カテゴライズ

どんなカテゴライズも、
きっと、
同じ側面があると思う。
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例えば、
発達障害の色々
精神障害の色々
アダルトチルドレン
機能不全家族
依存症
HSP
虐待
etc・・・
実は
数々の身体の病名も、そう。
突き詰めれば
この世の全てがカテゴライズかも。
新しい、古いはあれど。
人が生きる営みの一部なのでしょう。
色ーーーんなカテゴライズが
ごまんとこの世にはあって・・・
ある人はこのカテゴリーで生き、表現して
ある人は別のカテゴリーで生き、表現している
カテゴライズされると
自分にも、
他人にも
わかりやすくなるし
伝わりやすくなるし
ポジティブだろうと
ネガティヴだろうと
自分という存在の居場所が生まれたような
ホッと感は生まれる。
それが、心の休憩になったりね
孤独が減ったりね。
ただ、いつも思う
自分に必要な
カテゴリーを知る事は悪くないし
参考にできる事は
知らないでいるより
知った方がいい事も多々あるけれど
そのカテゴリーを
伝える側の姿勢には
落とし穴があるなぁと。
その落とし穴に
嵌めてやる、と
無意識の欲望で
発信している人達の
カテゴライズ発信は
要注意だよね・・・
せっかく生かせる情報も
最終的に誤用になる仕組みとして
機能してしまう。
これも、宗教や、エセスピと似た構造なの。
カテゴリーは
元はグラデーションの中から
切り取った「枠」
極まった苦しみにいる人は
そのカテゴライズで得られる恩恵を
受けたら良いの。
本来、苦しみを減らす為に、
生まれたものなのだから。
でも、
今は、誰もが専門家の振りができて
取り込みたがる時代です。
何度も言うけれど
カテゴライズは
元々、統計で、人ありきのもので
私達の様相が「先」なのよ。
そして
カテゴライズされた枠の中にも
濃淡が必ずあるはずなの。
薄い部分にいる人は
変化してゆくし
変化してゆけるのよ。
自分で固定化しなければ。
でも、
今SNSで成り上がる
自称専門家の人達は
弱みを煽って
注目される為に
そのカテゴリーに人の心を
巧妙に、「固定化」するの。
人は、変われる。
私はそう信じているし
そう見ているのだけど
でも、
自分に必要な距離で
カテゴライズされる事と
付き合えないと
チャンスが来ても
抜け(られ)なくなる。
これは
多分、どんなものにも
当てはまる
仕組みだと思います。
私に合わせたAI機能で?
勝手に流れてくるSNS・・・
無意識の
もしくは意識的に
注目を浴びたい人は
弱みに漬け込んで
もしくは
承認欲求や
自己顕示欲という自分の欲求最優先で
言葉達を、並べるの。
それを目にさせられるたび
あぁ💧⤵︎と思う。
こういう分野でやるなよ、と、思う。
AIも、もっと進化して
私の、好みに合わせてよ!と思うけど、
まだ、・・・無理なんだろうな。
似て非なるものを、AIが分類するのは。
SNSもAIも
便利に、
自由に、
なったけれど
諸刃の刃よ・・
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カテゴリーは統計です
統計された「人ありき」のもので
カテゴリーが、
真実じゃないの。
使える情報を
使う為の指針だし
当てはまらない事
納得できない事が
生まれる事が当たり前。
そして
そのカテゴリーは
外れる事ができる。
アンビバレントだけど
変化し、外れる可能性が生まれる人は
カテゴリーを自身に固定化しない人なの
その中で
違いや
納得できないものを
感じ始める人達なのよ
カテゴライズされた中の知恵を利用しても
絶対だと盲信しない☝️
本当に
本当に
本当に
ここが重要。
固定化させて、
依存させて
離れないようにさせようとする
人の表現、空気は何か・・
そういう目で眺めてみるなら
必ず感じ分けられるはず。
距離を取れる他人なら離れていて「吉」
その人達自身が、
傷が癒えていない人達で
与える振りをして奪うサイクルにいる人だから。
その関係しか求めない人達だけど
実は、奪おうとしている人も
決して、その方法で
根っこはそれで満たされていないの。
固定化して奪っている関係だって
無意識では知っているからよ。
魂は、嘘はつけないの。
だからもっと!もっと!と
信者集めに加速する。
まぁ、寂しさが深すぎて
どっぷりハマりたい時は
自分は今そうしたいのだ、って知って
群れるのもあり!
お互い様です
味わい切る為だったり、
休憩する為だったり。
そういう時もある。
ただ私は、
もう
余計なものを
ショートカット出来る時代だと思う
ショートカットして良いのよ・・・
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カテゴライズする時のデメリットを
一つ書いておきます
知ったからと言って
解決にならない事も
中には、あるのです。
特に、エセな人達の
カテゴライズは
自分達の周りに固定化する為の
道具だったりする。
使い方がまず、都合良く間違っているの。
ならば、
知らない方が
まだ、制限されず
変化してゆく可能性の中で
存分に生きられる事もある。
よく、アダルトチルドレンだとか
共依存の世界で紐解く人達とか
鏡の法則で紐解く人達が
仕組みを先に受け入れてしまったが故に
回復の道を歩いている「振り」しか
できなくなっている姿を
たくさん見てきました。
基本は
どんな事も
味わい切れば
自分だけのオリジナルな癒しは起きるし
答えもやってくるものです。
でも
仕組みを先に
受け入れ知ってしまった
傷を抱えた人達は
共依存のカテゴライズだったとしたら
共依存「させる」エセセラピストの
顔色をうかがって
自分の人生にある
オリジナルなものを「味わう事」から逃げて
関係と、心の「整理だけ」に
重心を置き
依存を「抜けた振り」をしたがる。
本当は依存する相手(対象)を
変えただけなんだけどね。
だけど
本人が勘違いすると
またそこからエセセラピストが生まれてゆくの
鏡の法則もそう。
仕組みを一瞬理解でき
受け入れてしまったら
全てそれで解釈しがちになり
自分の中に
恥ずかしいとか
かっこ悪いものがあっても、
認めないし「ない振り」をするようになるの。
大昔、その界隈の人達の独特な空気に
(これは全く意味がないわ、)って思ったものです
正しくいることより
率直である事が
必要な時がある
時には
その逆も
もちろんあるけれど。
あぁ、書き分けたいのに
イマイチだなぁ