境界から見る景色

はじめましての気持ち

信仰する人と、八百万の神

めい



その人にしっかり会うのは、2回目。


良い感じの方でしたが

長年、宗教にハマっている人でした。


新興宗教、でした。


残念。


いい感じの方でしたが ・・・


宗教を持たない人間にはわからない


彼らの世界


特に良い人でいる事のメリット」が

信者にはあるのよね・・・💧


それって多分ね


本当の「良き人」とは 似て非なるもの。


その人の話を聴くと、その宗教が必要だったのもよくわかった。


親との縁が薄く、更に苦しい事が起こった人。


宗教や教祖さんは、親代わりなのよ。


その苦しみの時に宗教に支えられて良かったね、と心から思い聴いた。



でも、残念ながら、信者にありがちな精神構造をその人も持っていた。


その精神構造には、関わりたくない。


はっきり、線引きをして境界を意識した。


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帰宅時、車の中で、


距離をあけた友の一人に想いを馳せた。


友も 宗教を持っていた。


でも、古い宗教で、新興宗教じゃなかったし、

子どもの頃からの信仰だったから


私は一度も、勧誘された事もなかったし

友が信仰と共にいる事はとても自然だった。


そんな友が、好ましく、一目置く、とても稀有な存在で関係だった。


もし私が、万が一、いつかどこかの

コミュニティに入りたくなったら、


神は、どの神さまでもいいから(←オイw)


きっと彼女の宗教コミュニティに、お世話になるだろうと、思っていたぐらいでした。


でも、私にも

変化の波🌊がやってきて


その友から、時々感じた違和感に、

私は、正直になってしまった・・・。



友とは、変わらない関係でいたくて、

目を伏せて、有耶無耶にぼんやりさせてきた事。


思えば、一緒にいる間に、色んな違和感が

積もっていたけれど


どれも


関係を分かつような決定打にならないところで

ふんわりと、(こういう匙加減が人間関係には大切よね、)と言い訳しつつ


逃げていたの。


私たちは、結局、物理的に遠く離れる事になって

その偶然に導かれるように、距離をあけた。


もしかしたら友は、

私以外の人間には、勧誘していたのかも。


友の中にも今日会った人のような欲や闇が

あったのかも。


それが、微かな違和感の理由だったのかも。


私に苦しみがやってきて、弱っていても


私は、彼女の宗教に興味を持つ事もなく、

隙もなかった事は


彼女に何かを感じさせたのかも。


彼女にとっての信仰が

私が思うよりもっと深かったら


彼女の宗教になびくこともなく

独自に救われてゆく私の生き方は


受け入れがたく


繋がり続けるモチベーションは

下がったかもな。


それなら、それで仕方ない。


それも必然。


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信仰を持つ人達の

隠された「モチベーション」とか「欲」は、



正直、私には、よくわからないけれど・・・


大義に隠した「闇」だと言う事はわかる。


私はそれに対して、敏感だし

それを私にする事を、許さない。




信者は大抵の人が


人が救われる「方法」を


自身が信仰する神の起こせる唯一のものだという

心を 持っている。


私は、そこも異様だと思う。


その心の裏には

根深い「闇」が 隠れているはず。




それは些細な事に見えて

決定的に、人として駄目なものなのに


それを抱えたままでいる事を

選んでいる。


その闇は、


その宗教があれば、

正義だと振りかざせるの。


本人は


信仰する限り

それは闇だと

気付かずに「いられる」仕組みに生きている。


宗教とは

持ちつ持たれつ、なの。


上手く出来てるね。




でも


が自立するならば

そんな構造がない信仰も、

可能な時代なのにな。


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私は


誰かが、何かを信仰していても


その人にとって、

それがどんな意味や価値を持つのか

という体験話は


ニュートラルに、興味深く聴ける。


何故ならそれは回復へのストーリーだからだよ。



でも宗教に(ネットワークに) 

ハマっている8割の人は・・・


そこで終わる事なく


どんなにその宗教や教祖が凄いか、とか

勧誘?の心が


顔を出すの。


あれ、不思議ねー


それが少しでも見えたら引くよ。


でも、彼らには


相手がさーっと引いてゆくその理由が

本当に、分からないのね。


自分が自分に、隠している心の動きが

引き出す現実なのにね。




そういう8割りの人は 必ず言う。


言い方は違えど


私が信仰している宗教でないと(私が信じている人でないと) 魂は救えない、救われない☝️


教祖は、魂を救える唯一の人とかね。


うへぇ😰


こんな顔はあからさまにしないけれど


それって、



その瞬間、



卑怯で

独善的な、


脅し、と

上から目線が


含まれている。



誰かの弱みを察知した時に、

そこに漬け込んで


欲望丸出しに。



その宗教や

ネットワークに対して、うへぇ💧じゃなくて・・


その瞬間の「あなた」に、うへぇ💧ってなってるのよ。



彼らは


救う為なら(偽善で、本当は自分自身の欲を最優先にしている姿なんだけど)


弱みにつけ入ってもいいと、本気で思っている。


善の為に、と。


自分の中の欲も闇も善なのだからと、本人は信じ切っていて。


おぞましい。



漬け込む行為は、


自分の欲でコントロールしているの


⚠️人としてアウト⚠️


善も悪もないの。




いつまで、それ


やるの❓❓❓❓❓❓



そういう人ほど、


良い人の仮面を、被っている。


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ちなみに


私が不動明王さまを見い出して


苦しい時に、すがっているのとは


似て非なるものです。


私自身、不動明王さまを「信仰」しているつもりは1ミリもない。


うーーん


大体、信仰って何?????


偶然、出逢って、


ストーリーに意味を見い出し、

今は、その仕組みを心の拠り所にしているけれど。


いつか、


今のように、想う事もなくなる日が来ると

知っている。


信者として、集う事も崇める事も、興味がない。


できれば、不動明王さまの信者でも、会いたくない。


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私にとって、何ものか、は

今だってずっと何ものか、であって


死んでも、分からないのかも・・とすら思っている対象を、


生きている今、定義したくない。



だから


神を 安直に語る人を見ると興醒めする。


不動明王さまを見出した今でも、

そこは変わらない。


最近は、神仏と便宜上 言っているけれど


基本は、法則の体現として人間が形を作って表現を試みたものが神仏の姿だと思っているし


法則を人がわかり切る事なんか、無理でしょう。


勿論、求めるだろうけれど、

それは生きるためであって。



私には不動明王さまのストーリーが必要で

惹かれただけ。

それが人ではなく、さまであっただけ。




不動明王さまと出逢った経緯と

心に置いた理由と体験を、書いているだけで


信仰ではない事を 


書き置きます。


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自分自身で語ったり、勝負しないで

誰かの傘の下で人を救いたがる人は


相手に、どの心から

その表現をしているか


正直に


感じてみたらいい。


宗教から教えられた

型にハマった思考と表現しかないのは何故か?

考えて、自覚してみたらいい。


それ以外の方法で

本当に、人は救われない?????


救われないと言い切るなら

その心ってどんな心か


直視してみたらいいのよ



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こう思うと、


日本人の


ほどほどの信仰心って


わかっていて、そうしていなくても

塩梅として、最上だと思う。



無意識でこうなら

これは日本人が、先祖から受け継いだ


善の遺産。


実は、凄い事。




八百万の神


時には、何処にも

神が宿っている事にできてしまう精神は


他人の信仰する神にも寛容で


信じるものが何か、で、

争う事の愚かさを知っていて


それより


大切にするべきものを

知っていた。


人の心の痛みや苦しみに

寄り添った人達が


作り上げた信仰の「あり方」で

残し、手渡してくれた善の遺伝子だよ。


残念ながら


善の遺産を

遺伝子に受け取れなかった人が


たくさんまだ、いるんだろうね。