褒められたい母

母は
賞賛を求めている。
褒められたい、
認められたいのね。
生涯、渇望したものでした。
でも、それは
私からでもなく
父や屑姉から
ようは自分が築いた家族から
得たいものでも
なかったの。
母もまた、
幼い子どのように
大人になっても、
渇望の心が向いていたのは
血の繋がった母親や父親で
(私にとって祖母であり祖父)
得られなかった愛への欠乏感に飢えたまま
生きていたのだと思います。
自覚は、ないでしょうが。
根っこはそこで。
この無意識の歪みは
悪循環を生みました。
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一年以上ぶりに
実家マンションに、
母を連れて行きました。
施設に入ってからの方が快適で
母は、一度も、
自宅に帰りたいとも
自宅マンションに連れて行けとも
本当に一度も
私に言わないまま
今まで、時が過ぎていました。
ここから読める母の心が
最も正確なのよ。
常に、私には「素」なの。
この前、blogに書いたのだけど
父の遺品である(父の心の地図でもある)
父の本やCDを処分するような動きの痕跡を
屑姉と母が会った翌日に、施設に見つけたので
母に
私に本とCDは譲って貰うように交渉したの。
入居時は「実家のものはもう勝手に片付けてくれていいから!」と
汚部屋を押し付けて逃げた
都合の良い人でした。
なのに、お金に汚くなる呆けと
姉のクズっぷりで
父の心の地図が消えるのは
あまりに可哀想で、悲しくて。
あの遺品には父の何かが
まだ宿っているのに。
私は
父の心の地図に
今は、余裕がないけど
いつかその地図である痕跡を
紐解き向き合いたいと、思っていたので
お願いしたのです。
でも、多分、
換金したらお金になると
吹き込まれた母は
欲望から
私のお願いにも
抵抗し、欲を見せました・・・
もう、理性も崩れ
ここまできたんだな。
そのスケスケの欲を
見ない振りをして
あえて、母がついた嘘を飲み込み
「母もまだ父の遺品に興味があるの?
ならば、父の遺品を偲んだらいいよ、
私も直ぐにはどうこうしないし,母が亡くなった後でいい。高く売れそうな?英語の原書はいらないし、それが今寄贈したいとか(あり得ない。)
売りたいなら母が好きに売ればいいよ(自分ではもう何も出来ない癖に。屑姉とやるならやればいいよ。私は仕事で必要だった物ではなく父の楽しみだった惹かれていたものを受け継ぎたいだけだから。)」
「母が、父の好きだったものに興味を持って読んだり聴いたり味わうなら、それも一つの供養だよ!手伝うよ!」と連れて行った実家でした。
その時、
自宅に着いた母は
父の本やCDを見に行ったのに
呆けで取り繕う事もなく
やっぱり興味ある振りも出来ず
施設に持って帰る本やCDを決めようと
促しても
全然、全くでした。
違う場所ばかりゴソゴソ。
タンスの引き出しをゴソゴソ。
はぁ・・・😢
結局、母が持って帰ると
自分で決めたものは
ブローチや指輪など装飾品3点程でした。
流れ的には、
予想通りの母でした。
少しは父の遺品を通して
父と向き合うかと思ったけれど全く。
元々そういう人が
ボケたのだから、もう、無理だよね😔
悲しく、失笑するしかなかった。
それでも、
母が
自分を飾りたいと思う気持ちの選択が
持ち帰るブローチや装飾品ならば、
社会的に生きる意欲なのだろうから
素敵な事だし
良きことよ。
その時に
施設に持ち帰ってきたブローチは
母が退職後に1日講座で作ったという
皮細工と木を組み合わせた、
とっても素敵な✨ブローチだった。
皮の部分が石のような光沢と自然な模様で
不思議で魅力的な空気があった。
「えーー凄いね!これ母が作ったの!?」
私も勿論、褒めました。
施設に帰って、
ある日、そのブローチをつけていたら
誰かに(もう相手が誰だったかは、呆けで覚えていられないけれど。)
素敵ね✨と、褒められたそうです。
褒めてくれた人は覚えていないけれど
褒められた!という実感は
記憶として
嬉しい実感として
母に残りました。
それからずっと毎日、
必ず、そのブローチを
身に着ける母。
服の相性そっちのけ。
柄物にも付ける。どこにあるの状態。
でも、いいの。
母の手作りブローチに
気づいて褒めてくださった
施設の、「誰か」さん、
ありがとう✨
私は、その喜びを母に
届けられないから。
私が褒めても
母が欲しいものではないから。
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母のそれは
いつ根付いたかわからないほど続く
渇望でしょう。
母親として家庭に入らず
外で働き続けた理由でもあるでしょう。
外に出ていなければならない理由が
そうしたかった理由が
理由としてではなく
衝動としてあったのでしょう。
もし、一代の事なら
祖父母が母に与えた傷だけど
DNA🧬に乗った渇望であるなら
何世代にも渡る、傷なのでしょう。
母と同じように、そんな時代ではなかった頃に
祖母も、男性のように外で働きたい衝動がある人だったらしいので
何代にも続いた、
無識レベルに染み込んだDNA🧬からの
渇望の可能性が高いです。
私も、・・・知っています
私にも・・・あったのです。
同じ衝動が、
私の中にもあったから。
自分の中に
理由なくある渇望と矛盾を
目の当たりにし、
疑問に思った「最初の日」を
今でも、覚えています。
自分なりに気づいた理由もあります。
私は実の家族以外の人に
とにかく色々お世話になって生きてきた人間でした。
大切な事を
血族の家族以外から多く貰って
生き延びた人間なので・・
そりゃ、
恩返ししたいと思う時に
私が自分の家族に
その心のエネルギーを向けるより
無知らぬ誰かであっても
社会や他者へ返したい
返さねば、
と、心が向くのも
そういう欲求が強く心にあって翻弄され
コントロールし難いのも
仕方がない
道理なのかも、と
思いました。
自分をまず、許し受け入れた一歩でした。
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とにかく
母にも、他者が必要だったの。
母の場合は、教師だったので
その役割を担ってくれたのは
母が気に入った生徒だったかも。
生徒から母は、満たされていたのでしょう。
その代わり
家族に対する設定は
ゴミ箱でした。
母の闇・素の母を
家族だからこそ、
受け入れ受け止めるべき、と。
なっていったのよね。
母の無意識の設定が、
そうなっていたら
社会で認められたい欲求に
家族は勝てません。
その通りに生きて
家族がバラバラになっていった事も
因果なのですが
母はまるで
自覚していなかったでしょう。
その感覚も、
悲しいけれど
わかります。
私が同じものを自分に見つけた時は
結婚した初期の頃で、
恋人で他人だった旦那が
家族になってゆく過程でした。
愛情を持って一緒になったのに
私の中にある、この変わり始めた闇は
なんなのだろう?
何故、家族を大切にしようとする自分に
無価値感を覚えるのだろう?
愛がきっかけでした。
私の中にも
母と同じものが
あったのです。
「家族だから、闇を出して良い。」
いいえ。
それは都合の良い言い訳でした。
両親のように
搾取し消費する事の
始まりを自分の中にも感じました。
私は、自分に同じものを見つけて
認め、手放すチャレンジを
コツコツ繰り返し
あらがいました。
賞賛は、家族からではなく
他者から貰い
世間・社会で評価され、満たされたい。
ある意味で、どこか男性的で。
旦那だけへの愛情では
このゾーン、業を抜けるのは
難しかったかも(ごめん、旦那)
ここに息子が生まれてくれた事で
私の脈々と続いた業を
更に深く癒し、
断ち切る流れに乗りました。
それでも、
総仕上げは
つい最近でした。
深い深い業・・・
最後の最後
その仕上げを最近する機会が
自然と来て
手放しました。
この、脈々と続いた渇望は傷でしょう。
(これを自己顕示欲、とか承認欲求というのかも)
実の家族に求めたけど得られなかった
絶望した心・・・
その心の疼き
傷や痛みからの渇望だとしたら・・・
もう責められないね。
間違った現れ方をして
間違った立場をすでに築いて
正当化していたとしても。
他者なら
立ち去るか
実害にならないぐらいに距離を置き
触れないで流すか
愛があるなら、包み込むか。
自分が、それを抱えていると自覚したら
自分に優しく寄り添う必要があるし
理解して許す
正当化じゃなくてね。
賞賛してくれる誰かがいたら
自分の傷を自覚していたら
純粋に感謝だけだと思う。
傷を癒してくれてありがとう、と
感謝を返せたら
家族でなくても
他人からでも
社会の仕組みからでも
本物の循環になって、満たされる道はあるはず。
でも、そこには
パラドックスが潜み
達成し難い罠があるのだよね。
母はそれを超えられなかった。
もし
その衝動に抗えない人が
承認欲求で何をしていても
(屑姉も・・・ある意味でその1人です。)
何代にも続くDNA🧬の記憶として
それに翻弄されている訳で・・・
悲哀は感じるし
仕方がない事だったのだろうと
今も・・仕方がない只中なのだろうと・・・
思うしかないし
本当に、そう思います。
私も
家族愛
身近な人を大切にする事を
人生の目標に据えた時
無価値に苛まれ
苦しみました。
私には生きている価値がない感覚。
持ち堪えるのに
勇気が必要でした。
その歪さを、理論的に客観視しても
社会で認められ必要とされたい衝動が、
一気に消える訳ではありません。
少なくとも私の脳(心)はそうでした。
自分の中に、歪さを認め
『これは私の傷からの疼きで【幻想の衝動】なのだ』と、
染み込んで根付き、揺れる事がなくなるまでの移行期間を、
滝行のように乗り越えました。
今ここ、に生きて
私が愛する家族へ愛を表現する人生へ
移行してゆきました。
それでも
私とは違う人生を歩み
家族ではなく
他者から称賛を得た?母を
もう責める事は
やめました。
出来なくなりました。
これも
呆ける事のメリットでした。
そして
母と似た人も今後、許せる視野で
受け止めてゆけます。
大きな、変化でした。
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私の褒める言葉は
母には届かないです。
母は本当に、
私に褒められたいと思っていません。
少なくとも、
母には本当に、自覚がない事も
私は自分の経験上、知っているし
(私も父母に褒められたいなどという気持ちを自覚した事は一度もなかったのは、既に諦め切っていたからでしょうDNA🧬的にも。)
そういう間は
母は私に優しくもしないし
立派な生き方を見せたいと行動しません。
ゴミ箱ですから。
私が褒められるような
徳のある生き様や
愛や優しさの表現も
よっぽど見せる事はないのです。
ほんの少し感じた時期も
もう過ぎました
前頭葉が萎縮した母は
もう無理です。
これも
宿命だと受け入れました。
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褒めて欲しい母を
昔から気づいていたけれど
残念ながら
私の役目ではないのです。
今、私が嘘っぽく褒めても
それは、
母が求めるものではなく
ちゃんと敏感な母には(呆けていても)
伝わるし
違和感しかありません。
寂しい事だけど😢
自他にとって
嘘はあまり意味がないと
知っているので・・・
私には
母を褒めたり
素直に感謝するチャンスが
どんなに足掻いても、
絶望的に、足りないし
開かれていないのです。
掛け違ったボタンを
1人でどうにも出来ないまま、今。
時々、今でも思います。
もしかしたら
親子関係をやり直すチャンスは
私からのターンに、あったのか?
私には
その失ったチャンスは
未だ、見えないけれど。
ただ、
私は
母を褒める立ち位置に
いない事だけは理解して
それでも、
母を褒めてくれる環境を探し
母を褒められる部分を探し
褒められる事を生み出す
発想の転換や
嘘くさくないきっかけを作り出しながら
小さく、
小さく、
何気ない小さな事こそ
日々
褒めてゆこうと
チャレンジしてゆきます。
母が、求めているものだから