼ貸切に近い、優雅さだった



鮎雑炊


〆が一番好き。




鮎料理の帰り道にあった とある神社




ずっと気になってて、初めて訪れた。




うわぁ〜✨


凄い好きだ〜✨


きれい〜✨ 


と、


1人盛り上がったけれど


老人は、


黙々と。




昔から、


私が

心惹かれ

心躍るほど



何故か、斜めに構える人達だった・・・







ここから右に振り向くと

木陰にベンチが3つあった


あの川の景色を望むように。


あぁ、あそこでぼ〜っとしたいなぁ・・・



が、車に早く戻りたい老人は黙々と





次は、一人で来たい



いや、神社好きな人と、かな。




この日は陽射しがあって


でも、風が吹いていて心地よい


絶妙な日だった




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私は風が好き


大好き。




風に当たっていると


どんどん元気になる。




だけど


何かと真逆な旦那は


風に当たると「疲れる」という。


とくに海風は、そうだと。




若かりし頃は


えーーー😱っと思った。


そんな人がいるんだ!?と。




私にとって海風🌊こそ、


最も惹かれ、求めるものだったから。




今は仕方ないのもわかる


体質だからね。


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大切に思うもの、


大切に思うコトが違うのは


実家の親もそうだった。




私が、生まれて初めて心が繋がった人が


血の繋がった両親でもなく

血の繋がった祖母でもなく


住み込みの、おばぁちゃんだったからか。


とにかく、


ここまで生きてきても


彼らは、


面白くなかった私を


とある設定にカチッと嵌めたままで、


変えなかった。




悲しい 凸凹人の あるある、だ。




自閉スペクトラムって


そういうことだ。


一度カチッと設定されたら


恐ろしく変化が難しい




私が


親以外の人間に


心を開き、許した事が


悔しかったし、

悲しかったのだろう


親子になる方法が

わからなかったんだよね


でもね、


親になるって・・・

そういう事じゃないよ


覚悟も足りなかったんだろうね


姉も2歳まで遠く離れた別の場所で

祖母に育てられたそうだから。



親になってないままだったんだろうね



親子になるって、


そういう時に、

傷ついたり

拗ねたりする事じゃないよ



今は、


同情はあるけれど、


あの時の私を、

申し訳ないと思うことからは


解放された。


どこかでずっと


そう思え!と、求めているあなた達を


感じてきた。


今でもそう振舞っているよね。


でも、それも


やっぱり、違うよ。





私も、苦しかったよ


あなた達が私になにをしたか


知らないでしょう


生涯その視野を持たず旅立つのでしょう


鶏が先か

卵が先か


その答えも


自分が生きて見つけたよ


親になって知った


親になれて、知れた


私はもう、


誤魔化される事はないよ。




あなた達が、


子は親の所有物として考え


私に背負わせた役割は


歪んでいたよ。






共感は育たず、「違い」は埋まらなかったね




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時々、考える。



親子になり損ねている、


私と父母の関係を


誰かに説明するのに、ちょうどいい表現って


何だろう???って




旦那にすら


なかなか伝わらなかった。


自分の中に「親子」の思い込みがあるから。




旦那は実際に、私の親と関わって


やっと知ったのだ。




「何故、実の娘にあんなひどい事が出来るんだろうな。」


そして、堪忍袋の尾が切れて


息子が産まれて


病院から初めて私達が


自宅に戻るその日に・・・


ブチ切れて


旦那は、私の両親と縁を切った。(今は年1の玄関先の挨拶だけ。)




私達を守る為でもあったろうし


旦那が悪くないのも知っている。


ただ、いつもの、


どうしようもない、親だった。




旦那が


ここで縁を切るか?と


選択を、


持ってきてくれたような気がした。


何度も脳裏を掠めた、望んだ事だったかも。


でも


できなかった。





そこからは


怒涛の16年だったなぁ。




旦那と息子を、親から守りながら


でも、


親も、見捨てず


かと言って、


おもねる事はしないで

譲れない事は譲らず、を


示した。




父母と似てきた姉にも


直面し、もがきながら。





全て、血の負の遺産だった。




正直、今でも、頻回に心乱される。




今でも、


あの選択が


良かったか悪かったか


わからない。



全く、誇れる気はしない。





あの時、違う道を選んだ自分がいても


それでいいよ!と言ってあげられる私も


常に、いる





今の私は、


あの時、選択できなかった自分の


尻拭いをずっとしているのかも知れない、とも


感じている。




でも


現実は


今ここで。


ここを生きるんだ。


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私は、おばぁちゃんと生き別れた時に


私が捨てた、という気持ちを味わっていた。


どうにもできなかった子どもなのに。



色々なものを背負って


すがりつけなかったから。





すがりついて、泣きじゃくれたら


離れたくないと叫べたら


何かがもう少し、違っただろうに。





その日から


1人でいる老人を見かけるたびに


泣けそうな苦しい気持ちになっていた。




この気持ち・・・これは何なのか?


と不思議だった。



乖離していたのだ。




住み込みのおばあちゃん(親)を


想う気持ちだと、


苦しすぎて


繋げられないままだった。


大人になって知ったのだった。





その、老人へ動く心の仕掛けが


今、老いた親へ


動いてしまうのだ・・・





大好きだった、おばあちゃんが


私に残した


仕掛けだ。





おばあちゃんへの想いを


親へ返してゆくのは、癪だけど




おばあちゃんが残したものなら


心の疼きのままに


運命の中で


生きてみるから





見守っていてね。


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両親は、私の「親」だと


思っているだろうけれど、


(確かに血は繋がっている)




でも、私は、


今でも親子とは、感じていない。




親子にはなれなかった関係だった。



彼らは


あまりにも、取り返せない失敗を


振り返る事から逃げては


重ねすぎた。




ネットに書くには


はばかられる事もいくつもある。


まだ言葉として整理できない痛みもある。



それをどう収集できる?


もう間に合わないだろうな、としか。



私は親子になる事を


馬鹿みたいに、


最近まで、諦めていなかった。



けど、


受け入れた。



それもありなんだな、と。


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人の関係は


血、じゃない。


産めば親になる訳でも、ない。




クラスメートが


一緒のクラスになったからと言って


全員が、友ではないように。




全ては、育むものだ。




私と、両親との関係で


一番近い表現を考えてみると


『腐れ縁で一緒に仕事をする上司が、ある日、認知症になって、私の事を、自分達の子どもだ!と主張して、親のように振る舞っている・・・』


そんな


感じかな。


今のところ一番しっくりくる。



認知が違うから


私からは違和感だらけ。


でも、その違和感を理解して貰うことも


修復していく事も


この状況では難しかった。




ずっと



こう感じている事を、言葉にできなかった。


自分を裁いて、私がおかしいのだと


正直になれなかった時は


苦しかった。



でも、今は率直に感じられて


幸いだと思う。




そこから続く、ものが


重要なだけ



なにを感じていても大丈夫




苦しさを


違和感を


無意識に押し込める事がなければ




不幸を願う事はないし


歪んだ選択もしない



自分にも


他者にも。





自分を知るのは


怖くない




無意識に翻弄される方が


ずっと過酷で


ずっと怖い事だと知っているから。