境界から見る景色

はじめましての気持ち

在宅医療まで、あと


セミプロの占いをする人から引いたカード


4月の事でした。


「何か決めたのね?」と言われた。


その時は、はっきりとはわからなかったけど  


あんな親でも、

結局はどこか幸せを願ってしまう自分を


ただ、受け入れた時だった


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入院中の老人に


あうあう言葉で 「・・・もう、帰ろう・・」


そう言われた日に


涙が止まらなくて


腹を括った。


何故、私に言うの


何故、私なのか。


最後まで親にはならない人だった


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救急医療を提供する病院だから、と


誤嚥性肺炎の患者は


誤嚥を繰り返していると判断されたら


水一滴、飲ませない勢いで


水分を絞られている。


勿論、食事もほぼゼロ。



点滴すら最小限で


体液を減らす事で、唾液を減らし


肺炎の回復を優先する。


それが、救急医療だから、と言えば


そうなのだろう


確かに夢のようにCRPは下がった。


31から1、9まで。


でも、


歩行器で歩けた入院前姿とは


もう別人・・・




原爆にあったかのように


水、水、と・・・


身体の灼熱の渇きを


ただ訴えていた。


事実、点滴をしながらも脱水になった。


何故・・・


最初の1週間は


食べられる感覚が残っている分


飲食の欲求もあり


過酷な渇きだった




吸引で一日8回ほど吸痰をしていて


相手に合わせる事ができない老人は


残された力、全力で 抵抗するらしい


苦しくて痛いことは嫌だと。


確かに老人は


自分勝手で大人にもなり切れないまま

老化した人だったから


周りの苦労は目に見えた


が、


あまりに、シビアな医療は


命の尊厳を問う事のない医療管理だと思う。


なんとか数値を下げたら


次の療養型の病院に引き渡して、看取らせよう


そんなレールが透けてみえた。



勿論、最初から


あと少しで87歳の


深いレベルで誤嚥性肺炎を起こした


老人への選択は


何かが違った。


引き際が見えた。




ナースコールを押しても


相手にしてもらえない


水が欲しくても


与えられない


残っていた嚥下機能さえも


風前の灯になった。


身体はガリガリで


全てが乾いていく。


食事欲求は消え消化器の動きも


止まった


数値だけを追った医療だった。




早く、出さなければ。


ここから1日も早く出さないと・・・


このレールの上で


消えてしまう




担当医に


『もしもの時の蘇生は求めないと言いましたが

延命は求めています。ここでは死なせたくないんです。在宅医療で治療を続ける方法を選びます。』


と、伝えた。



その前に、療養型病院へ移転の話があったので


そこを選ぶ代わりに、

在宅医療を選んでもいいかどうか、を、


尋ねてあり、合意はもらってあった。


医師は「受けてくれる先が有れば。」と


一度は許可があって


動き出した。




そこから


療養型病院に引き渡されるはずの医療行為と


多分、


何かを 彼らは、変えた。


私のアンテナでも📡ありありと分かった




在宅医療先の医者に託すのに


恥ずべき事を消し去るように


電解質バランスの補正に入り


ブドウ糖の追加もされた。


全くされなかった


肺塞栓予防の対策も、戯れに


ちょっと、やられたり(続かなかったけど)


全く一度も結局入らなかった、

足の先だけでも動かす「リハビリ」も



帰宅する時に使う移動方法が可能かどうか

確かめるための座位をさせたりする事を


リハビリ、と称した



全て、


在宅医療にします、と言わなかったら


多分、もう施されなかった医療だろう。




でも、正直、


この選択が良いかどうか


わからない。




病院はもしかしたら


誤嚥やするようになって口からもう食べる事が出来ないと判断した患者へは


苦しみの「期間」を最小限にして


旅立つのを助けてくれる仕組みに


なっているのかも。


あの時、あのまま病院に居させたら


良かったのかもと


思う時が来るのかも。


苦痛を引き延ばす事になるのかも・・・


そういう不安もよぎる。



ただ


父がもっと大人で


「大丈夫だ。」


「もう帰りなさい。」と


周りを気遣う人だったら・・・


家族は 後ろ髪を引かれながらも


病院を後にして


面会で


弱っていくのを 日々受け入れ、


心の準備をしながら


旅立ちを、


病院という助けを借りて


支えるのかも。


患者の微妙な「放置」は


安楽死法制化をされていない日本を補う


仕組みに、なっているのかも。




でも、父は


「もう、帰ろう・・(オレを帰してくれ) 」と


周りの苦しみなど、考えず


口にしてしまう人だった。




私も、捨ておけないと知っていて。


そういう組み合わせが


選んだ選択で運命。




何が正しいか


何が正しくないか、じゃなく



その時に、『帰そう』


そう思った事に


正直に、なるしかなかっただけ。



私が「今は帰れないよ」と言えたら


父が「もう帰りなさい」と言える大人だったら


旅立ちもマジョリティだったろう





不安だらけ


何も見えないけど始めるしかなくなった


必要なことは引き寄せよう。


出逢いを信じよう。



きっとあの老人のことだから


死の淵にあっても


変わらず


私が、微かに期待することすら裏切って


私を悪者にして


去ってゆく事さえも


想定に入れた。




それでも、これを選ぶ事に


腹を括った。





来週中には


病院を出れますように。


命の灯火が


家に帰る日まで


持ちますように。