境界から見る景色

はじめましての気持ち

理解する事のメリットとデメリット

めい





理解するって、責任を負う事なの。


理解した分、必然的に

深く生きなければならなくなる。



だから、



その余裕がない時や・・・

勇気が持てない時、・・・

もしくは自己保身しかない人は・・・


実は、理解する姿勢とは

程遠いところで生きている。




率直に言うと


人間は、安定していたい心が

自然に働く生き物だから


8割の人は、


あえて他者への理解を深めよう、

などというスタンスを、実は持っていません。


大抵は「理解する振り」を身につけ、

そこで終わるのです。


理解できなくても、当たり障りないところまで距離を取る、とか、関わらない、とかね。


これが現実。


けれど、その生き方が間違っている訳ではなく、

それが普通の人で、この世の安定なのです。


その生き方で、

この世を旅立つまで、

無難に生きられるなら、


最もリスクが少ない

賢明な選択なのでしょう。


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私が、「理解しなければならない」と

思い込んだ人達は


ネジが外れた

歪んだ家族でした。


そう思い込む事も必然だったし、

私の純粋さでもありました。

仕方がなかったの。


けれど、


歪んだ心を生きる人を、純粋に理解したいと

願ってしまった事は


人生の不幸でした。


その、歪んだ心を体験する現実を

無意識に選び、

引き寄せて、


その心を体験する事で

理解しようとしてしまうからです。


それは


切実な願いを無意識で持ってしまうと


これまた無意識に、それを体験できる方向に

運ばれてゆく仕組みなのです。


無意識は、優秀で嘘をつきません。


苦しい道のりに無意識に生きていたのでした。


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人って、本当に、驚くほど


巧妙にできているの。


引き寄せの法則って、


無意識に生きる人にとっては

認知できてないから晴天の霹靂のような

ものに思えるけれど


そういう心理学的な側面の

お話でもあるので


最初は、特に何も思わず

新しいアプローチ、新しいキャッチコピーで

人を鼓舞しているのだなと思ってみていました。


でも、だんだん、


逃避した人達が、現世利益を求める欲で

その言葉を消費するようになってしまった。


今では「引き寄せ」、という言葉を

安易に語る人や、その周辺に群がる人とは


私は無知な振りをしてでも


線引きをします。



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以前、友だった人の子どもが

成人後、その友とうまくいかなくなって


友とそっくりなものを

生き始めた姿を、


友から知らされました。

文句一杯に、とても冷酷に。


昔の友は、何が起きているか、全く理解できていませんでした。


それを知った時も


思いました。


親の愛は、よく純粋に語られるけれど

本当は子が持つ親への愛のほうが、

ずっと純な愛なのだと。


親は自分が欲しくて産み出す命が、子です。

その時点で欲なのです。

いつの時も、実は、条件付きの愛が殆どなの。


多分これも8割の人間がそうでしょう。

8対2の法則はどこでも通じます。


それでも、自分の愛は深いのだと錯覚して

生きられるママさん達は、幸いなのよ。


これって毒を吐いている?

8割の母親をディスっているのですから。


でも、いいえ。

それが普通なのだから。

自分が純粋だと思っていたいなら

思っていたら良いのです。



様々なアンテナで深く感じる時、

私は、現実は違うなと、悟ってきただけです。


上記の友の子の


ピュアな愛が( 親の業を生きながら理解しようと試みる姿が )


もし、誰かに ( 母である友であれば最上だけど)

受け止められる日が来るならば


その勇気と愛は昇華されて

子の中に、本物の愛として残るだろうけれど、


これも


悲しいかな、8割は失敗するの。

それが、普通なの・・・


いつか混沌に飲み込まれて

疲れ果てて

心を閉じて

歪んだまま、生きるようになるの。



たくさんの悲劇が

普通に、溢れている・・・




知っていても、それでも、

願うのです。


そうして生きた 子ども達へ。




その勇気が、


様々なカタチで報われることを。


諦めないで生きて


もし、親には届かず

想いは叶わなくても


違うカタチで


報われてゆく事を。



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理解を深める為に、


この世の現実を


理解したい相手と

同じレベルにまで落として、


ハードに生きるのは


不幸で、しんどい事です。




では、もう少し

それを違ったやり方で出来ないか???


自分を地獄に落とさないで

理解を広げる事は出来ないか???


というと


多分、できるのです。


私はそれを、上手く使いこなせなかったけれど

(多分それも、私には運命だったと思います。)


理解を深める事が、どうしても必要な

多くの人は


それを


無意識にやっています。


惹かれて

惹かれて、

導かれてゆくの。


人の中でもがくのではなくて


映画を観たり

漫画を読んだり

小説を読んだり

絵を観たり

音楽を聴いたり

冒険をしたり


今の子達は

それをゲームの中で

体験していたりします。


ゲームの中に


昔の人が感じるような、映画を味わうような世界があるみたいです。

(私はゲームをしないのだけど、動いている心を人から読み取れるので理解します。簡単にゲームは駄目と否定していいものではないと私は思います。必要があって惹かれているのだから。)


どこかの誰かたちによって

切実に創造された創作に触れる時


同じ心が震えるのです。


何度も何度も、

繰り返して味わいたくなるものは


味わう事が必要だから。


身を切るように

この世に生まれた作品には


必ず、力が宿っています。

(そうではない作品も溢れていますが)


ちゃんと私達は、受け取っているの。


創作に触れる事はきっと


とっても優しく聡明な


人の心の理解、

受け取る心を


広げる方法でしょう。


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臨床心理士さん達が、


本物のプロになる為に


自身をプロに分析してもらう過程がある事を

知っていますか?


どんなにトレーニングされた人にとっても


辛く、苦しい事です。


自分が向き合えていないものに・・・

隠してきたものに・・・

無意識の癖の理由に・・・


自ら、直面しにゆくの。

チャレンジです。


こんな作業、生涯一度もしないで

死んでゆく人がほとんどです。


それだけで、


どれほどこの選択が尊い事か

私は理解しています。


だから、どんなに「自称◯◯」と

偉そうにする人が現れても


へーーー・・・と


感じるだけで。


尊敬する誰かを持たない人は

簡単に「自称◯◯」になれるのです。



人には、

自分に隠している心があって

隠してきたには理由があるの。


それを


できるだけ安全に

できるだけ優しく、


自覚して、

自由になれる事が

解放される事が、最上だけど


そうもいかない事も、あるのです。

それも仕方ないの。


でも、臨床心理士の資格を取っただけの

自称専門家ではなく、


本物の専門家になる為に


混沌を抱えて行き詰まった人へ

深く理解し寄り添えるプロになるのだと


人生に導かれた人達がいるのです。


どんなに


自分に切り込み、

その道で自身を磨いているか


垣間見た事があります。


以前、とある大学のセミナー合宿で

何人かと一緒に過ごす機会があって知りました。


今、私がお世話になっている臨床心理士さんは


どんな道を通ってきたかは、知りませんが


臨床心理士の姿勢としては

私が昔、知った方達と同じだと感じました。


とっても稀有な存在。

ありがたい出逢いでした。


上記の大学のセミナーは

自己啓発系のセミナー合宿でした。


グループに分かれて5日間、


社会的に生きる日常では

心に隠している率直な声を

グループの中で少し出してみる、

・・・という事から始まるのです。


これは書くとあっさりだけど


体験した人でなければわからない

混沌が、始まるの。


そのセッションが一日に5回程✖️5日間


何が起こるか、きっと想像がつかないでしょう。


個々にとって、自分が隠しているものが外に放たれて始まる、とても辛く苦しい時間なのです。


心理のプロでも不安定になって

苦しんでいました。


でも、その向こうに、


絶対に、何かがあると

何かを掴める、と


信じる心が ( ミニ擬似体験では、既に小さく知っているから、信じるというより、予感なのです。)


持ち堪えさせるの。


そして、


それぞれが自分にとって


明かされた真実を、持ち帰るのです。


私が、この時に得たものは


❶私は父母を守りたかった、という想い

❷自分を生きるには「今、ここ」に生きるしかない、その繰り返しにしか実感は無いのだと


知ったのでした。


このセミナーは人を揺さぶる危険性があるもので

4ヶ月後に

フォローアップがありました。



案の定、


私はそこから一度、

鬱っぽくなって


フォローアップを終えた直後

悪化して、


フォローアップから3ヶ月後に


フラッシュバックを起こして、


死の縁に向かって


人生の棚卸しが強制的に始まった感じでした。



その時から25年以上が経ちました。

長い時間をかけてコツコツ向き合ってきた人生を

今は、抱きしめられます。


ありのままを知りたかった

ありのままを受け止めたかった




私には


この方法しかなかったけれど

これも仕方がなかったと自覚でき

受け入れています。


でも、たとえば

守りたかった父母には


この苦しみは

味合わせたくなかったです。


もちろん、愛する人にも。


私とっては最善だったけれど

もっと、違う方法があっていい。




大きな衝撃がなくとも


深い変化や、

深い手放しは


理解を深めたら、

きっとできるはず。



そこに私も、

小さな力だけど

その心を持って


尽力したい。


大きな衝撃的なドラマ

悲しいドラマは

命を消費するドラマは


いらない。


この世から消したい。


それを必要とする人の心も

消し去りたい。


その必要がなくなる創造を

体現する小さな1人になります。


隣で、ただ、共感するよ。


この共感が、

衝撃や悲劇のドラマを

生まない


一歩だと知って。