ジタバタしている人【追記】
多分、姉の心は 今、ジタバタしている。
母が介護施設に入ることになって。
介護の「か」の字も
一切しなかった人が、
この期に及んで、ジタバタする理由って何か
わかりますか?
何でしょうねぇ
施設入所を決めてから
2度ほど姉夫婦は母の元を訪れています。
どんな会話が、姉夫婦と母の間であったか
私は、知りません。
もう興味もない。
私】『同居の話が出たなら、行けば良いのよ。』とだけは、言ってきました。
ただ、それが
今から家を建てるから・・・
今からマンションを探すから・・・とか
定年になったら同居を・・・とか
時間のかかる未来の話なら
私は許しません。
散々、その手口で
介護中、母や父の心を掻き回し
私は結局、あの最後を背負わされたのだから。
そんな話なら
『同居する時に、介護施設から行ってね。』と
私はもう計画をすすめる手を止めませんでした。
母も、「何も言われていないわ。」と
私に何も言いませんでした。
そんな訳は、ないですが。
母がそれを言わない、という選択の中にも
何かがあるのでしょう
でも、それも どうだっていい。
姉は少なくとも、
『〇〇がどう言ったって、介護施設に行きたくなければ、実家に居れば良いんだよ。』とは
絶対に言ったはずです。
何故なら、
母が家出した時にも
母に掛かってきた電話で言っているのを聞いたから。
姉は、そう、言っていました。
どれだけ、介護者である私を無視しているか
よく分かりますよね。
実際、どれほど今、母に手がかかっているか。
私も本格的に働かないといけないのです。
介護でずっと、それが出来なかった。
姉はその事も知っているのです。
でも、ならば
母を放っておけば良いという
考えなのです。
自分が介護に参加する訳でもありません。
最も、老人ネグレクトの先にある未来が
望みなのよ。
その目的は
純粋なものではありません
どうにもならなくなった時に母が繋がる場所を
姉は知っていて
値踏みしているのです。
それを
母を【思いやるふり】をして言い寄っている。
自分(姉が) もっと介護に行くようにするから、
では、ありません。
母の意向、自由を尊重するふりをした
外道なの。
おぞましいです。
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姉にはLINEで事情は説明し
やり取りをした後に
高速を飛ばして
私は、母を迎えに行っていました。
姉は迎えに行って帰宅しただろうと逆算した
私が母のそばにいない遅い時間を狙って
電話をしてきたようでした。
いつもなら、あり得ない時間です。
私は、そのまま母の家出したホテルに泊まったので、母と一緒にいました。
だから、
姉が電話口で何を言っているのか
横で聞いていたのです。
途中で、私が居ることに気づいた姉は
焦って、直ぐ電話を切りました。
でも、それも
天が私に味方をしてくれた流れでした。
完璧なタイミングで
完璧なシーンでした。
醜く、何の反省もない姿を
私に、意図せず晒してしまった姉は
それから一度もLINEをよこしませんでした。
バツが悪いからでしょう。
そう言う時は、反省するより
開き直って逆恨みに走る人なので、
今も尊大な態度で逆恨みに励んでいるでしょう。
私も、入所が決まった施設のパンフレットに
メモ書きを添えて、姉に渡すよう実家の机に置いただけで、
入所日も
そのほかの何もかも
連絡しませんでした。
絶縁したい人間が、
お知らせしただけありがたいと思え。
チャンスをあげたのよ。
でも、正体を晒す事になっただけだったでしょう?嘘がバレて恥ずかしいね。
ずっと、母に囁き続けた「同居」でした。
それでコントロールしてきたんです。
父が無くなる直前に、介護のかの字もなかった姉夫婦が、何故かゴリ押しで実家に乗り込んで半同居?予定に。
なのに、父が亡くなり
私も相続をすると決まった途端に、
1日も、実家に泊ら(同居)なかったよね。
姉の義母が亡くなって、義母の一階居室スペースは空いてるよね?
嘘を
そそのかしを
嘘ではなく、実現させるチャンスを
あげたのに。
心を入れ替えるチャンスを与えたのに
動かなかったよね。
母も
現実を一瞬、見えたでしょう。
呆けで、都合よく忘れてしまうとしても。
これが、姉だったのよ。
いつでも実家で同居できたよ。
子もいない
ペットも逝った
義母も逝った。
旦那は仕事を定年し家にいた時もある。
何が、障害だと?
姉の仕事も、結婚前は
実家から通ってた。全然、通勤圏内よ。
姉の家庭の環境が変わるたびに
その度に
母の内心は「いつ同居してくれる?」と
期待をしていたよ。
知ってた?
気づいてたけど誤魔化し続けたよね。
でも、結局事は動かず、裏切られては
母は、何故か私にイライラだけを投げつけて
姉には、何も言えずチヤホヤして・・・
ぼーっとする日が増え
呆けが進んでいったのよ。
でも、それも
あなた達が作り上げたもの。
私は、今、
私の目線と私の心で
私と母に必要な事をするだけ
出来る事を、するだけ。
姉は、母を
電話を減らしたり
実家に来なくなったりして
いつもの手口で
コントロールしようと、もがいている。
最も、自分達に都合の良い状況を
引き寄せたくて。
もし、それに母がなびくなら、それも母の幸せなのだろうから、勝手にどうぞ。
私の人生ではないし、
母が選べば、私も選ぶだけ。
でも、私は、
私が心を尽くして選んだ施設で、母が生きることに張りが出て、安心できる生活を送ってくれたら良いなと、願ってる。
悪人なのは
自分は間違っていない、正義だ!とでも思っている無自覚な人。
自覚がない悪は最も悪人だと思います。
こんな血族が
本当に情けなかった・・・

父が旅立ってから
あり得ない事ばかりでした。
なんだか、心の、駆け込み大掃除みたい。
母や姉からは
謝罪も
言い訳もなく。
言い訳も、正当性が有れば積極的に誤解を解こうとするでしょう。
できないし、
しないのは
そういう事です。
それなのに、
熱りが冷めたかな?ぐらいの気持ちでいる
気持ち悪さ。
いつものように、接したら
私が受け入れるだろう、いや、
受け入れろよ、と暗に恫喝をする意味で
姉は、お土産を、
母経由で、私に寄越してきた。
当然、私はブチ切れた。
普通に考えれば
正気の沙汰とは思えない。
けれど
これが実家の血だった。
ずっと。
母も、
とにかく
自分の事しか考えない人だったから
父の死の間際の振る舞いは
人として失敗した!という
自覚が実は、母にはあって
母】「そうよ!失敗したわよ!」と
何故か、盛大に逆ギレしながら
認めていたのに
だから、あなたが(私) 全て無かったことにして
姉と元通りになって丸く納めなさい!と
『たった二人の姉妹なのに!』と
どこをどう履き違えたら、吐ける言葉なのか謎の
まるで印籠を突きつけるような、得意気な言い方で
本気で 私に詰め寄ったのよ。
このロジック・・・破綻してるでしょう?
他人には、伝わるんです。
話せば皆、失笑して
母や姉の言動に、眉をひそめます。
でも、血族には
父母や姉には、伝わらないの。
どんなに狂っていても
自分達が正しい!と振る舞える人達でした
これが
私に対する、扱いだったの。
ずっと。
ずっと。
父の死が、私を自由にしてくれた。
もう、これ以上
私は、ゴミ箱にさせない。
踏み躙らせない。
踏み躙っている人達に自覚がないから、
仕方なく許す、受け入れる・・・ではなくて!
はっきりと
拒絶する。
もう、そうしていいよ・・・と、
父にチャンスを
与えられたようにすら、感じました。
介護を頑張った、ご褒美だったね。
それをやっと
やり切る道に、立ちました。
私は父が旅立った後の
この1年半
何度も、その母の振る舞いに
ふざけんな!と
訴えました。
呆けてしまって
あの時、姉と、自分(母)がした事の
細かい細部もあやふやになり
覚えていなくて
どんどん尊大な態度の母に戻ってゆくの。
今、自分達が、
どう、私を傷つけているかも
本当にわからないの。
分かりたくないのでしょう。
きっと、心は
習慣で「ゴミ箱なのに偉そうに!」ぐらいの心です。
高慢ちきな姫がいたとして
使用人に痛いところをつかれたとしても
絶対に認める事がないように。
それでも、私は
違うよ、それは恥知らずな事なんだよ
今、あなたが私にしている事は、
こういう事なんだよ?・・・と
全身全霊で、伝えようとしてきました。
初期の頃は
母が恥知らずな事を私にするたびに
母と姉が、私にした事を
もう一度話して怒らねばならなくて
身体は震えて、
涙が滔々と流れ
必死の姿で伝えている私を
母は
忌々しい顔で眺めて
時には、吐き捨てるように
もっと恥知らずになりました。
心がまた、当時に戻ってしまうのに
憎む人の介護は続く・・・
苦しすぎました。
何度も、
何度も、
母は、自分のした事の
責任を取りたくなくて
自分では持ち堪えず
私に投げてしまうのでした。
最後に、
人生の終盤、
もう呆けた振りをして
恥と罪を忘れたいのだね。
わかった。
そんな、母の気持ちを汲んで
私は
『私や父に何をしたか、忘れてもいいよ。』
『でも、姉と元の関係に戻れという資格が、あなた達には1ミリもないの。それは自分達が背負う事だ。』
『それだけ守って。2度と言わないで。』
そう伝えましたが、
・・・駄目でした。
姉と和解しろと
謝罪もなく言われる筋合いはないのです。
そう言われながら
一人で介護は、もう無理でした。
母の介護をする事🟰ゴミ箱にされる
事と、同じになるからです。
私はもう、
誰にも自分を
ゴミ箱にさせないの。
自分で自分を、踏み躙らない。
でも、母は
最後まで、いつもの母でした。
同じ事を、
弱い心で
私に漬け込んで、言ってしまうのでした。
一年半、耐えて耐えて
可能性を信じて
許すものは、許し尽くしました。
心を整理して
あとは「母の喜ぶ事をしよう!」と
決意して、
前を向いた瞬間から
また
母の無意識は
私の変化を
肌感覚で察知したのでしょう。
明るく、優しく接するようになった私に
漬け込める!と。
優しく接するほどに
不機嫌な態度を見せてきました。
また、恫喝、駆け引きが始まっていたのを
感じて、
悲しかった。
これも母だったな。
昔からの、やり口だった。
だから私は
あなたに、
優しくなる事が難しかったのだよ。
私のせいじゃないって
大人になって、やっと気づいたんだよ。
どれだけ苦しんだと思う?
でも、まだやるの?
ここまできて、やれるの?
あり得ない・・・
屑すぎだよ。
私の優しさに漬け込んで
自分が変わらない為に、
駆け引きで、
不穏な空気をつくる母でした。
【私の想いを汲んで、お前が変われ!】
いつも、いつも、そうでした。
今回も、
絶対に、これだけは(絶縁を解けと上から目線で恫喝する事を)
やめなければ、
もう私は、ここに来れない、とまで
ギリギリの気持ちを、正直に伝えていたのに。
結局、優しくなった私に
また直ぐに
言ってはいけないはずの言葉を、
口にした屑な、母でした。
ショックでした。
でも、やっと、見えた景色があった。
もう、他人の手を借りよう。
助けて貰おう。
一人で耐えるのはもう限界だ。
気が狂いそう。
耐えている間、
母は また私をゴミ箱にして
私もゴミ箱にされる事を受け入れてしまっているという事だから。
2度とさせない、という誓いを
全身全霊で選ばないと。
だからと言って、
母を捨てる事もしない。
ありのままで
両方が生きれる道を選ぶんだ。
だから
前々から
母にとって
社会的に生きる事が出来て
生活に張りが出て
良い循環に乗れる、
と、思えた
介護施設を 提案した。
私の純粋な想いと視点で
選んだ介護施設でした。
虐められた後の
凸凹息子の幼稚園や小・中・高校を
選ぶ時と、同じ気持ちと視点で選んだ
介護施設でした。
薦める想いに引け目はありません。
タイミングを待っていただけ。
母は私を傷つけた事を
初めて悟ったのでしょう。
私の本気が、やっと伝わった。
そして
ヤバイと焦った母は
呆けているのに
家出をしたんです。
謝らなければならない
恥ずべき事を事をした時、
その自覚を持った時ほど
問題を起こすのが母でした。
ごめんなさい!!!を
言わないでいい状況を、
あえて作るの。
絶対に言いたくないのです。
病気のレベルなの。
そして、
介護施設へ入ってもらうと宣言した私へ
家出で、その想いを有耶無耶にさせたかった
魂胆もあったよね。
自分を変えず、
人や、環境をコントロールするのは
母の常套手段でした。
呆けても同じ事をずっと続けています。
(これは姉も受け継いでいます。)
もう、時は満ちていました。
母には、
変化は望めない。
もう、望まない。
私は
母の恫喝にも揺るがず、
家出をしても、
家出をしたホテルで
入所をごねられても、
私は揺れず、言い切りました。
母も、やっと腹を括ったようでした。
その直後から、
私も、多々ある迷いを吹っ切って
揺れながらも持ち堪えて
粛々と、計画を進めてきました。
明日が、初めての入所日です。
ここまで来た
ここまで漕ぎ着けた。
まだ、施設に必要なものが揃っていないし
母が慣れるまで、サポートが必要で
最初は泊まり込みが続きますが
頑張ります
この間の、
姉の様子は
相変わらず
無様、でした。
母の手口の「コントロール・恫喝」を
母に使っていますが
母は入所が決まって
時間が経つほどに
やっと、姉の
条件付きの「同居」というパワーワード
唆し(そそのかし)から
自由になれたのでしょう。
そういう佇まいで
姉が来なくても
姉から電話がなくても
母の顔は、曇らなくなりました。
いつか家出の周辺の流れは
blogに書きたいと思っています。
記録として残したい一つです
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【追記】
姉に明日から入所は伝えてあった母。
姉は、泊まりに来なくなって1ヶ月。
それでも、
施設入所の直前が土日だったので
昨日、今日は、姉も流石に
来てくれると思っていたようで
母の顔が険しく、曇っていました。
午後14時半ごろに、母から電話をしたそうです。
風邪の咳が残っているから行けないわーとの
事だったようです
それを報告してきた母の声は
お通夜のようでした。
私にそれをみせる(感じさせる)ところが
甘えているし
すきあらば、八つ当たりで背負わせようとしているのも感じたけれど
でも、私はもう
何も、気にしません。
背負いません。
それを許しません。
母の因果で
母と姉との間の世界です。
私は関係ない。
そういう姿勢で生きます。