境界から見る景色

はじめましての気持ち

幻想




高校時代の大切な友の


妹さん。




旅立った理由は


心筋炎だった。




友が小学校5年生の時だったそう




友はこの時から


医師を目指し、


本当に叶えた。




時が過ぎて


友が選び、配属された科は


まさに


救いたかった妹さんの影をみる


場所だった。




今回、


怪しいコロナ禍から始まった


子どもへのワクチン接種は


統計を少し探っても


子どもが打つリスクは


自然にコロナに罹ってゆくリスクより


はるかに大きかった




頭のいい人達が


気づかないわけがない。


でも、


無視をした。





初期から危ぶまれていた『心筋炎』は


子ども達にも降りかかり


現実になってしまった・・・




河野太郎は、


心筋炎に「軽傷」という概念を


初めて持ち込んだ。




アホじゃ無かろうか。


いや、彼は人間じゃないね。




不可逆的で回復しない心筋の炎症を


軽傷と豪語できる医者は


今まで、いなかった。




それがどんな重大な事か


知っているからだよ。





でも、


アナフィラキシーも


心筋炎も


まるで


コロナのワクチンの前では


軽微な事のように吹聴され




何も知らない一般人まで


軽く扱うように仕向けられた。





医者になった友は、


葛藤は なかったんだろうか


子どもに、


この、一度も臨床にのった事のない


未知の遺伝子治療薬という


全く、ワクチンですらないものを


無差別に、打つ事に。




本当に、1ミリも


迷いは、なかったんだろうか




妹さんを思い出す事は


なかったんだろうか・・・




友は、あの病院の


あのポジションで




声をあげるべく 


生まれ


生かされてきたような、


存在に感じた



友の役割のように思えた





時々、友のいる病院や


友の名前を追ってみていたけれど




国の指導に則った


ワクチン接種の告知しか


見当たらなかった




友は


国の「僕」であることや


今までのキャリアを続ける事を


選ぶ人に


なってしまっていたのかな・・・




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もう1人、


大切な友がいる農業共同体のお話。





コロナが流行り始めた春


私が送った物への 


お礼の品と


共同体の機関紙と


彼女本人の短い手紙が送られてきた。




その機関紙は


共同体の上層部?の方が書いているらしい


ちょっと上から目線な、


精神論というか


人生論のようなもので、



その時に旬だった、コロナ騒動を語っていた。



短く内容を書くなら


『コロナだろうが何だろうが、寿命は寿命。運命を受け入れる覚悟があるならば、こんな騒

動なんかにはならない。』


とか何とか・・・




そんなような事が


ちょっと説教臭く書かれていた。



まぁ、正論だ。


なんかお坊さんの説教みたいだった




上手に歳を重ねたご老人なら


そうなれるかも。


でも、キレイゴトを


押し付けられているようで



正直・・・



それを送ってきた友の意図にも



初めて


本当に初めて



違和感を覚えた





確かに、彼女のいる共同体は



ほぼ全て、自給自足していて


菜食主義で


彼らは出来る限り


物も心も「循環」させるよう


努めて、自然に沿って生きていた。



例えば、友が病気になった時


共同体で相談に乗ってくれた人の意見を

友は採用して


薬も手術もしないで回復していた。



きっと、


このコロナ禍でも


この共同体は


世間の動揺などとは無縁な空気で


団結し知恵を絞って、


乗り越えるんだろうな、




そう、思っていた。





彼らには、


一般的に知り得ない深い情報もあった。


深い知恵も、地に足がついた実践もあった。



そんな仲間が寄り添いあって


励まし合いながら


乗り越えてゆくのかと思うと




守るものを抱えて不安な私は


心から羨ましく思った。




私はここで


孤独に耐えながら


背負って、選択をするんだなと。


自覚していて。






その時の手紙の返事には


率直に



『私には世話をしている老人や、守りたいものがあるので(息子や旦那)、送ってくれた機関紙の意見のようには、今は全く達観できないけど💦


怖がったり、ジタバタしながら、

私が守りたいものを守れるよう頑張るよ。』


そんなふうに


書いて送った記憶があります。




時が過ぎて


一般のワクチン接種が始まった頃


買い貯めていた友へのお土産を送って、


近況を報告したら


返ってきた返事の中に


え???と、思う事が


書かれていた。



100人を超える共同体は


意見の相違で


去る人は去り


共同体の外に働きに出る人は居なくなり


残った人達は


順次、ワクチンを打ってゆくと。




友も、その時点で


2回のワクチンを済ませていて


共同体の子ども達にも、


順次、『打たせていく』とのことでした。





・・・衝撃でした。




多分、


共同体を去った人達は


ワクチンを打たない事が理由で


追い出されるように


居場所を奪われたのでしょう。


単純な事ではないはず


共同体になる時に、

全財産を差し出すようだから。








友は、共同体以外


自分には生きる場所はないと


思っている人だろうから・・・




共同体に残るために


トップの選択に従い


感じる事に


耳を塞ぎ、目を伏せて


従ったのでしょう





気持ちは


わからなくはない。




でも、


私の知る友では・・・なかったのです。




決定は


多分、共同体の決定権を持つ


長老達でしょう。


保身です。


立派な事を言っていても


急に怖くなったんでしょう





友が決めたわけではないけれど


去る人達へ


目を伏せた彼女の中には


同じものが見えました




今まで共同体がみせていた装飾は


私の中では、剥がれました





去った人達の方が・・・


人として真っ当で、


共同体の理念を生きた


本物だったのでは?





機関紙で『運命を受け入れる』事を


説いていたのは


何だったのかな




他者を認めるとか


ありのままを受け入れるとか


さんざん語っていたのは


なんだったのか。




共同体で植える農作物の苗は


F1を嫌い


自家採取の種にこだわり


無農薬で


遺伝子組み換え作物は絶対に作らない


自分達も食べないのに




人が、


共同体の子ども達が


遺伝子治療薬で


遺伝子組み換えされる事には


向き合わなかった。




これって、一体


どんなコントかな?




あんな、上から目線な意見の機関紙など


配らなければ


滑稽さも減っただろうに。




友の短い手紙にも


バツの悪さと、微かな正当化が滲んでた。




彼女を通じてみていた理想は


幻想だった


残念な気持ちが相まって



『口ばかりで、簡単にジタバタする老害は


どこにも蔓延っているんだな。』という




少しばかり意地悪な気持ちで


友からの報告を読んだ




彼らは、きっと


自分を知っただろう。


特別ではない


世間と大差ない自分を。



等身大になり


この世の人の気持ちを理解する


またとない機会になっただろう。


特別意識を捨てて。




そんなふうにも思った。






コロナが明らかにしたもの


コロナワクチンが明らかにしたものは


たくさんあった





深く


分つものを


突きつけた。







多くの


信じていたものが


脆く儚い幻想だった。





どちらを向いても


孤独を感じた



2年でした