境界から見る景色

はじめましての気持ち

真言

めい

不動明王さまの御真言


ノウマク サンマンダ

バザラダン センダ

マカロシャダ ソワタヤ

ウンタラタ カンマン


もっと短い御真言と

もっと長い御真言もあるけれど


私は、これ。


毎日、お守りください、と唱えています。




私の不動明王さまとの出会いは


家族への絶望と怒りの中で、


たまたま、葬儀場であるお寺で出逢って


不動明王さまのお心・在り方、選択に

共鳴したからなのだけど


皆んなはどうやって出逢っているんだろう?


だって、


一見、お顔は怖いじゃないですか。


それなのに、多くの方達に 大人気の不動明王さまだと今更ながら知って←オイ


皆は、どんなきっかけで 不動明王さまに出逢ったのだろう???って、思ったりした・・・




煩悩を自覚して?



そうだとしたら、


その人達は、救われる未来しかない、幸いの人


煩悩を自覚して祈るって・・・


もう、その道に乗ってるって事だもの。




親鸞もキリストも同じかも?


親鸞が

「念仏を唱えれば成仏できる」と説いたのは

安易な人気取りではなくて


駄目な自分を自覚はしたけれど、色んなものに雁字搦めになって抜けきれず、同じ事を繰り返しもがいている人達への、救いの説法だったと思うの。


諦めてしまわない為の、支えだったんだと思う。


もう少し 深く読むなら


その説法があって初めて、駄目な自分を受け入れようと勇気を出せる人達を、その言葉で鼓舞し、眼を覚まさせる意味も


あったでしょう。


キリストの

求めよ、さらば与えんも

似たような事かなって思ってる。


とにかく


先に進むには


本人の「自覚」っていうのがとても重要なのよ。


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私は


親鸞の「教え」に救われたと言うより


自覚を持った後に出逢って


その説法で人を救おうとした、「親鸞の存在そのもの」「心」に救われたの。


それを説いた頃は、今よりずっと縛られた価値観と、固定概念だらけの世の中だったでしょうし


多く否定や妬みの批難もあったでしょう。


でも、見えていたんですよ。親鸞には。

苦しんでいる、たくさんのピュアな魂が。


やらねば、と

どれほど孤独に決断し、実行に移したか。


それをするのだ、と突き動かされた、


親鸞の衝動の中に


愛をみました。




時空を超えて、


人の存在の在り方と、心に

救われた気がしたのでした。


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不動明王さまとの出逢いは


怒りと、憤怒の様相で

叱り、縄で?引っ張り、剣で?断ち切ってまで


堕ちてしまった魂を悪から救おうとしている


不動明王さまの像に触れて


その心に、共鳴したからでした。


不動明王さまの怒りは 「私だ」、と

思った事がきっかけでした。



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親鸞やキリストは


自覚、がキーな気がします。


親鸞は、優しい言葉で、自覚を鼓舞していたかも知れませんが、


声が届く範囲の人達のゾーンは

キリストと似ていたと思います。




自覚があるならば 救いようが、あるのよ。


ある意味で、もう救われているも同然だもの。

あとは、時間の問題。




でも、


自覚する事も巧妙に拒み(色んな方法があるのですよ。)


闇に堕ちてしまっているけど、全く自覚がない存在を


何とかして救おうと関わっているのが、

不動明王さまなの。


あぁ、私だと思った所以。


家族を捨てきれず、


ずっと私が、想ってきたことだったから。

父の葬儀の場は、それが極まった場で


どっちを選ぶかの、境目だったから。




結局、不動明王さまの存在を自覚して

支えられて、母を捨てる選択には


なりませんでした。


でも、あの時にあそこに不動明王さまがいなかったら、違ったかも。





今回は


今まで通りではなく


半分は今まで通り

半分は自分も尊重する道を選びました。


絶縁が悪ではない事も知りました。


後は、姉を、神に委ねます。


私はやり切った。


なので、姉の逆恨み、執念からお守り下さい・・・なのです。


初めて祈る対象を得ました。


1人で、生まれた時から受けて耐えてきたもの、を

助けて下さいと祈る気持ちになれたことが


嬉しいのです。


1人で耐えなくていい


孤独が減って、ありがたい事でした。




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自分の中の


煩悩?と言われる


心の闇、

狡さ

黒さ

弱さ

醜さ


これらに向き合って、


受け入れ

自分の心と

選択を変えてきた時は


ただ、「今、ここに。」生きる事を

人生の指針にしてきました。


神や仏にすがる事はなかったの。


私の中にあるはずの、


良心にすがったのです。




何ものか、(神のようなもの)  は


私にとってはシンクロニシティだけ、でした。


タイミングが教えてくれる

奇跡が教えてくれると、


信じていました。





その漠然としたものに


姿形を、


初めて見出したのが 


不動明王さまでした。





私は、私の方法で


大切に想っていこうと思います。

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