境界から見る景色

はじめましての気持ち

自分を探る【追記あり】




高校3年の先輩の中で、

息子を気にかけてくれる先輩がいるらしい


息子::「なぜか??気にいられた???」


ありがたい事だよ💦


その先輩の姿を、文化祭のzoom配信で

初めて拝見した。


司会を起用にこなし、場を回す

スマートで知的なタイプの人だった。


息子の先輩の印象は「明るいムードメーカー」


その先輩とゼミで喋っていた時に

息子に話しかけるようになった理由を

教えてくれたそう。



先輩::『息子君が高校に入った時の自分と似てたから。』


(えーーーー???)


全く想像がつかないんだけどな💦


でも、


どこか似ているのかな・・・


先輩は何か感じたんだね・・・



似ていて、

ちょっと違う、・・・・後輩へ


心を配り、ちょっと力をくれようとする


その先輩は、


自分に対しての愛が育ってるんだね。


素敵だ


そして、やっぱりいい学校だ。



先輩が、息子と繋がりを持つ選択をしたのも


きっと先輩の「恩送り」




息子も


繋いでゆけるかな



----------------------



凸凹息子は、


未来のイメージを持ち辛いので


先輩に、進路はどう決めたか尋ねてみたそう。


そしたら


「自分の場合は特に夢でもなかったし、好きでもなかったけど  、高校に入って(ある事を)やってみたら、人より上達が早くてさ。皆に褒められるわ、喜ばれるわで。じゃ、こっちの方へ行ってみようかなって決めた。」


そう教えてくれたと。


リアリティがある。


多分、


先輩と同じ「想いの過程」を

他の人が通った、としても


その人が他者に語る時は


ある人は「やりたい事を見つけたから!」


またある人は「面白くなったから!」


またある人は「得意だから!」


と、語るだろうな。



だってその方が、


能動的な人間として

この世では評価される話し方だから。


私は、単純にそれがいいとは


思わないけれど。



よっぽど、「視野が狭い」か


よっぽど、何かに「早くから秀でている」か


よっぽど、「運命的な理由」がなければ


本当はそんなに強く真っ直ぐに、これだ!と

決められるものでは ないんじゃないかな


切実だからこその幸運であって。


みんながそうである事が正解ではない。





そういう中で、


先輩が「自分の言葉」で



一つ一つ心の動きを誤魔化さず率直に


語ってくれた事は、


息子には大きな贈り物になったはず。



先輩の言葉は


分かりやすく自然体だった。


言葉の内容以上に、


その言葉に魅力があるのは


自分を飾らないでいられる強さも、見えるから。



それを、憧れる先輩から聞けた事にも


意味がある。



--------------------



レールに乗って何となく縁がある所に繋がって


生きていけるのは


実は、もう充分、才能だし


選ぶ必要がないぐらい、今ここにある幸に満たされている、そういう人は


既に、そこに居るだけで太陽のように愛し

愛され、価値がある人だろう。


置かれた場所で咲く「美学」でいい。


大多数のそういう人達で日本は形作られている



ただ、


息子のタイプの凸凹さん達は、また違うかも


向く職に就かないと


先が苦しくなるのは目に見えている。


普通は、と

大多数と同じ足並みで手を離すのは違う。


普通は、と

大多数と同じようなルートに押し込めてゆくのも違う




向く方向を


本気で探ってゆかないと💦





息子は


高校の間に、


どこまでそれを深く感じ取れるだろう???


-----------------------------



やり方


育て方、タイミングが違う事を


私は恥じません


譲りません



今後まだまだ出会うだろう


「これが普通でしょ?」の同調圧力や


一足早く凸凹育児から卒業するだろう


凸凹子育て仲間の、(ADHD系凸凹君達。巣立ちが早いタイプだからね^ ^)


一抜けた!の解放された空気にも


流されず


惑わされず


目の前を


見誤らないように




気を引き締めていよう、と


今からシュミレーションしている私です。



時々、弱るので(笑)




お花でも


野菜でも


生き物でも


たとえ同種であっても、種類が違えば


手入れも、育てる方法も、違う


その種の特性が違うのだから。




当たり前の事なのに・・・


人間だって、本当はそうなのに。




仕組みとして『都合が良いから』


人が、人へ・・・


そういう視野を持つ事を


奪ってきただけなのでは・・・ないのかな



--------------------



昔から、凸凹さんはずっと存在していて


今になって爆発的に増えたわけではないと、


私は思う


分別する視野、


スポイルする仕組みが


強力に増えたんだよ。



でも、


異端として見るのではなく


凸凹君達が、昔からどこに存在していたかを


知るならば



どれだけ凸凹君達のお陰で


この世が進化してきたかを



知る事になるよ




でも、その凸凹君達は


超絶に、


子ども時代は生き辛かったはず


傷も抱えたはず。



この前、


ノーベル賞を受賞した方が言ってたよね



「日本は、生き辛かった」って



凄くよくわかるよ。


気持ちも、仕組みも。


(これに関してはまた別に書いてみたいなー)




でも、近年の


凸凹君達がスポイルされる傾向を


魔女狩りではなく


ポジティブな流れだと、考えるのなら





凸凹君達が


健やかに生きることができる

アプローチや居場所の


理解と議論が深まって


進化していってくれる事を


願う


社会にでた凸凹君達が


この世で何を担ってきたかも


もっと明らかになっていったらいいな



普通の人のどんな心が


彼らの尊厳を傷つけているか


知って欲しい






そういう動きが本物になるなら



日本の力を削がない


循環の仕組みになってゆくはず



でも、魔女狩りだけが続くなら



飛び抜けた才は


もう日本では育たなくなるだろうね


宝になるはずの凸凹君達は



ただ飼い慣らされるか



何とか自我を守れても


いつか海外に行ってしまうだろう



簡単に海外には行けなかった時代には


日本で突き抜けるしかなかったけれど


今は、もう違うのだから


------------------------------



【追記】


ここで書いている発達障害=凸凹君達は


IQが一定以上あり、障害者手帳のゾーンに

いない人達です。



幼少期に発見されても

まだ子どもだから・・保育に大差はないと


全て発達障害という名前で


一括りにしたままなのは


多分、8割は


現場のネガティブな都合です。


なのでボーダー児は積極的には見出されません



もう一点腑に落ちないのは



発達障害、と名前をつけるのは


子どもなら大抵は小学校低学年までです。


最近は大人の発達障害、というカテゴリーも出てきましたが・・・


大人になって自ら受けにいく場所の診断でしょう。一度社会に出た方たちですよね、多分。


私が見てきた、小学校高学年で発見される発達障害の子供達は


ほぼ、別の「心の障害の名前」を


まとっていきました。



不登校やイジメで


問題視される事がほとんどで


その根っこには、


多くが、生まれながらの

発達の凸凹が潜んでいるんじゃないかな


診断を受けた子のママ友界隈では

他の子も見る目が長けているので


暗黙の了解の世界です




彼らは


気づかれず、

配慮されず


ずっと一人で


IQがあるから、

何とかそこまで頑張った


苦しんでサバイバルしてきた子ども達です


そこまでして


発達障害とは、違う名前をつけることが


唯一


IQがある発達障害と

IQが満たない発達障害の


線引きだとは・・・


ここまで普通という世界の中で

孤独の感覚を抱えさせたまま


違う名前をつけるって


・・・残酷でしょう


何故、もっと早く

見つけないのか?


その壁は


どんなに今正当化する人が上手く喋っても


私は大人の都合だと言い切ります



生まれた時から発達の凸凹は潜んでいて


急に現れたわけではなく

急に消えるものではありません


親も、周りも、


できる限り早く自覚して対応できたら


子は違う未来になる、


私は臨床心理士さんからそう聞きました。



IQがある凸凹さん達は

埋もれてしまいがち。


特に大人しいタイプはそうです



小学校4年あたりから中学校あたりで

問題が表面化してきた時には


心の傷は深くなっていて・・


サポートがないと拗れてゆくでしょう


その悪循環を


なくす為にも





幼いうちの


IQがある凸凹さん達へのケアが


新たな視点で充実していく事を


強く願っています。





IQがある凸凹子どもの親さんは


まだ大丈夫、

多分大丈夫、


そう思ってしまいがちです。


私もそうでした。


何故なら


幼稚園時代に

発達障害と発見される子ども達と


ちょっと不安に感じる

自分の子どもの差が


違いすぎるから。


うちは違う・・・


そう心が逃げるんです


気持ちは、すごくわかります


トリックみたいですよね



でも、凸凹はグラデーションなので


普通のふりをして扱ったとして


消えるわけではなく



ただ、


子ども「だけ」に、


背負わせていく・・・ということなんです。


親が受け入れ自覚を持っても


損は一つもないです。

隠していてもいいんです。

誰にも言わない選択もありです。

自覚しないより全然いい。


親の勇気だけです。


親が知っているだけでも

受容しただけでも、


万が一周りのサポートが

その時点で、なくても


子の人生は変わります。

きっと変わります。


親という理解者と

視野が変わった味方を、


手に入れるのだから。


それがどれほど、大きな力になることか。




子どもが孤独に


一人で、無理解を背負って


心が壊れる前に・・・

この世から去りたくなってしまう前に


普通じゃない世界で生きる子の


味方になってあげて下さい。