境界から見る景色

はじめましての気持ち

凸凹息子、大学に通う







大学が始まって10日ぐらいが過ぎたかなぁ



思いの他、タイトなスケジュールで驚いている



こんな生活で


途中から、ダブルスクールの選択なんて

できるんだろうか?


仕事の方向性を探るような余裕など

あるんだろうか?



大学受験方法は、既存のやり方も残しつつ


海外に寄せていっているなとはっきり感じたけれど


大学の在り方も、そうなってきてるんだね😱


日本の大学は


入るまでは厳しく、入ってるしまえば、

ゆる〜いというのが通説でした。(一部は除きます。)


でも、今は違うのね。


こなすカリキュラムも一杯。


留年の割合も多いらしい💦


確かに


海外からの留学生を多く受け入れ始めた頃(安倍政権時代です)


留学生から


『日本の大学にはがっかりした!』

『別の国の大学に行けば良かった!』と


と言われている動画を観たことがありました。


理由は、日本の大学は勉強するところではないと。ネームバリューの為にお金を払っている。やる気がない学べないなんて有り得ない。


そんな感じの率直な意見でした。


確かに、日本の大学の在り方って、独特だったのよね。


日本は高校までが厳しいけれど


海外は上に上がるほど順に厳しくなるのが当たり前だし、大学は学ぶところなの。


日本は「大学は遊ぶところ」とか言って、

老人の教授はのんびりで、教える気もあんまなくってね・・・昔はそんなところだったよ。


特に、文系はそれでよかったんだよ。


大学で遊ぶって、社会に出る前のコミュニケーションの勉強だった訳で。


安全に半分守られた中で、社会で生きる術を学んでいたんでしょう。


意味はあったし、日本人には通じる仕組みだったけど


海外の留学生にはディスられるのもわかる


国としては、客観視して汚点と思ったとしてもおかしくはない。


時代に即した大学の在り方を模索し改善を進めて、今があるんでしょう。



今後は海外のように、


講義にも力を入れるのかな?


正直、話を聞いている限り、


教授の質や、やる気のテコ入れは

まだまだ、できてない気がするから


途上かも。


なのに、なんか意味なく単位が取れにくくなっていて、昔より卒業のハードルは高くなっている気はするけど・・・


それって経営的にメリットあるし、

国へのやってます感も出せるというwin-winで


取り敢えずそうしてるだけでは?

と、思ったり。


大学の闇も色々ありそうだな。


それも含めて、

社会に出る前の勉強だと思えば、まぁね。




でも、講義の質については


息子ははっきり言っていた


高校の先生の方が授業は上手い。

塾の先生の方が、プロ。


研究してきた何らかの実績はあるのでしょうが


教える資質は


低いんだなぁと悟った


それも含めて、自分で学ぼうとするしかないという、社会に出る前の勉強と思うしかないのかな・・・


なんかスッキリしないけど


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息子の様子をみていて


話をちょこちょこ聞いていると・・・


息子の空気が


インターナショナルスクールから

日本の中学校に入学して、環境が激変した頃と似てる感じ。



変化を 興味津々で味わってる印象・・・




友達、はまだいないけど


ちょこちょこ言葉は交わしたり


一緒に昼食を大学の外に買いに行って食べたり


そういう付き合いは、あるみたい。



今日はサークルの歓迎会に顔を出したんだって。

やるね。




インター時代に培った 独特なマイペースさが


遺憾なく発揮されている感じだなと


ほっとした。



必須科目の実力別のクラス分けで

上位クラスに振り分けられた事も


幸運だったと思う


人数が特別少ないクラス編成になっていて


そこは落ち着いた子たちが集まっているらしい。


その講義で定期的に一緒に過ごす事になる訳で。

良いきっかけだなと思った。




心配だった苦手な体育も(協調性障害の多分、ボーダーあたりだから) 


3つの選択のうちの一つが、息子が奇跡的にできる競技だったの!


抽選だったけど、当たって良かった💦


取り敢えず、単位はクリアできそう。




息子、ツイてるよ。


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もう一つ、


凄いなぁと思っている変化✨


❶自分で朝、起きるようになったコト


高校までは、私が起こしていたの。


自分で目覚ましかけても⏰、

本当に起きないコだった。


何故こんなうるさい中で眠れるの?と

不思議に思っていたけれど


修学旅行や

卒業旅行とか


遊びの要素が強い時は、


自分の目覚ましでも起きていたから


『それだよ❗️その感覚❗️』


と、伝えてはいたんだけどね。


なかなか💦



それが、なにも言わずとも


大学が始まったら


自然に


自ら目覚ましで⏰起きて


用意をするように✨



いや〜関心✨


今日もそうやって大学に行った。


駅まで送っていけ、とも言わない。


びっくり😱だよ



案外忙しく


まだ友達もいないけども


きっと、なんか刺激的で楽しいんだな✨


良かった、よかった。


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昨日は


大学の講義が空いた時間に


高校時代の友人で

今は他の大学に通っている友に誘われて


なんと


高校の先生に会いに行ってた💦💦


この前卒業したばっかりなのに???


先生達、めっちゃ忙しいのに

迷惑じゃ❓❓❓って諭したけれど


息子は友人に誘われた側で、


誘ってきた友達には、今、先生方と会うのは必要な心の栄養なのかも知れない・・・


と思うと、


強くは言えず


まぁ、高校の在り方が「いつでも来ていいよ!」(でもアポ取ってね!) がポリシーだから


確かに、アポは取れたらしいし・・・


まぁ、いいか。


でも先生達、忙しいからね❗️❓と念押しし

送り出した。




もう、本当に ありがたい事だよ💦


こうやって温かく支えていただいている。




息子、高校の先生から、


宿題を貰って帰ってきた。


卒業生の声を何かの冊子に載せるので、

一文、書いて!と。


おぉ、


それぐらいやりなさい。


褒めちぎりなさい!


と言っておいた。


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高校の時に先生から聞いた話を


息子は覚えていた。


先生の話


『大学に入って、緊張から急速に近づいて

すぐ友達のように振る舞う子たちもいるけれど


半年ぐらいすると本当に合うか合わないが分かって、ばらけ出すんだって。皆んなちょっと疲れてくるし、トラブルも背負い込みだして。


けど、そういう時まで、無理しないでマイペースに過ごしていた子は、自然と自分に合う友達が向こうからやってきて、楽しく大学生活送ってる。待ちの姿勢も悪くないよ。』


こんな話を、してくれた事があったの。


コミュニケーションがそれほど得意じゃない意識がある子達には


リアリティある先輩の体験談を、先生が噛み砕いて教えてくれたのは


とってもありがたかった。


息子も


そのまんま。


中学校も高校もそれでとても幸せに過ごせているし


大学もまた同じ感じでスタートを切った。


聡明な学びを得ているなって思う。


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大丈夫かなぁって心配していた親を尻目に


なんかウキウキ大学に通い出した息子


『本当に大丈夫なんかな?』


という旦那に


『多分、大丈夫だと思うよ。だって、お風呂で鼻歌出てるもん(笑)』


そう


これ、小学生からのバロメーター


お風呂で歌を歌う時は、大丈夫👍


歌が消えた時が要注意⚠️だった。


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今日も、お風呂から鼻歌が聞こえてきた♬〜


ふっと私も笑顔になる


良かった。



良かったね。


今日もよき日だったのね。

くたくた一緒くた煮物

ある日の夕食 (見映えしませんが)


朝早くから出掛けて、大学の講義を受けて

帰宅するのが19時過ぎという・・・


ゆる〜い高校生活から一変


まぁ、普通の高校生はこれぐらい

当たり前にこなしてきたんだろうけど。


息子の身体を労う為に


優し〜いご飯を作ろう!と煮物にした。



が💧


夕ご飯を楽しみに帰ってきた息子は


ちょっと残念そうな顔・・・


ごめーーーん💧


ワクワク感、足りなかったね。


鶏肉も一杯入ってるんだけど💦


油っぽいもの・・ツナ缶開ける?と聞いたが


んーーー大丈夫、要らないよ と


煮物をおかわりして、食べてくれた。


『あっさりも、たまにはいいよ!』 とも。


気も使える大人になりました・・・


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この見栄えが悪い(笑)


薄味のごった煮の煮物は


義母から受け継いだ味です。



うちの家系は 


薄味のごった煮は作りませんでした。


筑前煮 (実家では炒りどりと呼んでいて、油で炒めて煮あげる味の濃い煮物の事です。)以外で


多種類の具材が入っている煮物は、一つも実家の味にありませんでした。


とにかく、


何故か、素材を複数使う料理を嫌がる親でした


ちょっと病的だなと感じていたのは当たりで


発達の凸凹を上手く乗り越えられないまま大人になった人の、こだわりがベースにあったのね


でも、父母は「自分はそういうものが嫌い」と率直にいう代わりに


自分達が正しく、それらが「下品だ。」と

存在を貶めてきたので


私は自由を奪われて


無意識に染み込まされた価値観でした


そういうものが、


全ての生活に無数にあって雁字搦めでした。


少なくとも自分の責任の元に


私は好き


私は嫌い、


そう伝える事が可能な

自分を背負う意識があったら


もう少し違っただろうけれど


父母は、自分達は『正しい』と常に主張していたので


彼らと違う感覚を持っても


言葉にする事も(しても否定されて)


そう思っている事も


侵されるのでした。


いつしか、食べることすら興味がなくなって


そういう時代が高校生まで続きました.



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私は初めて、義母のお裾分けで


ごった煮を食べました。


炊き合わせ、と呼ぶにもあまりに雑多で大雑把な煮物で


正直、初めて見た時


刷り込みを受けていた嫌悪感が頭をもたげ


『え!?😱 なんか・・・節操なく色々入ってて下品💧野暮ったい・・・💧』


そう思いました。


が、思ったと同時に、


『あ💡 私、まだ、自由になったと思っていた食の周辺でも、偏見あったんだな〜💦』と


気づかされまして・・・


印象深い一品なのです。



はっ💡とさせられたまま


味わってみたら、


特別、なにが美味しいわけじゃないけど


滋味深ーーく


ほっ〜っとする優しい味でした。




ごった煮に 開眼!👁って感じに!



義母のごった煮には


とにかく色んなものが入っていました。


大根・人参・牛蒡・竹輪・蓮根・里芋・隠元・筍・大豆・枝豆・高野豆腐・鶏肉・蒟蒻・椎茸・厚揚げ・昆布や、ゴマメで使うような小魚もそのまんま!入っている事もありました。



具材は決まっていないようで、


その時にあるものを炊き合わせているようでした。


その、色んな具材を


薄味に、お出汁でやわやわに炊いてあって・・


素朴な滋味深い煮物になっていました。




うーーむ、なんか、いいかも!👍と


印象は180度、反転して


それから、私もよく作りました。


シャトルシェフという保温鍋を持っていたので

大活躍でした。




でも、息子が生まれてからは遠のいた💦


野菜嫌いだったからね💦



息子が、味の濃い筑前煮を好ましく

食べてくれるようになってからは、


似た素材でも、つい筑前煮を作ってしまうし


この、薄味のごった煮物は

息子的にも、かなり久しぶりだったかも。



食べてくれたので、よかった。


具材は義母より少なかったな〜



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筍ご飯


この地方の筍です。


今年 初get!新筍✨


今日は 筍ご飯でお昼でした。


炊き立て✨


美味しい〜✨


炊き込みご飯はジャーに入れて置くと

食感が変わるのが残念なので


移し替えて冷ましてしまいます。



食べる時にその分だけ温めるか


そのままでも。


私は常温ご飯 (冷やご飯ともいう)が

結構好き。



が、この炊き込みご飯には


実は、味付けに ちょっとだけ迷いが。




アミノ酸 (旨味調味料)・・・


入ってない調味料だけで炊くと


あっさりな感じで。



多用はしない派なので、


大抵は、無しで作り上げる。


私は美味しいと思えるけど


我が家の男性陣の本音はどうなんだろう・・・


いつも美味しいと、食べてくれるけど


本当は、物足りないかな、とかね。



外で食べる味とは、ちょっと違うもんなぁ・・


どっちかっていうと


懐石料理のシメのご飯のような・・・



でも、うちで食べる炊き込みご飯は


家庭のご飯で、シメじゃないし💦





あやつを🐼使うか、使わざるか・・・


シンプル系の炊き込みご飯の時は


特に


悩ましくなるのです・・・

凸凹君・凸凹さんの落とし穴【追記➕】

このブログは、「娘ちゃん」というブログと

これより前に書いた同じ写真で掲載したブログと、繋がっています。


昔の友との再会の中で


友は、私の事を『過保護だからね〜』と

言いました。


が❗️


私と会っていた頃の、揺れながらも、

子に向き合おうとしていた友は


『過保護って よく人に言われる・・・💢』


と、それを気にしている人でした。


私は


『過保護とかじゃなくて、Tちゃんには必要なんだよ〜。』と、声をかけていましたが


半分は、届いていませんでした。


友は、自分の選択を肯定してゆくより


早く普通になりたい!、

Tちゃんも普通になって欲しい!と


思っている節があって


だから、友が承認してほしい人は、


凸凹育児をしている私ではなく・・・

世間一般の人だったのだと思います。



友のコンプレックスや、歪みに繋がるものだろうと


危ういな〜 とは思っていました。


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友もそうでしたが


凸凹育児をカテゴライズしないで

これは「個性だ」との視野で育てている


隠れ凸凹人の親達は


あるところまでは、その意識で乗り切っても


プレ巣立ち、


18歳以降で失敗しやすい。



心がどこか逃げている人は


惑わされる時期なんだと思います。



18歳頃に、


何とか発達が追いついたように見える

凸凹さん達は


実はまだ、中学校1〜2年生ぐらいのものを

抱えて生きているんです。


大人っぽくしっかりした中1〜2年生をイメージしたら一番近いかも。


随分しっかりしていても

中1〜2年生にサポートは、まだ必要。


それと


18歳以降の凸凹育ては、同じなんです。



逃げている親は


普通は・・に、惑わされ


凸凹を隠し(カバーし) 始めた凸凹さんの姿に


間違えてゆくけれど




でも、私は知っています。



私達は誰よりも真剣に


手を離すときには、

離してきたから 今があるし


自由にさせる時には、

自由にさせてきたから 今があるの。


自分で決める事が必要な時には、

自分で決めさせてきたから、今があるんです。


ただ、一般・普通と


時がズレているだけ。違うだけ。


私達の選択は、

安易に汚されるべきものではありません。


この意識が足を掬われないコツです。


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コンプレックスを満たす為に


虎視眈々と機会をうかがっている人々がいます



このblogで凸凹の事を書きはじめた頃も


いました。


控えめにうまく書く人でしたが


(こういう人が、凸凹世界の親の足を引っ張る


問題の人なんだよなぁ・・) と、


当時も思いました。



まさか、7年間 交流もない友まで・・


当時は一緒に闘っていた友まで・・


そんな人間になっていたとは💧


残念で うんざりする気持ちでした。


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予感した通り


今回の再会で「確認」した事は


私にとって、自己完結の「納得」ではなく


Tちゃんのその後、を現実的に知るという

「収穫」でした。


切ない現実だったからこそ


無駄にはしないよ、と、誓う気持ちでした。



私も、間違えないよう気が引き締まりました。


無駄にはしない誓いの意味でも書き置きます。


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凸凹君達の問題や苦しみの多くは


凸凹本人達の成長速度、発達段階が、一般と

ズレている事にありますよね。



❷親や周囲が、

ゆっくりでもオリジナルな方法で

この子は発達してゆける、と

思えるか、思えないか、でも

その子の成長や人生が変わります。


❸ 外の世界に合わせ過ぎるか、合わせ過ぎないように、工夫し、守るかでも、

子の成長や 人生も変わります。


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私が選んで歩んできたゾーンには、足を引っ張る人など居ませんでしたが(実家の親以外)



7年ぶりに交流した昔の友は、足を引っ張りたくて仕方ない人、になっていました。


無意識に生きると、やっぱり、こうなるんだなぁと


悪循環に落ち入り抜け出せない人の特徴を

見た気持ちでした。


寂しいけど、


7年前の岐路で、


もう友とは、分かれていた事を理解しました。


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友へ・・・


皆、違うのよ。


過保護? うん。


分からないなら


何も直視するつもりがないなら


放っておいて。


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私達は、

世間の「普通」に惑わされないで、


目の前の 凸凹さん達に

必要な事をしていいのです。


そうしないと駄目なんです。



不安になったら


凸凹さんの今の年齢✖️0・7🟰

で、現実をもう一度確認してみて下さい。



私はこのイメージ法に、

何度も救われ、支えられました。


しっくりくるからです。


まやかしの全てに引っ張られないよう、

守ってくれた法則です。



勿論、凸凹君にも、


年相応の発達の「部分」もある子も、

いるでしょう


うちの凸凹息子もそうです。


中には、過剰に自分は出来る!と思いたがる

凸凹人もいますが


コンプレックスや不安の裏返しだったりします


本物の自己肯定感からくる「自分は出来る。」では、ないの。


目を伏せて焦っているいる姿なんです。


本物の親なら、見抜けますが、


でも、


親になり損ねている親は見抜けないんです。


何故なら、


同じように都合よく、目を伏せているから。


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凸している部分で、

凹んでいる部分をカバーして、


一旦、『普通』に見える時がやってきても


まだまだ、先は長い。


凹みを、ないふりをして


普通のレールに乗せて

普通の親のように手を離しても・・・・


なかなか、うまくゆかないの。


それを理解して腹を括っておくのは


確実に『吉』だと思います。


見守り、時に工夫し、

乗り越えられたら、それでいい。


親が、そこさえ、知って受け入れておけば


大丈夫。


受け入れていたら、工夫してゆけるんです。


失敗する親は もう、工夫しないのです。



子を信じるしかない、と言い訳をして


手を離したら


あとは、親の都合で関わるだけなんです。


そりゃ、失敗しますよ。



この18歳からが


また一つの山場です。


色々なケースを見てきて思いました。


この山場での失敗が引き起こす、悲劇の大きさを思うと


18歳以降が、


仕上げの 大きな正念場です。


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受け入れている親御さんは、


凸凹さん達の『成長曲線』を 


見た事がある人も多いかも。


今は情報が取りやすいから。



でも、


隠れ凸凹さんを、

隠れ育児してきた親御さんは


多分、見た事がないグラフだと思います。


心は逃げているから。



どんなグラフかというと


定型発達と、発達の凸凹の子の

年齢ごとに推移する『発達の差』を

グラフにしたものです。


グラフは


凸凹さん達は、大体30歳ぐらいで、

一般とほぼ同じぐらいの発達に達する・・・


という事を、示していました☝️


大学の教授から資料で見せていただきました。


勿論、そのグラフが絶対ではないです⚠️


例えば、


適切なサポートが受けられず、


苦しみ、2次障害を抱えてしまった場合・・・


成長は止まり、こだわりとして一生残るか


成長できても、ゆっくりになってしまうから。


グラフ通りにはいかない可能性も⚠️


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私が凸凹を受け入れた頃は、


発達障害の本すら少なく、ネットで情報もまだ

簡単に探せない端境期でした。


そこから たった数年で、


急激に情報が溢れ、サポートも充実してゆきましたが。


でも、私は「ない」事の恩恵も得ていました


自分の「心の歪み」や「逃避」が、


子に必要なものを、曇らせいると痛感したから。


数少ない情報の片鱗から、先を読み、必要なものを得る為に


自分を変える事が必要で


必死になれました。


ある意味、それはとても幸運な事でした。


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凸凹の微妙なゾーンにいると、


勝手に向こうから、変な人が寄ってきます。




偽物のプライドを守りたい人が


このゾーンの人を見つけて口を出すのです。




境界は、そういう事が起こりやすい場所なの。



でも、私達が おかしいのではなくて


境界は「境界」という


一つの世界なのに


他者の勝手で


右か、左か、


どっちかに所属する事が正解かのように、

言われがちな事を


知っておけば良いのです。



知っていたら、もし揺れても何とかなる。



かまってくる人は、


現在進行形で、『失敗し続けている人』です


なので、放っておくんです。



子育てに、上手く向き合ってきた人は


安易に 口を出したいという衝動に

かられる事はありません。


何故なら、


当たり前に、個々で違うという事を

知っているから。成功で満たされているから。



だから、過保護と言われようと、


放って置いていいんです。




子育てに失敗し、子を踏み躙った親ほど


自分を守るために


偉そうに語りたがる、


法則なんです。


それでも相手が正しいように感じて不安なら


確認してみて下さい。


その親と子の関係性を。


重要なのは、子が得た肩書きではなく

関係性です。


よくよく、話を聞いてみて下さい。


歪な関係が、必ず見え隠れするものです。


大抵、酷く、過去に失敗している



納得したら


心から追い出しましょうね。



そういう人の無意識の


「一緒になれ。一緒に堕ちよう。」という、


呪いに、かからないように。




その無様さを心に刻んで


自分はそうならない道を歩んで下さい。



凸凹育児をしている者同士で、足を引っ張り合う悲劇は、ありがちです


グレーゾーン、隠れ凸凹人ほど(結局は親もそうなんです)


多いです。


醜く、狡く、逃げる人にならないように


背筋を正して


受け入れて歩む私達は


大切なものを育み守るのです。


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心乱されたら



🅰️ 実年齢✖️0、7と


🅱️成長曲線が定型発達と近づく時は30歳


を、心に置いて


自分の子の成長は

オリジナルでしか達成できない事を知って


腹を括って、楽しんで下さい


目一杯、愛を注いでください。


必ず、未来に繋がってゆきますから


--------


18歳で実家から離れる


凸凹子を持つ親さんは、必要なサポートをやめないで。


どんなタイプの子でも


それぞれ必要なものが、まだ、あるはずだから。


見守る


手放す


そのタイミングも、やり方も


オリジナルに突き抜けて下さい✌️



本物の巣立ちの時が訪れた時


自分の力で「幸せに」生きられるように。



---------


凸凹の一人暮らしが始まると


ありがちな事を書いておきます。



凸凹人が18歳で親元を離れても


色んなものがまだ育っていないので


①生活リズムが構築できなくて、睡眠や食生活が、あり得なく⚠️いい加減になるのも、あるあるです。


②無意識の不安から、何かにはまって中毒的💀に過ごすようになる、も、あるあるです。(危険なものにハマる子もいます。危険じゃなくてもコントロールを失う事自体が凸凹には危険)


③お金のトラブルが出るタイプも、あるあるです。親が線引きを間違えて、子が悪循環にはまるのも、この時期です。


これらがあっても


逃げて失敗する親は

「これも自立に必要なことなのよ!」と


見守るポーズだけ取って、


逃げ続けるのです・・・



何故なら、


実は親も


自由が戻ってきた事が嬉しくて

もう戻りたくない気持ちが、あるの。


その気持ちは悪じゃないけど


逃避癖があれば

失敗してゆく岐路になるんです。



もし、一人暮らしの問題が出てきても


凸凹だろうと

定型発達だろうと


親に愛が育っていたら


「あぁ、そうやって問題が出てくるのね!」


という視点を、常に持って「関わり続ける」ものです。


関わらず放任、は凸凹子に対するネグレクトと同じです。


離れて暮らす、を、維持しつつ、サポートを可能にするのは、視点と関わり続ける決意です。




失敗した親は


そこから、子が波乱万丈の人生になっても


「それも人生」、と言うんです。


「子が選んだんだから!」と逃げるでしょう。


そう言うしか、ないから。



でも、はっきり言いますよ。


いいえ、


子は、子育てから逃げなかった親、


逃げなかった親の導きを


知らないだけです。


手にできなかっただけ。


本当は


子が選んだ訳じゃない。


そうするしかなかっただけ。



この事実は、


逃げた親には抵抗されるだろうけど


私の視野では、揺らぎません。


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この世は


ドラマのような生き方や


格好をつけられる、逃げ言葉が


一杯あります。



でも


根っこがないまま、


縋るものでも 語るものでも ないです。


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何とか


大学や専門学校まで出ても



社会に出てから、潰れる凸凹さんもいます。


社会に出てから、引きこもる人もいます。




引きこもるベクトルじゃない凸凹人なら(多動系)


外で問題を起こし続けるでしょう。


人間関係や女性関連に、歪なこだわりが現れるとか


借金をし続けるとか


仕事を転々とするとか。


旅に出て帰ってこないとか。



上記はまだいい


書けない事例も、一杯あります・・・



多動系の凸凹さんは


もう手放してしまった後では


親が関わる、という面では


多くが、手遅れになりがちです。



関係が歪になっていたら


自ら親と縁を薄くする子も多い。




本人にとっては


何故うまくいかないのかわからない


きっかけが掴めない、苦しい道のりです。




多動くん達は、


偽の巣立ちが早い分、危ういの。


そこまでの間に、


親の自己中心ではない愛情で


どれだけ愛せるか

どれだけフォローできるか

どれだけ伸ばせたか、で


その子の人生の明暗が、別れがち・・


世に出て危険が多くなるタイプだからこそ

親の役目が重いのは


彼らのタイプです。


出来るだけ手元に置く事を優先すべきも

実は多動くんタイプだと私は思います。




酷く痛い目に遭って回復に取り組む事も立派。


でも


回復できれば良いけれど

そればかりじゃない悲劇だってあるのです。


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色んな、構図がありますよ。


色んな心がありますよ。



凸凹子育ては難しい・・・


正解もないけれど



子に幸せに生きて欲しいと願う気持ちが


一番最初に、きちんとあって


それが嘘じゃなければ


( 三番目ぐらいにある人は失敗しますよ。)


導かれるものはあると、信じられます。



そういう風にできてるんです。



何度も書きます。


呪いのような『世間の普通』には


流されないでいいと、


知っていて下さい。



愛を持っていれば


個々に合う道に必ず導かれます。


これも真実でした。


そういうように、この世はできていました。



孤独に真っ直ぐ自分と闘って


奮闘している


親御さんに


エールを送る気持ちです。



あぁ、なんか支離滅裂になりました。


何度も書き直すしかないかな