お別れに続く旅

5月22日から2泊で母と旅行に。
去年は父を辿る旅をよくしたけれど
今回は、その集大成のように感じる。
父母が最も好きな温泉地。
若い頃、登山をしていた2人の
思い出の地でもある上高地。
少なくとも、あの温泉地へは
施設のバリアフリー度からも
母の足腰では今がギリギリだったし
車の移動距離の負担を考えても、もう遠すぎる
あの地には、これが最後かも
母とは、
父の死から、複雑な気持ちのまま
共に過ごしている。
私の心の中には、全部の心がある。
その中の光を選んで試みる、の
繰り返し
綺麗事は言っていない
嘘も言わない
騙す事もない
私の誠意と勇気で率直に関わっている
この時点で
捨てていない
見捨てていない事の意味を
母が悟れずに逝くなら
もうそれでいい。
それが現実なの。
自分の責任から逃げる母には
目的達成の為に、甘い言葉を吐く人に
心揺れるのもわかっている。
でも、それになびくなら
そういう人生を、母が選んだって事で。
私には、
本来、関係がないの
これが事実で。
痛む心は、幻想なの。
一緒に過ごすほどに
別れを紡いでいるのかも、と思う。
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父と母が大好きだった白骨温泉
2日目には、上高地へ行った。
槍ヶ岳を見上げた。
大好きだった地。
父が逝って、後悔が残ったから。
それと 先日、母の誕生日で、
去年、父が母に何かを買ってあげたいと言うから、手伝うよ!と申し出て・・・
母のリクエストが「プランター」だったのが
父には不服そうだったの
何を買ってあげたかった?のか、わからないけれど、想定と違ったらしい。
私::
『母が喜ぶものが一番じゃん。じゃあさ、父が買ってあげたいものも買ってあげたら良いし、とりあえずプランター買ってあげなよ!』と
一緒にプランターを買いに行って、
土や苗も買って、
あとは、お水を撒いて育てるだけ、まで
頑張って設定した。
『じじのプランター』だよって命名したのに
あっという間に母は、
父の最後のプレゼントという事も
忘れてしまった・・・
呆けだけど。
母の呆けは
忘れたい、忘れても構わないから忘れる事を知っている私には、やり切れない姿だった。
父の願いも、続けて叶えてあげればよかった。
そのあと、入院になってしまって・・・
そこから怒涛のターミナルに入って
結局、叶えられないままだった。
父は何を買ってあげたかったのか
逝ってから後悔した。
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一年が過ぎ、決めた。
『父からのプレゼントの旅行』という旅を
設定しよう。
全部、私が支払うけれど
これは「父からのプレゼントだからね!」と。
父と母の一番好きだった温泉に
父の位牌も一緒に、旅をした。
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最終日に寄った、
老舗旅館の日帰り湯は、
父と母の 思い出のお風呂だった。
私達、子も、家族で泊まっているが
母にとっては、家族で訪れた思い出より
もっと若い頃に訪れた他人とのエピソードや
若かりし頃の父との思い出の方が鮮明だったよう。
母、湯船に浸かりながら
「ジジも来たかったろうに・・・。」
そう言えただけ、よかったよ。
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宿泊の施設も、お食事も、お湯も
いつもの母らしい姿で
舐めるように品定めをして
心の中で「ダメ出し」をしているのが
手に取るようにわかった。
そうそう。
これが一緒に旅をする事の苦痛の一つだった。
私には
お湯も良かったし
設備も充分で
食事も美味しかったよ。
母には違ったようだけど、
一体、何を求めてるんだろう
プレゼントの旅でさえ変わらず
食事にも「これ美味しいね」の一言もなかったし一泊目の部屋に文句をつけた。
ある意味、凄いや・・・
まぁ、いつもジャッジして生きるのが、
最も楽しい人っている。
父母は、残念なそういう人達だった。
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帰宅して、あぁ家だ!家族だ!って幸せを感じた。
疲れたな・・・
美しい景色も
美味しい食べ物も
新しい刺激も
一杯あったよ。
・・・あったのに。
それを 母と分かち合おうとすると
はすに構えられた。
私が「わぁ✨」と心動くほどに。
母はそういう人
そうだったよ。
まさか、プレゼントの旅まで
そうなるとは 思いたくなかったんだな、私。
どこかで希望を持っていた自分が
少しだけ、惨めだった。
いつの時も、
私を否定するところに立つことが
母の喜びだったじゃない。
それも変わらないまま母、は逝くんだよ。
いつもの母だ。
もう、抱えたものを一つ下させてもらおう・・
母は
私が唯一、親戚の中で心動いた叔母の
◯殺の引き金を引いた人。
いつの頃からか知らなかったけれど
母から叔母への態度が激変していたの
まるで、私に対するように電話口で叔母に話している姿を見た時、凄く驚いて
(一体何故?)と思った矢先の事だった。
その日、母と叔母は電話で話した直後
叔母は、この世を捨ててしまった・・・
母が豹変した理由の中に
私が叔母に心寄せた事を察知した、という
事は確実にあったでしょう。
そういう人なの。妬み。僻み。
その心の解消として
叔母に辛く当たっていた部分は、あったはず。
叔母がまさに逝ってしまった日、
そんな事は知らないまま、母から電話を受けて
叔母の悪口を聞かされていた私は、
何故か居ても立っても居られない気持ちになり、
母の代わりに叔母に謝りたくなって「叔母に電話をしたい!」と思ったの。
でも、私が勝手に心を寄せていただけで電話番号も知らない間柄。
取り敢えず、
母には刺さる言葉を使い、叔母をかばい、キツく戒めた。その言葉も、今でも覚えている。
でも、その時に、その日に
叔母は逝ってしまった。
◯殺の引き金を引いたのは母だけど
自分のせいかも。
あの時の虫の知らせは
ご先祖さまのSOSだったかも
もし、心に従って、叔母に電話をできていたら
何か違ったのかも・・・
素直に動かなかった事を、悔いた。
叔母に申し訳なく、苦しかった。
母は大きな罪を背負ってしまったなと、
子として支える覚悟をしたのに・・・
半年経ったらもう他人事になって
叔母のことを話す母に吐き気を覚えた。
母の業の深さに想いを馳せた。
多分、母がこの世で犯したものだけではなく
脈々と続く血族の失敗と罪悪感が
根底にはあると思う。
それでも、
母は繰り返し失敗し続け
向き合うチャンスを、ことごとく
自分本位に生きて、失敗した。
そうやって魂に刻まれた脈々と続く失敗や
伴侶である父への旅立つ直前の裏切りを思えば
もう、自分だけ本物の幸せを味わう事は
深層心理では難しいのかも
不平不満で
愛を拒絶し偽物の愛を受け入れたくなるのも
自分への罰なのかも。
でもね、本当に母が、
自分がした事を直視し
懺悔できたら(ごめんねって心に触れられたら)
愛を受け取り、
相手に応える事でも
今世の懺悔にできると、わかるはずなのに。
愛のない相手と繋がり
自分の欲に生きる選択は
偽物なのにね
でも、それが母なら
その選択をしている母を
ありのままに受け止めてゆく。
仕上げなのだな、と思う。
そこには、幻想を もう入れない
幻想的痛みからではなく
私の選択として選んでゆく道のりで
現実を直視して、もう一度味わって
お別れをしているのかも、と思った。
父の時のように、
自分の責任以上に、背負って
苦しむ時間を費やさない為に。
悔いない為に。
ふと、
車を走らせながら
よしもとばななさんの
エッセイを思い出していた。
境遇が違えど、先をゆく人。
ばななさんの、
お母さまとの心の距離とか
看取りまでの「在り方」とか
看取った後の、心のたたみ方とか。
一見まともそうに見えるご家庭の闇とか。
本で感じるものは
未知でもあり
既知でもあるような。
そんな存在に
ほんの少し、支えられつつ・・・
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母は、世間と他人がいる事で
やっと人間らしく、なる。
他人がいてやっと、まともになる人っているの。
子供の頃から気づいていた。
心理学的にもわかる。
母自身も、その抑圧された時の自分が
本物と思いたい自分がいてね。
だから、抑圧してくれる社会や人が絶対に必要で、家庭に入ることは恐怖だったの。
母には、どうしても仕事が必要だったのね。
でも、反面で世間という抑圧は、
大きなストレスでもあった。
これも心理学的にもわかる。
無意識に閉じ込めた、見たくない自分は
自然に、出口を求めるの。
自分の闇に、自分の意思で向き合う事がない母
抑圧された心は出口を必死に求めたんだろうね
抑圧してくれる社会も必要だけど
自分の闇を出せる家族🟰装置も、
どうしても必要だった。
生きるために。
老いて、抑圧が外れてきて、
我の方が強くなり
世間の抑圧よりも
抑圧されたくない!方が勝るようになり
世間を拒み・・・
自分では取り組めない闇を、私だけに
溢れさせた・・・
母は、
社会と共依存でもあるけれど
家族とも共依存だった。
今でもそう。
そのカラクリがわかった時は、切なかったな。
自分が死の隣にいた頃は
父母の在り方すら、自分のせいだと思って
過ごした時期があったの。
洗脳って怖いのよ。
その時ですら、母は冷酷だったな。
今思えば恐ろしい
それぐらい、母は人として崖っぷちの人だった
でも、洗脳されていた頃とは、もう違う。
何が起こっているか、もう知っている。
自分が何故、こんな母を捨てていないかも
その選択の理由も知っている。
この旅も 母の姿も、
丸ごと直視してゆけばいい・・・
本当の自尊心を取り戻してゆく過程で
やっと、母が何をしているかを理解していったのと同じように。
そこには 悲哀、哀愁はあるよ。
こんな風にしか生きられなかった、
今後も変わる事のない、母への。
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今回の旅も温かいものは生まれなかったな。
母にとって、他人が1人もいない旅だから。
正直、ほんの少し心が痛んだし
寂しかったけれど
想定にあった姿だった。
そしてこれは
私が、今後、悔いを残さない為の旅だったのだから、ある意味、達成!
これでいいや、と思う。
母の姿まで、もう背負わない。
父が旅立つ直前の
母の裏切りから、この旅までが
私の一区切りで、集大成。
もう後は、
心縛られず居よう。
本当に・・・頑張った、私。
自分で自分をたくさん褒めるよ。
血を吐く想いだったよね。
よく生まれてから今日まで、生きてたよ。
ジジ、ご先祖さま
理解できてる?
私は全部みたよ。全部。
普通の人達のように、嘘っぽい供養はしない
でも、私なりの供養はしてゆくし
あの世に世界があるのなら
あの世の世界も変わるべき時だと言い切るよ。
脈々と繋がってきたものも
家族にあったものも
全部認めて
繋がりの責任を負って
供養する
家族になって
喜びも、小さな頃にはあったよ。
ちゃんと知ってる
でも、それも、縛られる杭になって
優しい記憶すら私を苦しめた。
でも それも、看取ったよ
ありがとう
ごめんねって。
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帰路につらつら考えた
父母が私だけを
ゴミ箱にして生きてきたのも
(父母と同じスタイルの人だった。引き寄せだね)
これっぽっちも
私に酷いことをしていると
思っていないコトも気づいている。
私にはやっぱり1ミリも理解はできない姿だけど
昔から、
苦しみ悲しんで
どんなに泣き叫んでも
家を捨てて出ても
何も変わらなかったよね。
私は、透明人間のようだった。
でも、出口が絶対に必要な父母は
出口を失うわけにはいかなかった
のだよね。
これも反面教師にしよう
私が息子に
つい、やっていることはないか?
この言葉が
息子を悲しめていないか。
そういう発想はなかったけれど(だって自負があるの。息子を愛しているから。)
それでも未来に
万が一、という側面を描いて
もう一度、自分を戒めた。
絶対に、こんな関係には陥らないように。
天邪鬼には大事な、反面教師
私の幸せの為に
そう役立てると誓うよ
そういう気持ちで思い切って