吐き出すblog
昨日、2週間ぶりに母に直接会った。
1日で2つの病院に受診させて
ランチに連れて行き
郵便局に留め置かれているものを引き取りに。
久し振りに行った母の部屋は
雑然としていた。
5日前に入った介護サービスで干した(点数を使った契約の日で45分)
洗濯物もそのまま干しっぱなし・・・
外の植物は枯れて
室内の植物はギリギリセーフ?
でも、あまり手をかけていなかったのは
わかった
母の様子を見る。
私は、大抵 生身で会った瞬間でわかる。
もうこれは、
それが共感できる人にしか
理解されないだろうけれど
この最初の勘が 外れる事がないの。
母の顔色や、表情、空気からは
深刻なものは感じなくて
少しホッとした。
でも、部屋の雑然さは何???
慢性疼痛はあるにせよ、だよ。
もっとひどい時でも、植物に水はあげていたのだから、
私の勘と、
部屋の様子の
違和感というか
アンバランスな感じを
想像してみた。
多分、施設にお願いしていたにも関わらず
脱水になったので
そこから見守りを増やしてもらい、
1日に数回、スタッフが母の部屋を訪れて
ポカリを飲ませてもらっているので、
スタッフが部屋に入る頻度が上がっていた分
母は余計に
一度始めた演技を、本当のように
見せ続けなければいけなくて
2週間の間に、
病人の体が
染み込んでしまった感じ???
演技で動かなくなっている間に
筋力が弱っていた。
もちろん、その姿も
私に見せておく必要があると思っての
母の演技の可能性も捨てきれず、
1日、一緒に過ごす間の
母の様子を観察した。
大きな病院では、
車椅子を使わなかった。
車椅子を使うか?
歩行器で行くか?
尋ねた。
母は、一瞬迷ったけれど
歩行器で行くと言ったし
それで行けた。
歩く速度は、かなりゆっくり。
歩行器あるのに遅くなったなとおもった。
ただ
半寝たきり?引きこもり?で
歩かなかった2週間を経て
かなり歩いた日なのに
夕方の様子は、それほど疲れてもいなかった。
注目したのは
車の振動と揺れ。
急性期から中期は
本当に振動と揺れが駄目で
反応していたけど
昨日はいつもの揺れる場所の車の動きにも
反応がなかった。
(・・・やっぱりな。)
車の乗り降りや
ベットやイスからの立ち上がりなど
本当に、少し痛みはあるのでしょう
でも、悪化はないと判断。
何故ならその移動時も、歪みの表情のタイミングを見ていると、痛みを耐えて移動しているのではなく、
痛くならないように動いている
職人のような微調整をしている姿だった。
コレって、
痛いは痛いけど
なんか違う。
ここでも (・・・やっぱり)と悟った。
でもね、そこに施設の人が来たりすると
「イタタ・・、」と演技が入る。
慎重すぎる職人技の動きは、母のこだわりであって痛みを1ミリも本来人生に受け入れたくない母の執着の姿であっても
それを知らない人には
物凄く重症の人に映る姿になるでしょう。
ため息が出た。
痛みは大して変わってない。
けど、筋力は落ちて
浮腫みは悪化した。
あとは、初めて病院で迷子になった。
長年通った、母には執着がある
いつも行く科の進路を忘れ
真逆に進んでいて、
探し回った。
2週間、嘘をついて
母が得た事の一つ。
ボケの方も進んでいた。
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今から施設に行くけれど
切ない
昨日は 私が
父の日の為と、母に贈った
カラカラに干からびた
ガク紫陽花の鉢植えを持って帰ってきた。
プレゼントした時の、酷い扱いの話は
ここのblogにも書いたけど。
母の底意地の悪さや
私をゴミ箱にする事を習慣で
繰り返してしまう、
どうしようもなさも
私は、越えたの。
この鉢植えは持って帰って
私が来年咲かせよう、父の為に、と
思っていたけれど
もう無理かな・・・
干からびちゃったから
でも、諦めきれず、
干からびた鉢植えをビニール袋に入れて
帰宅の準備をしていたら
母がバツが悪そうに
「それ、また生き返らないかしら。芽が出て。」と言った。
いつもの母なら
「枯れちゃったわね。痛くてお水あげられなかったから。」と、いうでしょうが
昨日は、
私に対して
気を使っていたのがわかりました。
正直
その反応を見ているだけで
デイサービスをやめる為の
大演技だったのも、母の嘘を見抜いている私の正解だとわかる
振り回され (今でも。整形にも施設の手前、結局行かなければならないし、痛いと言い続けて迷惑をかける以上、痛み止めに関しても何らかの手を打たなければならなくて。)
奔走して
時間を割いて
手間をかけてきて
やっと安定して始まったと思った矢先に
また始まった母の大演技だった。
【もういいよ、デイサービスやめなよ。】
と、言った私に
何を思った?
そんな母の様子に
本当は、わかってるんじゃん・・・
呆けで縮んだ脳は
より自制心がなくなるから
私も、もう期待しない
諦めるって
思ってるけれど
昨日の様子をみると
2週間、私が母のところに行かなかったのも
母は、私が
風邪と言いつつ母を拒否して
施設にこなかったと思っていた感がある。
自分達が、やる方法だからね。
私も同じようにしたのだと疑ってたのね。
私は本当に、風邪だったのだけど。
昨日は帰り際、
人生で何回目かの
母から「ありがとう」を聞いた。
嘘の演技の為に振り回された私へ?
熱がある中、
何度も施設からの相談電話が来た。
実家マンションからポータブルトイレを
持ってスタッフに手渡した日もあった。
その、虚言の為に奔走した
ポータブルトイレを引き上げ持ち帰る準備をしたり
溜まった雑務を黙々とこなして
トイレと干からびた紫陽花の鉢植えを
抱えるように帰ろうとした私に
母が「ありがとう」と言った。
何だか
悲しかった
母は、
呆けてない部分で
やらかした大嘘で。
私はただ悔しくて悲しくてやりきれなかっただけ
本当は、
ありがとうじゃなくて
ごめんねだったよ。
こんな方法でしかもらえない
ありがとう
今も、施設に行かなければならないのに
止まる気持ちで
これを書いている
これが、
デイサービスをやめる為に背負ったデメリットか
母は、本当に、病んでいくのよ。