境界から見る景色

はじめましての気持ち

誕生日旅行と訃報

めい



先日、母の誕生日でした。



母と私の関係では

もう旅行など、「ない」はずでしたが


弱ってきた母に

図々しくも「行きたいわー」と言われると


確かに、(もしかしたら、今、ここが連れて行ける限界で最後かも、)


との、思いもよぎり


その誘いを断った記憶は

きっと重い後悔になるだろうと


半分は 自分の為に

半分は 母の為に


Win Winになるようにと


かかる費用は全て私持ちで、

手間のかかる全部を乗り越えて


心尽くして、終えたの。


でも、


帰宅して、


吐き出したい事は

案の定、山ほど生まれていて・・・


それを、まずblogに吐き出させていただいている最中に (今も書きかけ保存、で残っている)



飛び込んできた報せが

闘病中のおばさまの死でした。


苦しみの多くがその現実で

さっと洗われてしまった。


おばさまが逝ったのは


母の誕生日の翌日の朝、

旅行から帰る、その日の朝だったそうです。




何だか


先祖と おばさまが


母の誕生日と被らないように

配慮してくれたかのように・・感じました。




実は、


入院を知らされてはいなかったのに、

報せを聞いて、


腑に落ちたのです。


ここのところ数週間、

今ある状況とは違う何かで

心がザワザワしている事を


感じていました。


これって何だろう・・・って

感じていたの。


大きな災害が起こる前に感じた事がある感覚と近いけど、災害の時は体感が連動する事が多く


それとは違う気がするし・・・と。


そして、今回で


確信しました。


繋がりがある者達からの虫の報せとは

【この感覚なのだ】と。









おばさまが旅立つ頃、

私も眠れずに、目覚めていました。


眠る事を諦めて


隣で眠る母への気持ちを、持て余しながら

ぼんやり過ごし


夜が白み始めた事を

遮光カーテンの隙間から察しながら


朝の4時半、


明るくなってきた海岸を、

カーテンの隙間から眺め、


(((よし❗️母は明け方にトイレに連れて行ったし

多分朝食まで起きないはず❗️

母と過ごして荒んでいる心には、労わる時間が必要・・・石活しよう❗️))  


 と


5時には、もう、海岸に居た。


朝日を観て、

写真を撮って


切なさや、やりきれなさを 手放して


美しさとの出逢いに集中した。



海岸が近くて、救われた。


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帰宅する間にも


一つ、また一つと

アリエナイ母の言動姿に


溜まっていった、心。


溢れる気持ちを抑えられず


帰宅後の作業を一通り終えて

ひと段落した直後に


先祖に怒りを込めて、暴言を吐いた。

もう、暴言ぐらい許してよ。


それぐらいしか、そこからは

受けとれないでしょ?




なのに、


暴言を吐く時


抑圧と己を責めているのを感じるの。


歪んでいて巡る事がない心

傷つけられる心の


バランスとしての表現が

暴言になるしかない、のに。


父母は自分達を完璧に棚に上げて

100%自身を振り返る事はない生き物で


私は、暴言を吐くしかなくなるまで

追い詰められるのだけど


そうなると


しめしめというかのように


平然と


言葉だけの揚げ足を取って


幸運だとばかりに「親に吐く言葉じゃない」と


私を、裁く側に回るの。




そのタガに縛られている私がまだいて

苦しむの。


馬鹿みたいだけど。


父母姉は、本当にそっくりで


同類


同じロジックで私に接するようになった姉。



姉は


口だけは

表現だけは


取り繕って。



父母も


行動や、心が

何一つとして合致していなくても


言葉を取り繕う事

チヤホヤしてくれる事を


何より優先する事を


望んだのよ。


それが正義、だったの。



今なら何故か、その心もわかるよ。



突きつけられたくない。


向き合いたくないから。

自分を変えたくないから。

逃避、できなくなるからね。


怖かったのでしょう

駄目な自分を認める事が。




私もずっとこの中で苦しんで


今でも同じ事を

変わらず受けて、いるように見えて


変化はあるの。


私が、受け入れると決めたの。母は。

その最後の人間です。


姉はもう捨てたし、


ちゃんと変化に生きている。


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結局


先祖のイメージは


自分の親を、超えるものではないのよ。




現実に、


事実、一番身近な先祖が、

実父母なのだから。




父母の中に


先祖が取り組めず

脈々と、してきた事、

脈々と、してこなかった事


業や負債、


その繋がりが


ありありと想像できて

感じられてしまうようになった、私には


先祖だから、と言うだけで


ただ闇雲に敬う気持ちになど、

サラサラ、ならない事は、道理なの。


それでも血を呪いたくなくて


特攻の血族に想いを馳せたり、

時代の大変さに想いを馳せたり

土地に根ざす苦しみに想いを馳せたり


たくさんの先祖の心を蔑ろにされた瞬間に想いを馳せたりして


理解して寄り添おうと試みたのよ

子を産むってそう言う事だったの。

血を憎んだままいられなかったの。


でも、一番身近な

父母に寄り添おうとするには

向こうに準備が全くなくて


実害がありすぎて


防御が甘い私は、

ただでも、いいようにされていたから


まず、先祖から向き合って

寄り添っていった時期があったの。



けど、父の死をきっかけに


バランスの取れない


やりきれなさを、

悔しさを、


自覚してしまった。



もう、


ここに居ない人に

怒ったとて、

呪ったとて


生産性がある事ではないけれど


一人で創り上げた現実じゃなかった事実は、

普遍なのだから。


全ては繋がっているの。




私は、


呪いも

怒りも


無駄な心だとは思いません。




嘘くさい芝居など

先祖だろうと、もう、うんざり。


繋がりが手に取るように見通せるのに・・・


過去、そこにあっただろう心も

リアルに感じてしまえるのに・・・


あの世に行って、今ここ、に居ないというだけで


もう、なかった事にしろと?

そうするべきなのだと?




いいえ。


もし先祖にそう思われていたとしたら

その想い自体が


負債なの

負の遺産でしかない

あなた達が繰り返している「業」で


私が一生懸命振り払っているものなの。



魂が永遠なら



魂と魂は、対等な関係なはず。



私が心を整理して納めてゆくのに


どこかの誰かが構築した


本当はわかり切る事などあり得ない

あの世の世界の解釈や仕組みを


信じて?

採用して?


先祖と向き合う事が

正解だなんて


私は、思えない。





この世に残った


祖先を弔う作法には


人の心の弱さ、闇、都合の良さ、

時代が背負っている「業」すら


私には視える。


それに従う事は

私の魂を裏切る行為でしかない。



自宅に戻って


怒りを口に出していた時に


自分の身体の行動も投げやりになっていて

床に座った時に、


勢い余って、

後ろの壁で強かに頭を打ったの


それが一瞬


怒りを伝えていた先祖から

「罰当たりめ!」と与えられたように


微かに感じた自分が


また、嫌で嫌で!!!・・・

(冷静になれば先祖もとばっちり。後で謝ったわ。)


負けるか!っという気持ちが湧いて


誰もいない部屋で


一人であんた達先祖の業の繋がりはこうだ!と、

吠えていた。


無理解な人が私を見たら

アタマオカシイ人でしょう


本当にそう映るでしょう。


でも、大事な、大事な、作業です。


心を声に出すって


一人でやるとしても

とっても意味がある事だって


私は感じています。


そんな時間を過ごした、数時間後・・・

叔母さまが旅立ったと、報せを受けたのです。



何とも言えない、気持ちになった報せでした。


おばさまは


この私の姿を

みていらっしゃったかも・・・


◯家に怒っていたのだから・・・


御免なさいと、


最も身近な、先祖になってしまった叔母様に

謝った。



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叔母様は


嫁いできた方で

毛色の違う光を持った方でした。


たおやかで

しなやかな


でも、凛とした

風に吹かれる素朴な美しい

お花のような方でした。


血の繋がりはありませんが


嫁いできて

母の家系を継いで墓を守ってくれた

ご縁の方です。


色々あったはずの、姑である祖母の事も、先に逝った叔父さんの事も(微妙に浮ついた事が亡くなる前にあったらしいのに) 悪く言う事もなく


「◯家のお墓に入る事へも全然、迷いもなくいられる事がありがたいです。」

と、仰っておられました。


早くに亡くなって、お墓に眠る祖父は(私のおじいちゃん)本来、本家の家督を継ぐはずだった直系の血筋でした。


祖父が幼い時に、祖父の父親が亡くなって

本家を追い出されてしまったけれど。


その◯家の本家の家督を継いだ方は

その後、東京で事業を起こし、結構な成功をおさめました。今でもネットで拾える会社です。


それでも


それがどんな成功か、

想像がつく気がします。


それを達成する為に、必要な事も。


それを全力で後押しした、

祖先のエネルギーも、感じたものでした。


それが良き事とは正直、疑問でしたが。




そんな「業」の中で


地味だけど真っ当な事を、

大切に生きた (それが難しい中で。)


お花のような女性が

叔母さまでした。


闘病に入っていたのに隠しておられた頃に


一つ肩の荷を

降ろす話を打ち明けて

聞いてもらった事がありました。


先に逝った、おばさまの夫だった

叔父さまに関連する事だったから。


思えば、


初めて身内の恥を

聴いてもらった親類は(父の死に関することではありませんが。)


叔母さまでした。


叔母さまは、受け止めて下さって

叔父さまの様子を語って下さいました。

私の印象とは違うから、それがもし、嘘だったとしても、優しい嘘を、私にくれたのです。


その心に、慰められる気がしました。


誤解を解きたかった。


私がやった事じゃないのに・・・

本来は私が背負うことではないのに・・・


母がそうし向けて

知らない間に嘘をつかれていた事を


おじさまが亡くなった後に

聞かされた時は、


人を疑いました。

これが母親なの?と

人間のする事なの?と


悔しかったし


母に絶望感を持った、最初だったかも。


本当は

真実を、叔父さまの血族に

誰かに、直ぐにでも聴いて欲しかった。


でも、叔父さまとのお別れで

傷ついている人達に

話すような事ではなくて。


母がやった事でも

叔父さまの痛みは

家族の痛みでしょうから。


だから、ずっと一人で

もっていた真実でした。

そのまま墓場まで持ってゆくつもりでした。


けれど



父の死の周辺で起こった

母の醜さに

翻弄され踏み躙られる中で


どうにも耐えられなくなって


叔母さまにも関係がある出来事で

一つだけ、荷を下させて下さいと

お願いして聴いていただきました。


身勝手な事でした。


叔父様に、母がした事を知ることは


もう十数年・・経っても

少なからず、衝撃だったと思います。


それでも


もし叔父さまから聞いていたとして


その痛みを与えたのが

私だと思われたまま、叔母さまに

旅立って欲しくなかった。


誰かに本当の事を知って欲しかった


もう


母の負を尻拭いするように耐える事が

気持ち的に、精神的に限界が来ていたのです。




自分本位な選択だとわかっていても

助けが欲しかった・・・


叔母さまは気持ちを裏切る事なく


私の気持ちを汲んでくださり

噛み締めるように

言葉を返して下さいました。


母も責めず、

誰も責めないで。



血は繋がらない方ですが

立派で素敵な女性でした。


醜さが溢れた◯家の中で


花を咲かせ


その元に生まれた子ども達も

とても優しく汚れなく育ちました。


兄妹が本当に仲が良くて、

穏やかで、温かく、真っ当で、


しなやかな強さが

おばさま譲りの


人として大切な事を大切にして

家族が労りあって、


今がある人達です。




血の中で、敬える親族をあげるとしたら


唯一、おばさまでした。(血は入っていないけど)




今後は


おばさまの血が半分入った、

おばさまの二人の息子さんと娘さんでしょう。



叔母さまのような方が

向こうに還られて


祖先の中に加わったかと思うと


やりきれなかった祖先へのイメージが

ほんの少し、

ほんの少しだけ


変わる気がします。



今日は


叔母さまに最後の挨拶をしてきます。


絶縁中の姉にも

顔を合わせる日になるでしょう。


絶縁している事を半年前に叔母さまには

伝えさせていただいたけど


今から、心臓が苦しいです。