涙と空襲と地震➕父と似た人
7月28日
久し振りに泣いた日。
朝、母の施設に行く為に、
車に乗って気づく。
シンシンと染み入る切なさと、寂しさ。
抱きしめられたい、と、ただ願う
孤独感と、焦燥感だった
抗うことはしないで
涙を解放しながら、施設に向かった。
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憑き物が落ちたように
色々を手放し「楽」になってから
本当に毎日、涙していた日々も
嘘のように遠ざかっていた。
(涙は止めません。涙が溢れる事に対しての恐れやジャッジは遥か昔に手放していて、解放であり流れだと受け止めています。)
だから、本当に
久し振りに・・・泣いた日でした。
何故だろう?
思い当たることはなかったの。
共鳴してしまう「何か」にも、触れていない。
特に母ともトラブってもいない。
屑姉も来ていない。
我が家も通常通り。
何が引き金で涙の解放が起こっても
淡々と受け入れるのみだけど。
今回は、
降って湧いたような涙で
周辺に理由が見当たらなかった『からこそ』
心は、いつもと違って
その涙と想いに寄り添えた。
いつもとは違う感覚と、発想があった。
なるほど、と思ったよ。
現実と連動していなければ・・・
切り離して捉えられるなら・・・
多分、もっと楽だったのだな。
もっと、違った方向へ歩けたのだ。
それを知った日だった。
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施設から帰宅する時に、
北の空が真っ黒だった。
雷雨に⛈️なる?
買い物に向かい
そうこうしてたら
雷鳴と稲妻が⚡️走り出した。
普段なら、
私は、雷⚡️は苦手だから・・・
素直に帰宅するのに
この日はちょっと心が違っていて
あえて、
雷鳴と稲妻⚡️が走る
黒い雲の下へ
車を走らせた。
どんな景色だろう
その先には、
父母を連れて行った
あの場所がある。

雷雨の豪雨になる直前に滑り込んだ。
雷雲の中でみた景観。
体験。
足元は強風でいつもより揺れていた。
ジジもここにいたら
心動かした景色だったろう。
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実は、エレベーターでご一緒になったご老人の
ガラスに映った顔が、父そっくりで
衝撃だった。
思わず、ガラスの外の景色を混みで
撮影しながら、
お顔を覗かせていただいた。
ジジ、がいるようだった。
まるでジジと一緒にエレベーターに乗っている
過去にいるようだった。

拡大。ぼんやりだから許してね。
特定は不能だと思います。
似た人はごまんといるでしょうし。
でも、父を知る誰かに見せたら、
父じゃん!と言うぐらいには、似ていました。
動揺したし
切なかったし
嬉しかった。
実はこの数日前にも
父と似た姿で
自転車に乗る老人を見かけました。
痩せた背格好、
微かな背中の曲がり方
頭の形
髪の毛の量とか色とか
服のチョイス
マスクしてたから余計にね
そっくりで
振り返って
見えなくなるまで目で追った。
複雑な気持ちだったけど
懐かしく、
嬉しかった。
こうやって時々、
父は会いにきてくれているのかも(笑)
ちょうど、命日の頃でした。
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施設で、
母の足の爪を切りながら
『もう一度、父の足の爪を切りたい、』
と、強く思った。
父は最後の頃の爪切りは
入浴のデイサービスに任せてしまっていて
私が切らなくなっていた。
私がずっと切ってあげてたら良かった。
大切な時間だったのに、と、後悔。
母の爪を切るたび思うよ。
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28日、この日は
後で知る事になったのですが・・・
この地の「大空襲」の日でした。
8割が焼け野原になった
とても酷い空襲があった事を
私は近年知りました。
軍需産業を担った工場が
実はたくさんあって
日本の士気を下げない為に、
あえてひっそり封印されたようです。
そのまま敗戦になり
ひっそり伏せられたまま
焼け野原になったこの地を
地道に尽力し、
復興した人の力に
想いを馳せました。
そういう空襲や
大地震が(これも士気を下げない為に伏せられたと聞きました。)
愛知にはいくつかありました。
そして、この日、
熊本の地震が起こった日でもありました。
涙が先に、流れたのかな。
ざわざわした心
切なかった心
抱きしめて欲しかった心
理由の見つからない
涙の訳が・・・
一瞬、腑に落ちた気持ちになりました。
旅立たれた魂の安寧を心から願います。
被災された方達の生活が1日も早く戻りますように