境界から見る景色

はじめましての気持ち

『プライドが・・少しお高いのかも』

めい




先日、複雑な気持ちになって


また、涙。



話したいけど

話せなくて・・・


旦那に【聴いてもらう予約】を入れた出来事を


約束通り、先日旦那に聴いてもらいました。




今日は ここにも、吐き出します。


私の心の流れの【記録】として。


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母の施設のお隣さんは、


とても人当たりが柔らかく

明るくて、素敵な方です。


聡明で真っ当に生きてきた方だろう事がよく伝わってくる方でした。


母より、2ヶ月前に同じ施設に入居されていて


もし、少しでも 母が、仲良くなれるなら


運に恵まれた幸運だな〜と思ったの。


母からお隣さんをみた印象も「良い感じの方ね!」と、珍しい事だったのよ。




私は、お隣さんとは


偶然、廊下で会って話し込み、

とある事で似た人生を歩んできた事がわかって


阿吽の呼吸で理解し合えるものがたくさんあって


ひと足先に、


少し深く、仲良くなっていたのでした。


この前亡くなった、尊敬できた叔母様に


似た空気を感じて


この方が親である娘さんは幸せだな・・・と


眩しく、羨ましく、切なく思った

不思議な出逢いでした。


私は、お隣さんに「いつか一緒にランチに行きたいわね!」と言われる


心の距離感になっていました。


お隣さんは、控えめな空気もあるのに

親しみやすく、実は社交的なので


あっという間に、施設でも人気者になってしまわれました。


当然だと思いました。


母が言うには、


声をかけて話そうにも「なんか・・皆話したくて、取り合いしているみたいになっている感じ。」


なるほど・・・


仕方ないね。


もう、母は、


認知が進んでいて、

言葉もスムーズに紡げないので


人の輪の中で、


話術で、立ち回るのは、もう無理です。


実家の近所にも、退職してから30年住んでも

友達は1人もできなかったしな。


どこまで、母が

人間関係をこなしてゆけるのか、

私も未知だったのです。


もちろん


母が、仲良くなりたくても

片思いで報われない事は


ごまんとあるでしょう。


母も、他の人と比べて


諦めてしまったようでした。



挨拶をするぐらいの関係に、

収まったようでした。



それも ありのままだし、

仕方ない事だと、思っていました。


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そのお隣さんが


リハビリを兼ねて、

自由に出入りできるリビングに行くという時に


久し振りに 


母の部屋に行く手前の廊下で すれ違ったの。



【お隣さん】「もし、お母さまも、お時間あったらリビングに来てねってお伝えしてね。」と


言ってくれて


これはチャンスかも!?と


私も欲を出してしまったの。


さっそく部屋に行って、母に話したら

母も乗り気になったので


リビングに連れて行って引き合わせたの。

ゆっくり話すのは、お互い入所してから

初めてだったようです。


お喋りできる環境設定をして

私は、ご遠慮して帰ってきたのです・・・


2人の間を取り持った方がいいか迷ったけれど、


母のありのままを知ってもらって

駄目なら仕方ない事だし。


どの道、今取り繕っても、

今後に衝撃を持ち越すだけだし


そんなのは続かない偽物だしな。


母にとって、良き時間になる事を心から願い、

祈るように帰ってきたのでした。




でも、


あまり うまくいかなかった事は、


翌日すぐわかりました。




どうだった?と聴いても


母の反応は、微妙でした。


こういう事は覚えている人なので


あぁ、この反応は・・・と


すぐ悟りました。




何か、を感じたのね。


何かがしっくりこなかったのね。


少し、尋ねてみたけれど、

はぐらかして、言葉にはなりませんでした。


悪口が大好きな母が、お隣さんを悪く言う事はありませんでしたから


ただ、言葉に出来ない何かを


感じたようでした。




・・・仕方ない。


全ては ありのままだ、と


そう心に納めていました。




その後も


私が、お隣さんと出会った時には


何も聞かず、

何も言わず


普通に、接してきました。




母とのセッティングして数ヶ月経った、先日


久し振りに、立ち話で、


お隣さんと私の話が、深くなった時に


お隣さん「・・・ごめんなさいね。私あなたと、こうやって話すように・・あなたの母さまとは話せないの。」



・・・あの時の事だな。



私「あぁ・・・母、そう見えないのですけど、もう呆けてて。上手く言葉が出なくて自分からあまり上手く話せないんです。」


私「こちらこそ、この前はあんな設定したまま預けて帰っちゃて、気を使わせちゃいましたね💦ごめんなさい。気にしないで下さい。」


私「それに・・・母は難しい人ですから。私も色々ありましたし。(苦笑) 」


そう話したら


深く頷いて、


何かを見通すように


もしかしたら?

私の心に寄り添ってくれようと???


内緒話をするように、顔を近づけて


「・・プライドが・・少しお高いのかもね^ ^」


と、お茶目に。


私は 苦笑いで返しましたが・・・




でも、不思議な事に


理解者になってくれた、お隣さんだったのに


その言葉は、心に刺ささった

苦しいものでした。



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その時、お隣さんから聞いた話ですが


母は、今、施設の人と

誰とも 関わろうとしていないらしいです。


いつも、見ると


痛そうにしているらしいの。


お隣さん「人と話すのが、あまり好きではないタイプかしら?」



いいえ。


きっと母は


本当は話したいし

理解され受け入れられたいと


思っていると思います。


人は皆、傷ついて歪まなければ

全員そう思う生き物だと思いますよ。


でも、母は、やり方を学べなかったの。


自業自得の因果なのだけど・・・


まの当たりにすると、くるものがありました。



もちろん、痛みは残っているのは


嘘ではないでしょう。


でも、本当はもうそこまでじゃ、

ないはずなのよ。


その素振りは


わざわざ、その場でする必要がないの。


それぐらいの痛みなのに。

(何故なら部屋で動く時、そうではないからです)


私と居ても、会話で都合が悪くなると、

途端に「あたた・・痛いわ・・」と口をつく


そうやって誤魔化すのも、母の日常なの。



それが唯一、


母に残った


関わりたくない人と

関わらないでいても不自然じゃない、理由で


自分が取れる表現方法なの。




そして、


私に関わってくれるなら、

痛い私に寄り添う方法で、私に関わって!


という魂からの


自己主張なの。


この両方の意味を持つ、アピールなのよ。



母はきっとミュンヒハウゼン症候群。


痛みが無くなってしまったら、困るのです


本当に


ずっと、

ずっと、

ずっと


人生で、こうだったのです。


(ミュンヒハウゼン症候群の話は

以前 blogに書きました。)



物忘れ外来の精神科の医師に


何故でしょう?と聞かれて


母は、子供の頃に、

当時、死病だった結核に罹って


その時に


多分、初めて、


みそっかすだった自分が

親からの注目を独り占めできた気がして


満たされて、

嬉しかったのでしょう、と話したら


納得しておられました。


母にとっては大きな成功体験として刻まれ

ずっと、そのやり方を繰り返す人間に

なってしまいました。



最初は父がそれを気づき、分析して

まだ若かった私に、教えてくれました。


父は随分、その欲求を埋める役割を担って

尽くしたと思います。


が、


母の欠乏は、埋まりませんでした。


病気は正義❗️の母の欲望は止まらず


扱いに困ることは、多かったです。




だから、母は


自分の病気アピールを(ミュンヒハウゼン症候群)


気持ちよ〜く満たして受け入れてくれる

医師達は、大好きでした。




でも、


普通の人間関係でそれをすると


母のそれは、


歪みでしかない。


見抜く人もいるし・・・


不快に感じ、流す人もいたでしょう。


病気自慢の空気って・・わかりますから。





とにかく


この施設の人間関係で

どこか浮いているのを


母も自覚してしまったのでしょう。


そういう感覚は呆けていないの。

ある意味で、不憫です。




それが、


お隣さんとした会話で、

私にも、見えたような気がしました。




母も 呆けは進み


昔のように、細やかに、

言葉で取り繕う事は、もう出来ない。


母のありのままが


漏れ出てしまう。


母の力で


自分が許容できる相手を見つける事も

できないし


苦手な状況を上手く処理する事は


呆けで叶わないのが現状です。





きっと


そんな自分が


ただ、


寂しく

孤独で

重い気持ちになったのでしょう。


その時期が


デイに行きたくないと

ダダを捏ねた時期だったのかも。


引き篭もった時期だったのかも。





少し前に


本屋に連れて行った時に【孤独に生きる】という本を、母が買ったの。


私はそれに気づいて、


そう思うことが悪いとは思いませんでした。


人間は群れたい生き物だけど


全ての人が本来は、一人で孤独なのだから、


孤独に向き合う事が、

母にやってきた今の選択なら


それも必要なのだろうと・・・


ただ、


人生の順番として

人生のタイミングとして


そうではない方法もあったのに。


それに、今この瞬間に


孤独を減らす選択だって、

出来るのに。


私に、心の目を開けてくれたら良いだけなのに。


悔しく、やり切れなく思った瞬間でした。




人との繋がり方


人を貶める自分のプライドの扱い方



真っ当に心から


その方法を知りたいと求めたら


ちゃんと、わかるのに。




母は


人生で大切な事に

向き合えなかったから


今、全部が、わからないのだろうし


それを学ぶ事も

もう、遅いのでしょう。





その孤独を


背負ってゆくのが母の業で、


因果なのは知っている。




私がこの世で


一番、知っている。




何故なら


最も、母の負を

ゴミ箱にされて負ってきたのだから。




なのに



何故、泣けるの?・・・


何故、涙が出るのだろう。




姉のように


母にも父にも


演技をして、偽って、嘘をついて


擦り寄り側にいたのではなく





いつも、素で


諦める事を知らずに


ぶつかっていた私。


そこには信じる気持ちがあったのね。





だから


全ての、


父母の醜さ、業も知っている。




なのに、なお


捨てられない私。




私しか、居ないじゃん・・・


素の母を、知っても


想う人間が。


もう、居ないじゃない・・・


何処にもいない・・・




苦しいよ



誰かに、


その役割を担って欲しかった。





でも、それも 甘えだったんだ。





母は、


自分の責任を負って


この世を、旅立つよ。





それは、因果の法則で


侵すことは出来ないし


肩代わりも、出来ない。





誰がどんなに、


母に優しくしても


母の孤独や焦燥感は、消せない。



あまりに業を重ねすぎたのよ。



母が自分を振り返って


気づかない限り、


消えない。


それも、因果の道を歩いてきた私が


誰よりもわかっている。




だから、私も、境界線を引くと決めたのに。




何故、泣けるんだろう。




そう、私は子供の頃から


父母を、心でいつも守っていた。




大学のTグループ合宿で


最後の仕上げの気づきが

父母を守りたかったんだという気づきでした。


その当時は、あり得ないって衝撃だった。


でも、今はわかるよ。


結局、ずっとそうだった。




おかしな父母が


近所から傷つけられないかと


心を痛めたし


守りたいと、いつも思っていた。



彼らに


憎まれ口を叩いても


反撃しても


そう選択してきた。




母とはうまくいかなかった

お隣さんだったけれど




母の中では今でも


施設の中で、最も良き印象の方らしい。




その事を母の口から聞いて


より切なくなったし



お隣さんも、

母の事を苦手な人だと感じても


配慮して接して下さったのだな。


ありがたく思ったよ。



けど、悲しかった。






私は、子どもの頃の気持ちに


立ち返った。




これを負って生まれたのが


私の宿命なんだな。





屑な母を


ありのまま受け止めても



こんなに 


まだ、守りたい自分がいる事が


やり切れないし 正直、苦しい。




でも、これを


今ここで、


受け止めるんだな、と



泣いた。





母が自分で背負う因果は


肩代わりしないし、


できない。


だから、境界は保つけれど




母の喜びを増やせるように、


私は、私の事を、する。


そう思った日だった。