境界から見る景色

はじめましての気持ち

メル友だった、凸凹君親子の話❷




K君は、感覚過敏、聴覚過敏、

四角四面でアスペルガーっぽく

頑固で融通が効かないところがありました。


例えば、

家以外でトイレに入れない、

スーパー銭湯に怖くて行けない、


など


大丈夫な事とダメな事が多く

守るルールもたくさんあったようです。



この地域では就園前に、一年間

週に1日、午前の数時間、


『幼児教室』に通う事ができました。


幼稚園や保育園に入園する前に

知らない子どもと、集団行動に慣れておけるよう、市から提供される時間でした。


K君は、会場の児童館までは行くのですが

結局一年間、1日も、教室内に入る事はできず


児童館の園庭で、ブランコに乗って

ママと過ごしたそうでした。


凸凹息子の年には、たま〜に気分で教室に入らないという子は、ちょこちょこいましたが、


一年間一度も入れなかった(らなかった)子は

1人もいませんでした。


多分、そこまで強く凸凹が現れている子は


地域の幼児教室の参加は見送り、

その子に合った児童支援サービスに参加していたはずです。



それでもIQがある凸凹K君は

見た目、視点が合わないわけでもなく普通で、

やり取りも可能なので


児童館の先生方も踏み込めず、

「こういう事もありますよ〜大丈夫ですよ」と


終わったそうでした。



K君が入園した幼稚園は学費が高く、

宗教の精神があり、

とても手厚いところを選んだので、


通う子どもの層も、少し落ち着いていて


先生方の受容や包容力、保育能力も高く


いろいろな面でカバーされていているようでした。


大きく問題にされず、

ゆっくり、ゆっくり適応し、

楽しく通っていたようでした。


K君は、この環境に伸ばしてもらったものは きっと大きかったはずです。


この選択について、私は

メル友ママから学ぶ部分が多くありました。


私も、こういう選択をしていたら

凸凹息子も、何か違ったのかも・・・


そう悔いる気持ちで、選ぶ事に失敗した

反省すべき心に向き合いました。


もちろん、


私達親子が保育園でつまずいている姿を見せてきて


似た部分を持つK君の就園には、メル友ママも慎重になった部分はあったでしょう


こうして縁は、関わり合っておりました。



どちらにしても、


発達障害と名前をつけなくても、

配慮してくれる人や環境があるというのは


K君には恩恵であり


私も刺激を受けました。





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手厚く守られた幼稚園から、


雑多な子どもが多くいる

公立小学校に上がって


急激に緊張が増したようで


K君は一気に、

アトピー性皮膚炎を発症したそうです。


自律神経の緊張が引き金だろうな、と

思いました。



表現できない緊張を

身体で表現していたのかも。


また


メル友ママは、


TVやDS、ゲームを与えない主義でした。


勿論、パソコンもスマホも

触らせなかったようでした。


時々、連絡をよこしては、私に

『DS、ゲームについて選択はどうしたか?』

訊いてきていました。


私は凸凹息子に、小学2年頃にDSを解禁にしたので、ただ、そのまま伝え、


それ以上


かかわる事もありませんでした。


私は


自分が体験もしていない

その世界を味わってもいないのに


毛嫌いする姿は


どこか病的だと思います。


こういうのも自閉の一種なので

触れても埒が開かないのです。



後に聴きましたが

K君はDSをとても欲しがったそうでした。


何度も頼んできたけれど

メル友は聞き入れずにきたそうです。


家計が苦しいわけではないのです。


誰もが知る超大手企業に勤めるご主人で、

若くして役職を持った、戸建てに外車を乗る環境。メル友ママは、自分だけが飲むサプリに

毎月5万使う人です。


メル友の


融通の効かない頑固さも

まさに、凸凹っぽかった。


親子ですね


K君はTVもゲームも全く禁止で与えられず


似た教育方針の子どもがちょこちょこいた

幼稚園時代はそれでよかったのだろうけれど、


小学校になり、どんどんまわりと共通の話題が持てなくなり


それでも仲間に入っていけるほどの

話術も器用さもなく


子ども社会でギクシャクし始めていったようです。


そのフラストレーションを

許された「本」に向けたK君は


本にのめり込んでいったそうです。


教室の自分の机で1人で本を読む事が「通常」で


学校の図書館に1人で通って過ごしていたそうです。


そういう過ごし方になっている事を

先生から伝え聞いていても、


メル友ママは


それを本人が選んでいて、

多くの知識を獲得していっている事が


誇らしそうでした。


子育てを成功した!というような

空気でした。


確かに、


進学に有利なルートにはめ込んだのかも。


IQが高い凸凹君達は、実は多くいるので

その資質を無駄にしない、生き残り方でもあるだろう・・・というのは、わかります。


でも、


もう少し違うやり方もあるはず。



私は、本物の天才凸凹君を3人知っています。


高IQの資質も無駄にしない、

愛あるママさん達の選択を見てきて


これは違うだろう・・・としか

思えませんでした。



メル友ママが、


全く心が痛んでいないようなのが

私からみたら異様でした。


K君の「心」や「立場」が

何も見えてない・・・



私には、ギリギリで小学校に通っている

K君に感じていました。





メル友ママは、


多分、自分の不安を解消するために


近所の、発達の凸凹がありそうな

K君の同級生に


しつこく関心を寄せていました。


似ていて少し違う

気になる存在だったのでしょう。


たまに連絡がくると、その子の話題でした。


それはメル友ママが「うちの子は違う」と

思いたい為の


否定であり

逃避であり


時に、


その子に対する「蔑み」で

不安を慰めている姿でした。



この頃


K君は、随分孤独になっていて

遊ぶ子もいないようでした。


メル友ママがどう思おうと


その近所の関心を寄せている凸凹君と、

隠れ凸凹のK君は、


ウマが合うのでは?


そう予感しました。


孤独が減る付き合いが生まれるなら良いのにな、と思い


メル友ママに、「その子とK君の相性は?」と

訊ねた事がありました。



メル友:::『そう。実はKはその子の事を面白がってるんだよね〜。自由だって。好きみたい。』


(( おぉ!よかった。近くに仲間がいて!))


そう思ったら



メル友:::『でも、私は、あの子、変じゃん、仲良くしないで!ってKに言ってるの!』と。



((・・・救い難い))


そう感じるしかなかったです。



K君にとって孤独な中、

見つけた仲間だったはず・・・



なのに


メル友ママは、


他人のその凸凹な子を

否定するふりをして、


K君をも否定した。


その自覚すらないだろうけれど。


惹かれる、

好き、とは


惹かれる側の中にある光です。

その自分が持っている光を

外に見出した勇気ある心の動きです。


K君が惹かれるその子の「自由さ」は

K君が持っている光でもあるはずです。


メル友ママさんが蔑んだ「変なところ」は

駄目だと否定され、一生懸命隠している

K君の姿です。


それを自由に表現しているその凸凹君の自由さに、惹かれたのに。


メル友ママは、他人を否定するフリをして


K君も拒絶したわけです。




K君が可哀想でした。


そして


案の定、


その会話をした直後に


K君は、学校に行けなくなったそうです。


学校に復帰した3ヶ月後ぐらいに

ママさんから連絡がきて、直接聞きました。


こういう話題をリアルタイムに

私に連絡をしてこなかった選択に


予測できる、彼女の心がありました。


落ち着いて復帰してから

連絡をくれた選択にも


予測できる彼女の心が見えた気がしました。


反省もあっただろうし

少しは頑張ったんだなと


わかるような気がしました。



K君が学校に行かなくなった理由は、

表向き担任とのトラブルでしたが、


些細な事でした。


私がみえているものはもっと複雑でした。


きっかけは

ただ、この理由なら口に出しても良いと

メル友ママに受け入れられる理由を

選んだんだろうなと思えました。


でも、その声と不登校の選択を責めず

受け入れたママさんは


確かに、少し頑張った。


いろんな事が絡まり合った末の、

不登校だったけど


きっかけを掴んで

行きたくないと言えたK君も

頑張った。


K君の選択は、無意識に

母の愛への「試し」も含んでいたはずです。


とりあえず、そのK君の挑戦が受け入れられ


そこから始まるものに期待しました


このK君の選択で


学校の担任

スクールカウンセラー

病院の発達外来の先生

カウンセリングしてくれる臨床心理士さん


一気に、


見守ってくれる人が増えました。


自分の凸凹?に流されいて

子に向き合えていないメル友ママさんに


巧妙に見捨てられているK君を

ひっそり危ぶんできた私は


心から、ホッとしました。


K君が不登校というSOSで掴んだ、

広がった世界でした。


ここで発達外来に繋がったのですが


やっぱり


発達検査はされず、


医者は「これは直ぐには解決できることではなくて、長くかかる事です。」と、


言っただけだそうでした。


医療チームも根底の凸凹は

解っているのだと思います。


でも、小学生になると

大抵はこういう選択になるのです。


私なら、もやもやしかない言葉ですが


認めたくないメル友ママには

都合よく逃避させてくれる、診断です。


それ以上、探るつもりはないようでした。


なんとか障害、と名前がつけられて

定期的にカウンセリングが始まったそうです。



小学校3年以上は


不登校の影に、発達の凸凹が根底に潜んでいても、もう診断をしない事が殆どだと


当時聞いた事があります。


何故なら、


診断しても、

もう働きかけで伸ばせる変化の『伸び代』が、あまり大きくない、というのが


定石の学説だから、だそうです。


私は、それには懐疑的だし


メル友ママを見ていても

診断する事がその後のメリットになることの方が多いと、(家族的に)


はっきり思っています。


臨床心理士さんの中には

私と同じように考える人がいる事も知っています。


IQがある凸凹君達は

親が自から受け入れない限り



こうして名前を付けられずに

有効な情報やノウハウがあっても


自分に使ってもらえません


普通であって欲しいという親の想いを受けて

頑張り続けています


透明人間のように

自分の欲求、心が

無視されていても



見過ごし

見逃され

見捨てられて、


生きています


IQがある発達の凸凹君達を

受け入れる気がない親には


発達の凸凹がありますよ、と


誰も、教えないのです。



幼稚園の先生や

学校の先生

医者でさえ。



受け入れられなくても


K君が(凸凹君が)

上手くカバーされるならいいのです。


必要なことが満たされるなら


名前など関係ないと

私も思います。


それぐらい社会の仕組みが進み

人が成熟しているなら


区別したり

診断する必要も


なくなるでしょう


個性、で通じます。



でも現実に


本人が苦しいのなら

問題になって現れているなら


工夫が必要なのでは?


その工夫の一つが


悔しいけれど診断なら

ただ利用したらいいだけです。


子の為に。


何故、向き合わないのだろう

あんなに愛してた子なのに



どこまでいったら必要にかられるか、


どこまでいったら向き合うきっかけになるのか


一生するつもりがないのか


できないのか


それも


誰も、突きつける事もできず


IQの高い凸凹君達は


見過ごされて

巧妙に見捨てられて


心に傷を負い続けているのです。


私も


目撃し続けるのは


不憫で、もどかしい


虐待を見逃しているのと

似た感覚なのです


疼く共鳴もあり


だからこそ切りきれなかった

関係でもありました。


この不登校について連絡がきた時


K君にメリットがありそうな事を

メル友ママに提案してみました。


『今のうちにK君の好きな方向で、習い事でもサークルでも、ボランティアでも、何でもいいから、心地良くて認められる居場所を見つけてあげては?』


受け入れられている居場所があるって、

大事です。


大人だってそう。


心の拠り所があれば少し安定して頑張れる。

学校に行けるエネルギーになるかも。


『友達の子は不登校気味になって、学校より学習塾が楽しくて、そこが居場所になったって言ってたよ。今は留学してるよ。』と


伝えてみた。



彼女では耳を傾けられる事は

限られていて


その中で


耳を傾けてくれそうな


K君にすぐに恩恵がもたらせるかも知れない


そう思うものを伝えました。


必要に駆られていたメル友ママは

直ぐ、動いて


英語塾に通わせ始めたと報告がありました。


体験型で日本人のお兄さん先生と相性が良く、

元々、「漢字」や「言語」に興味や、こだわりがある子だったので、飲み込みが早い!と褒められているとの事で、


K君に合っていそうで、


何より、楽しんで通っていると聞いて


私も嬉しかったです。



サポートや

見守る人が増えて


何とか


端境期を乗り越えてゆく事を


願った頃でした。


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【続きます】