境界から見る景色

はじめましての気持ち

小学校以外の居場所へ❷ 【加筆修正】

デニ号 飛行するラジコン

子を守る為の、医者の診断や発達検査も


息子の場合は、受け持ちの先生への伝達へは


役に立ちませんでした。




ある意味、普通に見えてしまう子だからです。


大人しく感受性が強いけど、

指示も通り、集団行動もでき


大人受けする印象の子だったから。


最初は幸いだと思っていました。


でも、パッとわかりにくい発達の凸凹は


配慮はされません。

それを痛感する事になりました。




カウンセラーさんには


「こういう事が出来ないタイプだから・・・」と説明した方が、知識がない保育士さんには角が立たないかも、


と、暗に【発達障害】という言葉を出さない方が凸凹息子君はうまくいくかも、と言われました。


多分、学ばない保育士さんの視野では

神経質な親、扱いで終わる事例がたくさんあったんでしょうね



でも、気を回して説明しても、駄目なのです。


子を守る為に、診断を受けても、駄目なのです


結局どっちも、伝わらない・・・


学ばず、都合で


それは甘えであり


それは過干渉だと


判断されるのです。




診断すら隠さねばならない、


微妙なゾーン。


溜息が出ました。




ある種の保育士さんは


通常の幼児教育論を隠れ蓑に


虐める側に関わるのが面倒だから←これが真実


「正常な子ども同士」の

「正常な発達過程」という事にして


飢えた子どもに、生贄として差し出すのです



そんな人に、どう伝えても希望は持てず


解決ができないまま、子は人質になって

その中で育つのです




ある種のボーダー児は


日本でずっと


見逃され

見捨てられ


大丈夫、

普通よ

甘えじゃない?

それも仕方ない


と、


抑圧され

搾取され


育つにつれ


苦しみを


どんなふうに背負って、社会にでているか


わかる気がしました。



--------------------



この頃、私は


見た目にわかる凸凹を持った子を

心から羨ましく感じていました


そこにも幸があるんだな・・・と



市からのサポート

病院からの療育


子ども同士も、

保育士も


凸凹が目に見えてわかれば


対応が変わります。


人生の先には受け皿もあります



『居場所』がありました。



真っ直ぐに見つめるほど


何もできない


どこにも居場所がない


八方塞がりな気持ちを


どうすることもできなかった頃でした。


----------------


ちなみに、一つ目の保育園を辞めた後


 二つ目の幼稚舎にトライしましたが、


楽しそうに過ごしていた時を経て


同じような事が起きました。(家庭環境が大きく悪化した子からでした。)


これがきっかけで、


人に対しての怖れが出てきてしまいました。


赤ん坊がトコトコ歩いて近寄ってきても

ビクッとして逃げてしまう


公園に行っても人がいると足がすくむ


一杯一杯になって、体調を崩す日々。


でも、幼稚舎に「行きたくない」とは

言いませんでした。


なぜこんなにボロボロなのに言わないのか


担任に聞いても、うまくやっていますよと。



辞める直前にやっとわかった出来事は


酷かった・・・


それだけではなく


幼稚園で起きた事を、家で言わないように

虐めたお友達の名前も言わないように指導されていました。


幼稚園には必ずくるように約束させられていました。



知った時は、衝撃でした。



転園をする時、凸凹状況を打ち明けてオープンにしてありました


『トラウマになりやすいけど自分では説明できないから何かあったら教えて欲しい』と



その上で入園を許可されました。




とある宗教系幼稚園では、出来事を言うことは厳禁なのでしょうか?



私はこういう薄っぺらいルールが嫌いなので


これが宗教としての「枠」だとしたら完全に私の選択ミスだと、悔いました



息子は、言い聞かせられたら、


苦しくても、必死に守るのです。


体や心が壊れるまで。


それが息子の凸凹なのです


虐められていても、


わーっと泣けないのです。


心の中がパニックになって硬直しているから。


硬直型のパニックがある事すら、知らない、

理解しようとしない保育士もいます


本来なら泣くことで


虐めている相手は止まるし、

周りは気づくきっかけになります。


でも、泣けなければ


虐める側はエスカレートしますよね


人の「怯え」が快感!!!だから。


悪化した家庭環境で苦しんでいる子は

特に、そうです


相手を止める装置、

泣く、という選択ができない息子とは、

凸凹が噛み合って、


見出され、


が深く起きてしまうのです。



息子を虐めて、怯える姿を再現させて

自分が癒されようとする、子ども達は


震災後、遊びで津波を再現して

もう一度味わおうとする子供達と


構造は、同じです。



息子は泣けないけど


心がある先生なら、すぐ気づきます。


でも、心がない保育士さんは


見殺すのです。


適当に仕事をする、そういう人は


どこにでもいます。




こうなると


飢えて

生き残りをかけた気持ちで

虐め続ける子より


明らかに


関わる大人の


人格や職業倫理の、


問題だよな・・と


悟りました



日本全国にいるだろう

同じような子を持つ親さんも、


こういう扱いを受けても


仕方ない、

どうしようもないのだから

これが正常な成長に必要な事なのだから


そう折り合いをつけて


我慢してしまうのかも




でも、私の視野では

(もし理解がこの世で進むなら)


このタイプの凸凹には


最も、しては駄目な事で


最も、されたくないことでした。



--------------------


ただ


二つ目の園にリトライさせる前に

ある程度、腹はくくれていました。


今の通常の仕組みの中に


息子が健やかに育つ事が可能な環境は


望めないのかも。



自尊心を潰し切って


心身を蝕むぐらいなら


ホームスクールも辞さない覚悟は

しておこうと。



-------------


まずは


この幼稚舎で


担任に刷り込まれた事を

どう、消す事ができるか


取り返せるか


真剣に考えました


担任に「言ってもいけない。休んでもいけない。」そう与え続けられたメッセージです。



息子の弱みに漬け込んだ教えでした。


これを息子が正しい事だと採用してしまったら

(凸凹脳はカチッとハマったらなかなか変えられないんです)


いつか、凸凹息子は


逃げられず、死を考えるようになってしまうだろう



必死に考えました


今、必要な事は何か?





これしかない


息子に「幼稚舎、休んでもいい。やめてもいいんだよ。」


そう、告げるようにしました。


何度か向き合って、伝えました。



もし、息子が「行きたくない」と言葉に出したり「辞める」と言ったら


『必ず、その瞬間に』


受け入れようと決めました




そのタイミングでしか伝わらない。



全身全霊で、


あの教えを打ち消して


凸凹息子には、


助けを求めることや、

何かを変えることは決して悪くない


それを伝えたいと思いました




-------------



この種の凸凹君に


逃げては駄目だ、は


正論でもなんでもありません。




勝手に言いたい人は言ってたらいい


うんざりするぐらい、聞きました


自慢話。



あなたと息子は違うのに



凸凹君を


理論で潰しにかかるのは

前にブログに書いたお医者さまのように


結局は、悲しいかな


同類なんです。


必死にサバイバルした人でしょう


ちょっとの「差」の同類です。


人の摂理です


似たものを否定したいのは

自分を受け入れていないから。


愛がないんです


自分にするのではなく


他の人間にやる


そういう脈々とした負の連鎖です


親が子にやれば

虐待です



ちなみに「飢えた子」がする捕食活動とは

似ているけど、ちょっと違うんです


もっと狡い。


そんな人達に


もう心揺れるのはやめよう


勝手に言えばいい


触れさせることすら拒否する気持ちでした





絶対に幸せに生きる事ができる道を


切り開いてやる、


そう思いました


--------------------




話を戻します



息子は「行くよ」とその後も数日登園し


ある日、先生へ手紙を書きたいと言いました。


担任ではなく


若く優しい気の弱そうな大人しい

副担任の先生へでした。


きっと心の拠り所だったんでしょう。


拙い、文字で


いつもありがとう

先生、大好き、という手紙でした。




担任へは書きたいとは一言もありませんでした




その数日後の ある日


幼稚舎に通い始めてからか

初めて自分から「休む」と言いました。


わかったよ、と1日休み


その次の日、


支度を済ませ

ランチも持ってリュックを背負い


靴を履いて・・


行くんだな、と思っていたら


玄関の扉を半分開け


振り返って


「やっぱり、幼稚舎辞める。」


そうはっきりと、言ったのでした。


言えた!


どれだけ思い切って言ったんだろうか




一瞬


ほんの一瞬だけ


動揺したけれど




悟られないように振り切り


【今だ!!!今しかない!】と


「うん。わかった。やめよう!。」


と、私も勇気を出して返しました。



また居場所がなくなって、

先のことが見えなくなってしまう恐怖もありましたが



このままでは、息子が潰れて消えてしまいそうで。






ちょうど年長さんに上がる直前でした。





辞めると決めて


息子が


まず1番、最初に言った言葉が


「ババにメールする」でした。


これは衝撃でした・・・





何を書くんだろうと見守っていたら


「ようちえん がんばったよ。」




救いは、息子の顔がすっきりしていた事でした



涙が出そうでした。





私の母は、


私達の味方ではありませんでした。



いつの時も、否定しかしない人でした



息子がババの言葉にも、

どれだけ縛られて耐えていたか


わかりました。


それでも、息子は

私の母に真っ直ぐに対しました。


大切にしなければならない人だと

感じていたのでしょう


それも、苦しかったろうな


申し訳ない。


ごめんね、あんなババで


もし私が、産む前に母と決別できていたら


苦しむ私の背中を見て育たなかったら


息子も、もう少し違ったのかも。



息子なりに「やらねばならぬ」と思った事を、


伝えた姿だったと思います。


立派だよ。


私は母からも必死に息子を守ってきたけれど


叶わない事もありました


何度も絶望しました。



息子は、全部理解していて

息子なりに、背負っていたんだな



子どもの心の中に


大人の視野が(高いIQが)あるって

苦しいよね


よく頑張った。


でも、もう頑張らなくてもいいよ


ゆっくり探そう


誰になんと言われようと

もう揺れない




まずは

ボロボロの体を癒そう

心を休めよう


そう心が決まりました


-------------------



画像は、この後



模索して、そこしかない、

という状況でであった


はみ出た居場所の


イギリス人の先生が




最後の卒園の日、


息子をトイザらスに連れて行き、


『なんでも好きなもの一つ買ってあげる!選んでいいよ😎♬』


そうやって


卒業のお祝いに買ってくれたものです。




・・・あり得ない、特別、ですよね。




でも、デニ先生は


傷ついていた息子に


とても愛情深く接してくれ

力を与え続けてくれました・・・


良い子だよ!と抱きしめ・・


たくさん褒めてくれました


言葉が分からなくても


温かな時間でした





あり得ない負を発散する人に出逢うと


まるで


セットのように


あり得ない「幸」を与えてくれる人に


出逢っていった、


時期でした。