境界から見る景色

はじめましての気持ち

自分が書いたblogに救われる

めい

2年前の8月のblogです。



今日、苦しくなった理由は


また、姉が


母の入っている老人施設の職員に、


良い顔をして、立ち回っているのが

わかったから。




私は、母を守る為に、老人施設に

良い顔だけを続ける事は、


できませんでした。


でも、姉は


都合よく、母に会いに来るだけで何の責任もなく


いつもの、人のよさそうな演技をしていたら


いいのだもの。



私は


施設側の狡さも、

落ち度も


何度も何度も、飲み込んで


足りないものはフォローしながら

指摘しない空気で

優しくお願いしてきましたが


結局、


そうしている間は

舐められただけでした。


放置され

いい加減にされ・・・


言わざる得なくなったの。


コワモテの家族がいる老人は

慎重に扱われている様子も見受けました。


よくある事でしょうが。





私は、


苦しくなりました。


背負うものが2倍だから。


クレームを

クレームとしての態度で伝える事は


施設のスタッフに、


ある意味で「疎まれる」と言う事です。


私のキャラクターでは特に。

怖い人には見えないから。



これも、普通の家族なら

お互い助け合える。


少なくとも

家族は(姉は)味方で、


理解していてくれているから

疎まれても、嫌な役回りでも

やり切るわ!と


力に変えれるものでしょうが。



姉はうまく立ち回り

善人の仮面を被って


施設側もその様子を

都合よくみている・・と言うのが


想像がついて


今日、まさに、


そのゾーンに入っている事を

施設長から、感じたの。


似た者同士だものね。


もう、施設長には私も

期待をしていませんでした。


見切った人だったから

ある意味で、

想像通りの流れなの。


けれど、


現実に目の前で察知して


苦しくなり、ぐるぐるしました。


あーぁ



施設長にしたら


絶縁されている側の親族は(姉にあたる)

実は、慎重にしたい相手なの。


死後に施設を訴えてたり、

問題にする人間は、


介護の責任者を担っている家族から絶縁されている、今の姉にあたる人達らしいです。(初期に聞きました。)


施設にとっては


家族間で何があったかなど、どうでもいい。


私との信頼関係より

後々、施設が訴えられるリスクを減らせる事が

重要なの。


その立ち位置に入所後にさっと立った時に

それも、悟りました。



❶姉はよく思われたくて立ち回りたい


❷施設側は訴えられるリスクをケアしておきたい


都合よく合意できた関係なのです。




この構図、


女司法書士と女税理士で

セカンドレイプされた時と


全く、同じです。



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わかってはいるけれど。


損な役回りしかない自分が

悲しくなりました。



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何も知らない人が




姉に都合よく騙されてゆく事で


もう


傷つきたくない・・・





正直、介護をお願いしている施設の人は


理解して私の味方でいて欲しかった・・・


これが本音でした。


でも、無理な事だと悟ってすぐ諦めました。




そう願うことも


母の存在が、


シンプルではなさすぎて。





恨みはあるけれど


結局は、


母の幸せや

安全を願う事が


私の根っこにあって



自分の印象を優先する事や

都合よく立ち回る事より


母の処遇を改善される選択を

自分を犠牲にしても選びました。


それでいいや、と

私が知っていたらいい

達成されたのだから、と

自分に言い聞かせてきた日々。



もちろん


介護をしている人に聞けば、

親を捨てた気持ちの人、以外の


家族は


どこも、老人施設とは、

皆、色々あるようで、


この関係とて、

特別のことではないのでしょうが



姉の存在が

苦しさを倍増させるのです。



損な、役回り😢



胸が疼き、

ぐるぐるしていました。



自分のblogを開き


読まれたblogを何気にスクロールしていたら


この昔のblogが。


それが上のblogでした。


読んでみたら

苦しかった気持ちが半分減りました。


そう。


あれは現実だった。


どんなに、今、取り繕って良い顔をしている

姉や母がいても

面倒だから目を瞑っている親族がいても


全て現実だったよね


あれを知らない施設の人達に

どう思われても


それがなんの意味があるの?



自分が表現したものに


力を貰ったの。





そう、


どんなに他人が


自分の都合で勝手に

私の事を判断して


勝手に思っても


大丈夫


思わせて置けばいい。





彼らは


都合が良いものを

都合よく利用しているだけだから


それが


正解ではないし

真実でもないし

美しさではない


私がみえる世界を

私が選んだ選択を


まずは、

私が知っていて



傷つく必要はないよ、と


私が私の心を抱きしめる。




次に、


理解されたいと願う心がある事も

受け止めて



仲間に会いに行ったり


私を知る人に打ち明けてみよう

でも、悲しみすぎず


一緒に、今を楽しもう。



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コインは、


ご先祖さんは知っている、

私を支えているよ!と、出た。


思わず涙。


そして


『もうあなた(私)は この問題を超えているよ』、と出た。


言いたい事はわかる。


3度目だし


彼らの振る舞いで

私の「尊厳」が傷つけられる事はない事は


知っているもの。


そのコインにも、涙。





それでも、


目の当たりにしたら


やっぱり悲しいのは


どうしても、疼いてしまう心は





過去に、


ない事にして押し込めた


心なのかな。