生死の境を漂う
【入院する3日前 右には母 喫煙室で】
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老人が入院した
容態が悪いので、最後になるかもと
一番初めに蘇生をするかどうかを聞かれた。
色々な事を考えた
どれも精一杯だったから
後悔、とは違うのだけど
もし、これを達成していたら
今ある現実じゃなかっただろうという事は
見通せる分
考えさせられた
必要なサポートが得られる環境に
繋げられなかったから。
そこには、老人の
自業自得があるんだけれど。
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入院して翌日
1日目のお見舞いに。
病院から連絡はこなかったから生きてはいるだろうけれど、
どんな様子かは会ってみなくては分からず
緊張した。
入院当日より苦しそうで
ほぼ話せないし食べれないし
悪くなっているようにしか見えなかった。
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2日目
熱は下がっていなくて解熱剤を使った後だった。
下がっていたから気分がよかったのか、
多少文句が出ていて
1日目に比べたら、
苦しくて喋りにくい中でも、まぁ
喋ろうとするだけの気力が出てきたという事なのかもね、と解釈。
食事は全然食べれていなかったけど
私が作って持っていった檸檬ゼリーは
食べる、といい、30cc分食べた。
なんと土曜日の大河ドラマを録画しておけと
しつこく母に。
帰宅できる未来を描いてるんだ!と
キャッチした。
じゃ、きっとそうなるだろう。
微かに希望を持って 帰宅する事ができた
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3日目
まだ熱はあるけれど、
文句が多くなってきた。
文句だらけ・・・💧
そして
自己主張と
我を通したい欲が
また、強くなってきた。
相変わらずの人だ💧💧💧
面倒臭くて、ご迷惑だろうけど
これも回復の一部なのだと思うと
まぁヨシ!と思うしか。
食事に文句をつけるのも
看護師さんに文句をつけるのも
ベットに文句をつけるのも
味わって、興味が出てきた印と思おう
1日目のような状態が続いているなら、
それどころじゃ、ないしね。
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4日目
面会時間まで待たずに
スマホが鳴って病院の名前が表示されてびびる
あぁ、きてしまった💧
覚悟をして電話に出た。
対応がドライになっている病院のシステムの中で、電話がくるのはよっぽどの事だと思うから
緊張して。
「実は夜中にですね、」
「はい・・・」
「歩こうとされたようで転倒されまして。」
「😳ふぁ!?」
痛みがあるようなので検査や整形受診の手続きを進めさせていただきます、との事だった。
点滴が壁にフックでかかっているから、
看護師呼ばずに歩こうとするはずはないし
元々歩けないから
多分、
手に届かない所に置かれたサイドテーブルに
お茶があったのを
看護師さんにお願いしないで、盗み飲みしようとしたんだろうな。
一度下がりかけた熱が更に入院時より上がってしまってから、
医師が、入院後も誤飲が続いていると判断し
今はトロミをつけて、見守りながら飲ませてもらっているのです。
自由に飲ませると
変な姿勢で横になったまま飲んでしまう人だから
それを防ごうと警戒して
看護師さんを呼んで飲ませて貰うかたち(約束)になっていたのだけど、
老人は、従わなかったんだろうな。
面会の時も
「ベットをギャッジアップしないで(腰が痛いから)お茶を飲ませろ!」と言い張った。
看護師さんを呼んで
「駄目ですよ!ベットを起こさないと飲ませられません!」と、言っていただいた。
なのに
それも見ていた母なのに
ちょっと看護師さんと話す為に目を離した隙に
母は父のいいなりになって、
横になったままの父に、そのお茶を飲ませていた。
減った分のお茶を、バレないようにコソコソと
トロミをつけるパウダーを入れて作ろうとしていたところに
私が入室。
あ、やったんだな。
もう、情けない💦
2人とも、
元々そういう人だった。
状況より自分の欲求!
理解より自分の欲求!
全ては、自分の判断が優先。
動物に、近い脳なんだよ。
それに、もう、ボケ老人だもんね。
回復や治療
退院する為に
今、この時期に
何が必要かも・・・・
もう理解しないよね
何とか脳の表面に身につけたノウハウも
萎縮しちゃってるんだろうし
我をゆずって、受け入れられない。
だからといって
同じことを延々繰り返すのは無理だから。
母がやった事も
今後の選択の材料にしてゆくだけだよ。
盗み飲みしようと転んで、痛くなっても
人にせいで
きっと文句タラタラなんだろうな
でも、
主の病気の悪化じゃなくて、よかった💧
肝が冷えた。
もう、命に関わらない範囲で
多少、痛い目みた方がいい時期だったと
思おう
我儘が暴走するのも
目に見えてたから。
これがいい方向へ働きますように