境界から見る景色

はじめましての気持ち

恩送りもタイミング

めい



恩送りも、


手を差し伸べたり

助けたいと思うタイミングも


縁であり


短い刹那の瞬間だと思う。



人生で、


そうしなきゃ

そうしたいって思う


その短い瞬間に


できる事

やる事であって


正解・

不正解ではない。



色んな実感が

自分に満ちてくると




ただ


この世のものをありのままに

眺めてゆくだけに・・・なる気がする


究極的に受動、みたいな。


まるで仙人みたい・・


でも、


そんなの、


この世に生を受けて

生きてる意味あるの!?って


今は思うし


私の今は違うけど


それでも、そうなってゆく気がする。




昔から感じていたの


深く知る人

深く生きている人達は、


もう


何も言わないって。


伝える必要も

助ける必要も


ないのよ。




私はそれに

何となく抵抗があったけど


今はただ、


ゾーンの違いはあれど


皆が、そういう流れに生きているし


自然な事なのだと、想像する



達観した人達もまた、

違う段階に行けるなら (この世にはその環境がなくても)


その達観の姿も


姿を変えるしか、なくなるだろうし。


到達した姿も、


完成じゃないって事。


決して正解でもないって事。



正解とか不正解の問題じゃなく

善とか悪でもなく。



誰もが



自分は 今、


何にどう心が動いている?


という事に


正直に生きる旅・・なだけ、だね





ちなみに


仙人っぽい生き方は


逃避の姿とも


似ているよね。


ただ、逃げてるだけの人も

一見、そっくりに生きているはず。


きっと、そっくり・・・





でも、騙されない


近づけばわかる。



そんなのとは


別のハナシ。






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