境界から見る景色

はじめましての気持ち

ブログを書くということ



muragonでは何をテーマに絞って書いていこうか?


目下それが悩みです。


決まっていた方が

分かりやすいんですね。


ブログランキング?

よく分からないけど登録してみました


検索しやすくなるのかな?


今は私は書くものも色々ごちゃ混ぜで

徒然なので、


どこに何を書くか

決めていけたらなぁと思いました。


最初にmuragonに登録したきっかけが

高血糖だったし・・・

こちらのブロガーさんの糖尿ブログだったので


初志貫徹なら

ヘルスケア系かな・・・


うーーーーーーむ



色々なブログを読めたら

人生の楽しみが増えそうだなぁと


喜び、楽しみを増やす事を目論んでいる自分


そっか。

ブログは楽しみなんだな〜


じゃあ、自分が出すものも「楽しみ・喜び」を

出すのが


循環としては道理かも???


いっそのこと

日々の食べ物にでもしようかな(笑)


うーーーーーむ


工夫もしていかないと、ですね。


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息子に「新しくブログ始めたよ」って言ったら

「ブログ、一番過疎ってる場所じゃん!」って言われました。


「え!?そうなの??やった!!!上等じゃん、望むところ。超ベスト。」そう返事しました。


みられたいならInstagramとかやればいいもんね。


私はある程度守られた空間で、大多数向きじゃなくて、リアリティのあるものに触れたいの。


キラキラした今を生きるお子ちゃまには

まだ分からんでしょう。


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実はとあるSNSで10年以上

自分のページに記事を書いてきました。


最初は、自由に動けない子育て中の気分転換、

息抜きの為に 参加したんですが


書けば書くほど、

繋がった人のコメントや イイネ!が

自由とは程遠い、足枷になっていきました。


ネット社会でまで、

自分が感じた気持ちを抑えた関係を

背負うのは


全然っ 意味がない!

今の自分には違うなぁーと気づいて


繋がった方達に誠意を持って

フォローをご辞退する事を告げて


プロフィールにもそう記入して


孤独になりました(笑)


けど、それを転機に

守られたSNSの仕組みの中で

自由に書けました。


とても大事な場所になっていきました。


数少ないけど、

自ら選んで訪れてくれる人が、

自らの意思で読んで

繋がってくれることや、

イイネを残してくれる事が


数ではなく、真の喜びでした。


自由に、心の中に生まれた事を正直に出していました。


ほんの少し、誰かにみられるかもという緊張感を利用させてもらいながら書いて

心の昇華を試みてきました。


嘘じゃない言葉、心は


必要な誰かに 

同じ深さで共鳴する、

そう感じました。


共鳴される、という事は

その人の中の傷も分かち合う、

そういう事でもありました。


一方通行ではない、それが

何より欲しい事だったから


心に湧いたものを出す挑戦している(書いている)人間にとって、


本望でした。



普通の人達は


私の挑戦など、関係ないし

必要じゃない人でした。


それが平和ということだし

幸せなのだとも知っているし


その安定を守ってゆくのが

個々の責任なのだから


私と繋がらない事が重要で、責任、

という人もいる事も


誰よりも理解しています。


だからあえて孤独になって

自ら選んできた必要な人に


共鳴してもらえることが


一番自然で、

ありがたいことでした


そう願って書く事は

ずっと変わらないみたいです。


そうでなければ

私には書く意味がないようです


このスタンスがうまくいく方法を


どこにいても考えて行くのが

私らしいなーと思いました。


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Google検索からブログがヒットしなくなったのは2012年ぐらいからだったかな?


あの時の残念感!ったらなかったです。

つまらなくなったGoogle検索


工夫するとまだ少しはヒットしますが

(そうしてmuragonのブロガーさんにたどり着いたんですけどね)


ブログが(個人のホームページ)が簡単にヒットしていた頃は、ネットの世界も興味深く、面白かったです。


今年は、あの諦めた楽しみを


取り戻します。

使い方を覚えて(笑)

「紅白なます」と こころ


母から持たされたお節料理。


実は、紅白なますは、母の作るお節の中でも

苦手なものです。

大人になって箸はつけられますが、あの匂いも味も今でも好んで食べません。


私が好きかどうかなど関係なく持たせるのも母です。私の好みなど興味がないし知ることに価値を感じない人です。


それでも、もう老いて

一生懸命作っていることを知っているから


あと何回あるのかわからないし、

「ありがとう」と受け取り、


高血糖に響くだろう甘い甘い紅白なますを、

年始にお盆に少しずつ配膳して、食べました。


でも、私の家族にも紅白なますは好まれず。


息子は一本だけ。

旦那も高血糖中だし盛り付けたものは食べてはくれたけど、元々酢の物が嫌いな人だから


それ以上箸は進みません



2日になってもたくさん残っていて

私一人で食べていくのか・・と思ったら


捨てたいのに、捨てられない

そんな気持ちとの葛藤でした。


母は、私が嫌だと言うものほど、

やめて欲しいと言う事ほど、

私に突きつける人でした。


そんなトラウマも浮上していました


でも、母の老いに見えてしまう哀愁に

同情してしまう自分もいて


たった一品の紅白なますに

重苦しい気持ちになっていました。


こんな気持ちのまま無理に食べる事が

私の人生「そのもの」な気がして。


で、振り切るように


リメイクしよう!と。


苦手って、仕方ない。


私は生々しい紅白なますは嫌いですが

「煮なます」は大好きなんです。


なので、母の紅白なますを素材にして

「煮なます」に作り替えました。


「煮なます」なら、息子も旦那も普通に食べてくれるので、残っていた母の「紅白なます」は全て2日のお昼で食べ終える事ができました



これがリメイク済みの「煮なます」


私が作るのは具がいつも3種だけ。

これが好きになったきっかけの投稿の方が

3種だったので。でも、五目で作るのが本式かな?


紅白なますを通して

何かを再認識した気持ちです


私は母には共感したり

母の持っているものをそのまま

受け継ぐ事はほとんどありませんでした


母が表現する好みも視点も価値観も

残念な事に違いました。

違いすぎました・・・


母は私が存在するだけで

自分が否定されているように

感じてきたのかも知れません。


しおらしい人じゃない分

私に対する否定やコントロールは

過酷でしたが。


私は私、それでいいよね

ただ私でいることで誰かを傷つけている訳じゃない


もう一度自分に言い聞かせるように



美味しくいただきながら

そう思ったお正月でした

生姜とシンクロニシティ

気持ちを切り替えよう


そういえば、読者になっているブロガーさんが


「生姜」について投稿されていたのを外出先で気づいた時、


私はちょうど「蒸し生姜」の本を買った直後だった(笑)


こういうタイミングを

私は大切に思っている。


ちょっと飛んだように思えるかも知れないけど、


神を感じるような

そんな感じ


こういう時って

なんて言うんだったっけ????

・・・アレだアレ・・

最近言葉が出てこなくなって(苦笑)


この前なんか、姉の名前の漢字が出てこなくて焦った。


う〜ん・・・そうだ シンクロ!

シンクロニシティ✨


私は宗教は持っていないけれど

シンクロニシティが起こる時

うまく言えない気持ちになる。


その中には畏怖に似た気持ちもあるけれど

深い肯定を得たような、嬉しさ、のような 誇らしさのような なんとも言えないものを感じる


こういう感覚って、

子どもが親に認められたり、褒められた時の感覚に近いんじゃないかな?と


想像してみたりする。


ここぞという時に裏切らない存在。


シンクロニシティは裏切らなかった


そんな体験だったからこそ、

真に救われる事もあったのでしょう


小さなシンクロも有れば

超絶ミラクル!なシンクロもありました


私には親はいても

いない、と感じているのが正直な感覚で


強いていうなら、

このシンクロニシティが

私にとって親のような存在だった気がする


話は「生姜」に戻るが


最近、また生姜が美味しく感じ始めた事と、

息子が冷え性になったのもあって、


「また取り入れる時期がきたのかも?」と、


より温まると聞いた「蒸し生姜」の本を買ったのでした。


昔、生姜のパウダーを取り入れていた頃がありました。

焙じ茶にたくさん入れて飲むのが、辛くてめちゃ美味しくて。あの辛さが大好きで。


思えば、子供の頃から生姜は好きでした。


蛤の佃煮は蛤そっちのけで、甘辛く煮しまった生姜が目当てだったり、

レバーを煮た時の生姜のかけらが何よりご馳走だったり(笑)


自分で料理をするようになって

「そうだ!生姜だけ佃煮にしたらいいんだ!」と、生姜だけの佃煮を自分の為に作ってきました。


ご飯のお供。

素朴な幸せです(今は高血糖で封印ですが)


思えば、身体が欲していたんでしょうね。

そして合っていたんでしょう。


その後、産後何年か経った頃

(その頃はもう生姜パウダーを飲まなくなって

久しい頃でしたが)


何故か生姜の風味が嫌に感じて


キッチンから生姜が消えた時期が

数年続きました


大好きな薬味だったし、

いつもキッチンには常備してあるはずのものだったので


自分でも めちゃくちゃ意外でした。


でも、そういう感覚を信じているので

素直に観察しつつ距離をあけてました。


多分、今は

摂らない方がいい時期なんだろうと。


確かにその頃、

冷えとは無縁になった時期でした

もう一つ、菊芋にアレルギーを示した頃でした。近縁なのかな?


そしてまたここ一年、


自然に惹かれて、生姜がキッチンに戻ってきました。

また、美味しく感じています✨


身体って不思議です。


きっと「今」なんでしょうね


シンクロは大抵3つ重なったら

本格的に動きます


さぁ今年も引き続き

身体と対話して整えていきます