もうすぐ『父の日』➕あのblogのコト
父との最後の旅行で寄った
道の駅で食べたソフトクリーム
この記憶は
屑な姉と一緒の旅行だったせいで
私には苦い想い出になりました。
最初は、最も避けた場所で、
でも、のり越えるために
旦那に一緒に行ってもらい
帰り道、
言えなくて1人で持っていた痛む記憶を
初めて吐露し、号泣しました。
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去年、この道の駅で
とても綺麗な紫陽花の鉢植えを見つけ、父の日のプレゼントに!と購入しました。
父と母の、2人の恒例行事が、
季節に紫陽花寺へ花を観に行く事で
晩年は、それを私が引き継ぎ、2人を連れて行っていた。だから、喜んでくれるかな?と。
【まる裸になる前に、と、画像に残した。】

父の日に、母の施設に持って行き
父の仏壇に、「父の日のプレゼントだよ。」と、報告して置いてきた。
その日から母は、綺麗に咲いてゆくアジサイを
✂️ハサミで、ちょきん、ちょきんと切っては
スタッフさんに差しあげるようになった。
どんどん・・スカスカになってゆく鉢植え😢
それでも、「お母様からいただきました。ありがとうございます。綺麗ですね!」と言われると、
賄賂や、物で人の心を惹きたい母の、今の不自由さを思うと悲哀を感じ、
きっと本当に、私が父へ買ってきた贈り物だという事も、都合よく忘れたのだろうと
呆けた母の、喜びの役に立っているなら・・
と、切なさを飲み込んだ。
ただ、本当に忘れているのなら、私に「一枝持って行きなさい」と差し出されてもいいはずなのに、それは言わない事にも、微かに傷ついた。
でも、さすがに
母が「そのアジサイの鉢植え、施設の花壇に植えてもらえないかしら。アンタが施設長にお願いして渡してきてよ。施設で要らなかったら勝手に捨てるなり処分してくれていいからって。」と
私にそう言ってきた時には
悲しくて、悔しくなって
私「あのね、忘れてしまってると思うけれど、これ、私が父の日のプレゼントに買ってきたアジサイだったんだよ。・・・ここで来年も咲かせようと思ってたけど、要らないのだったら私がマンションに持って帰って咲かせるよ。」
そう言って返した。
そうこうしていたら、
私がコロナに感染して
3週間近く、母の施設に行けなくなった。
正直、母と会うのは苦しかったので
行かなくていい理由が生まれホッとした。
回復して行けるようになった時には、アジサイは
カラっからに干からびていた😢
呆けている母だもの・・・
それは、想定内だったけれど。
私が無言で持ち帰ろうとした時
初めてバツが悪そうに「・・・それ、今からお水あげたら復活しないかしら?」と、言った。
何をどこまで思い出して
何処まで呆けで、何処から地なのだろう?
「さぁ・・・どうだろうね。」
責めずに、そっけなく答えて、持ち帰った。
お水をあげ続けたけど、
結局、今年、新芽🌱は、出なかった。
だから
同じ、ガクアジサイが
また、あの道の駅で売っていないか
見に行きたくなった。
もう一度、父へ贈りたいなぁーーーと。
苦い、思い出ばかりが重なった、道の駅。
二つ目の記憶も、もう一度、塗り替えたい。
もう、大丈夫になったから。
全部、諦められたから。
だから、あえて行ってきた。
残念ながら、
今年はあのガクアジサイの鉢は
売っていなかった。
仕方ない。
切り替えて、
ソフトクリームが好きだった父へ、
「ジジもどうぞ、」と声に出して
一緒に食べた。

👇去年買った紫陽花の鉢。
大きく咲き誇っていた素敵なアジサイだった。
今数えても・・・14本の茎があるね。
新芽が出なかった代わりに、謎の草が生えた。
育ててみよう。

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一つ、「父の日」について書き置きます。
看取りの為に、退院し
家に帰る事が決まった時
いつ逝くかもわからない賭けの中
間に合って!という必死な祈りで
実家に在宅医療の環境を整えていた。
やる事も調整も山ほどあって、精一杯で。
そんな中で、
退院より先に、入院中に「父の日」がきたの。
もう、今年が最後の「父の日」だと
誰もが、わかっていた。
人生で最後の、父への「父の日のプレゼント」が
娘同士で被ったら、私も気まずいし、切ない。
それは避けよう。
「私はこれを贈るね。」「被らないようにと思って。」と屑姉に、数日前にLINEした。
既読無視、だった。
一見良い人のように振る舞っている姉だったけど
こういう事が日常だった。
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私が父に贈ったのは、帽子
もう、被って外出ができないことは
分かっていたけれど・・・父はまだ自覚はなく。
「これをかぶって退院してね。どこか行く時にも使ってよ!」と、病室に飾り退院を心待ちにした。
姉は・・・いつもより面会に遅れてきた。
父の日のプレゼントを買いに行っているのかな?と思ったけど
全く違った。
面会に来た姉の
父へのプレゼントは
さっきコンビニで買った398円程の数枚入りの
使い捨て『マスク』だった。
それを・・父の日のプレゼントだと、渡したの。
屑姉『だってぇ〜、今、父は何も食べられないしぃ〜』と 場にそぐわない空気と「変な」笑顔で。
父は、もう、二度と口から飲食ができなくなっていた。
父は、どこか (ぽかーん)と、豆鉄砲を食らった鳩のような顔をした後に、苦笑いをするしかなかった。
あんな顔を、させるなんて・・・
毎年、きちんとした「父の日の贈り物」を
ずっと贈ってきた姉だったはず。
なのに、最後の「父の日」に、これ?
違和感しかなかった。
もしかしたら、もう買ってあって
私と物が被っていた?
いや、あり得ない。
被っていたら絶対に、主張してくる人だもの。
じゃ、あえて、この日を軽く扱うことで
父の気を楽にさせようと?「まだ父は大丈夫なんだよ〜」という深い配慮で、愛かも?と、
最大限、姉の意図をポジティブに解釈し「流した」。
じゃなきゃ、
やってられないぐらいの異常さが
既に「裏で」は、あったから。
でも、今は
あれは
愛じゃなかった、
配慮でもなかった
全く違うと断言できる。
あれは
漏れ出てしまった、
コントロールできなくなった
姉の「闇の姿」だった。
人生の、「仕返し」の姿だった。
でも、多くは
母とクズ夫にされてきた事の鬱憤を
晩年の弱った父に転化し付け込んだ姿だった
問題の根本は
問題がある彼らに
真っ直ぐ、向けるべきだけど
でも、姉はそれが出来ない
ストレスと鬱憤は、
別の弱った誰かへ、すり替え発散した。
この世の「イジメの構造」そのものだ。
姉の人生は
本当に
馬鹿の一つ覚えのように、
これを繰り返している。
幼い時は、いじめられっ子だった姉
恐れた相手にぶつかる事から逃げて・・
抗うべき相手に (仕組みや問題に)、
真逆に、媚び
いつしか、
手玉に取る方法を編み出して、生き残る術とした。
でも、
根っこの
癒されず、解消されてもいない
怒りや、鬱積され続けるエネルギーは
絶対に、出口が必要なの。
だから、いつも
弱った誰かに漬け込んで、解消した。
全て「逆恨み」で
人生を回し続ける屑姉だった。
我慢し手玉にとって利用価値を得た相手には、
絶対に、反抗しない。
ある意味で、
死期に入るまでは、姉にとって父も、
その1人だったのでしょう。
姉は、サイコパスらしいです。
事実を平然と誤魔化したり、嘘もつける。
突きつけたら逆ギレできる。
自分のメリットの為なら人の死も利用できる。
自分で、自分を律して生きていないと
パワーバランスが崩れると
本性がアメーバーみたいに漏れ出て豹変する。
父の死期を感じた姉は
闇がダダ漏れになってゆき
母を裏で唆して操ろうと、うごめいた。
まさか、
父親の死期にまで!?と
信じたくない気持ちだった。
苦しかったし
悲しいほど孤独だった。
けれど
やる事は目の前に一杯で
達成したい事は明白で。
そこで
姉とゴタつくエネルギーなど1ミリもなくて。
必死に耐えた。
ただでさえ
1人で (家族が仲間じゃなかったから)
人を看取ろうとする決意は
怖くて、しんどい事だったのに。
それを
実現しようと向き合うほど
姉は、イラついて豹変していった。
屑姉と母が ただ、ただ、醜く、
絶望した日々だった。
こんなお別れに、させられるなんて。
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今、3年前のblogを見てみたら
あの時あった事の片鱗も
blogに出せていなかった。
屑な姉と母の
あり得ない現実の中で
父の横で、眠れない日を
過ごしていたはずの日々に、
食べ物のblogを挙げていたのを見返して
不思議な気がした・・・
あぁ、でも、きっと、
それが救いだったのだ・・と、思い出した。
(まだ大丈夫、) と、同じ事をする自分。
関係のない、たわいのない話を書ける自分を
確認するように。
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実は一つ、苦し過ぎて
初めて姉を「呪う心」を
吐露したblogがあったのです。
『大切な』始まりでした。
でも、訳9ヶ月後に消しました。
理由は
ここmuragonのブロガーさんに
私の「心を」ネタにされていたのを知ったから。
私の心を「ついに、ここまできたか!」と
ご自身のblogに書かれていたの。
私は自身に起こっているエピソードを
全然書けてはいませんでした。
なのに。
何も、知りもしない人に?
苦しかったです。
相手をブロックしても、
私の書くblogは読まれてしまう、
muragonさんの機能は未熟です。
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日頃、自分のblogを
どう取られても良いと
言い切っている私です。
勿論、本心です。
どれだけ自分が
回復する時に
リアリティある「言葉」と「人」に
救われ、道標になってもらってきたか
知っているからです。
リアリティがないものからは
変化は得られなかったから。
そして、
その始まりの印象は、決して
ポジティブなものばかりでは無い事も
知っています。
誰かの『触媒』になるなら本望。
それは真実の気持ちです。
真摯に、
切実に、
人生に向き合う
誰かならば・・・
どうぞ、喜んで。
でね、
その真剣な人には「まともな境界」が・・
必ずあるのです。
必ずです。
恥を知らなければ
向き合う事など、無理だからです。
でも、そこにある空気は、違ったの。
怒りが湧きました。
その怒りも、
そうする必要がある、
当然の事でした。
私をネタにしたblogは、父の死の前でした。
でも、父の死からも放置し続け、
何ヶ月も、そこにあげ続けていた事も
相容れない、人のする事でした。
大切な一歩だったblogは、
その人に触れらた事で
苦しくて
消してしまったけれど
同時に、考え、
より強く自覚しました。
そんな風に思われないように・・とか
今後は取り繕ったblogにしよう・・とか
裏メッセージ通り
自分を明け渡し、blogを去る・・とか
あり得ない、と思えました。
そんな事、
なんの意味も、価値も、無い。
今後も、無意味で空っぽな繋がりに
翻弄されないでいよう。
必要な人に「偶然」🟰シンクロで
読んでいただける事は人生の幸いなのです。
その芽を、自分から、安易にもう摘みません。
土台、
全く読まれなくても
充分、ありがたいのです。
私が、最も
救われているのです。
自分の書いたblogを
最も読んでいるのは私です。
そのblogに私が支えられています。
それは
私が持つ「凸凹の特性」でもあり
私の宿命や、
連鎖しているDNAの業や、
魂の特性をカバーする為にも
この仕組みが
機能しているからです。
ここに出す事には
(これを出す、これは出さない)とかの
偏り、はあっても
出来事も、感じた事、考えた事も
ここに出したものに、偽りは一つもありません。
それが私にとって、価値なのです。
記憶の引き出しが滞っても・・
心が真ん中に、なくなっても・・
揺れて、苦しくても・・
読めば、記憶に繋がるスイッチになって
過去の私に支えられる。
呪う自分のblogに救われるのは
直ぐに許してきた自分がいるからです。
ずっと無かったことにしてきて
ここまできてしまったから、です。
だから
自業自得で逃げられなかったし
捨てられませんでした。
でも、逃げずに、捨てずに生きてきた事を
誇りに、今は思えます。そうしたのも自分です。
真っ直ぐに、
拗れたものを解いて、生きる。
けれど、自分も、もう裏切らない。
その為に
真逆に見える心も
真逆の感情も
全て、看取ると決めたのです。
光の方向に顔を向けながら
心に湧くものを
それが闇でも
ありのままに感じ切る事でしか
生きたい場所に進めない。
それを知って選んだ人にしか
伝わらない話、かも知れません。
それでも、良いのです。
どこかには、必ず、いる。
人生の休憩では無い
他人の人生を消費して
都合よく生きては、いない
たった1人の
どこかの誰かの
触媒になるなら、本望です。
その人は、私の、仲間なのです。

【父の日は切花の紫陽花にしました。父が好きだった故郷のお饅頭と、生前最後に食べたいと言った🍙とお味噌汁をお供えしました】