境界から見る景色

はじめましての気持ち

卒業


日本国旗 🇯🇵 良いね


色々配慮して切り取った画像。


でも、この中に息子の頭がある(笑)



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3月1日、卒業式


思いのほか、式はあっさり。



バックミュージックがなかったり


映像の演出もなかったな。


生徒の入・退場も なかった。




気持ちが大きく揺れ得る


ドラマティックさを


あえて抑えた式にしている気がした。




それも、子ども達への配慮なのかも




系列の中学校の卒業式の時も感じたの。


子ども達は、ここから巣立つ訳で。


巣立たせるまでが仕事で。




いい学校だったからこそ


思い出があるからこそ


愛がある関係だからこそ、の配慮かも。




印象深くしてしまっては


心が学校に残ってしまう。


卒業式をその「仕掛け」にしては


駄目だと。






これって、


うちの学校っぽいなと思った。




私も、寂しくて、寂しくて。


複雑な心境だった。




でも、式で泣かなかった。


泣かなかったことにも、支えられた。


続く、があるよね!と。




家に帰ってきてから


等身大の、寂しさや不安に


ゆっくり向き合っている。



やり過ぎない卒業式に


愛を感じました。


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今年の答辞は誰かな?と


少し興味がありました。


系列中学の卒業式では


息子、答辞を読ませていただきました。


予想では、保護者にも人気の

名物生徒会長君かな?と思っていたら


息子が一目置いていた、心もある在り方で率直に場を仕切る力があると言っていた


ハーフの女の子でした。


見た目はハーフさんだけど日本語力は日本人より高いなと


話し始めて、一瞬で伝わりました。




とても、素敵な答辞でした



まさに、


この学校に集う子ども達のストーリーを


体現した存在が語る


我が校の物語でした。



傷ついた事がある子ども達が


多様性を受け入れ


共生を模索し


仲間になった事を、誇るものでした。


『私達が変えていきましょう。』


そう、締めくくられました。



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皆んな揃って卒業できた事


良かったなと思います。



卒業式はあっさりだったけど


学校は「いつでも、アポとってくれれば、来ていいよ〜。」と


公言してくれている存在です。


中学校もそうです。




そう伝えて、本当にその姿勢で


迎えてくれる事が


どれだけ支えになるか。



ありがたいです。




息子は卒業した事を


あまり感じていないと思います。


大学生活に


淡い期待とわくわくを持っています。



こうして


絶妙に


子ども達の気持ちを考えて


この移行期を


心を持って


工夫してくれているんだろうと思います。




『中学の先生にも、挨拶行ってきてね』と


息子に声をかけて、お願いしています。




本人も行きたいけど、行く気はあるけど、


うーん、一人で?という尻込みで


先延ばしにして


タイミングを失いそうだな、と踏んだので。




少し強く背中を押して


まずは体験をさせようと。


この体験が


彼にマイナスになるとは思わないから。




繋がりを大切にする


感謝を伝える


それをしたら何がそこに起こるか


実感してほしい。




凸凹受動君には


強制するタイミングを掴む事が


子育てのキーです。


私はそう思います。




本人のやる気を待っていたら


本人を尊重する、と逃げていたら


引きこもり、まっしぐらです。




親は足りない分を補っていい。



補うものが真実であれば。




本人が


親の強制の部分を


自分のものとして獲得していきます。




良い体験に、するのです。




良い体験にできたら


一歩踏み出す事を、受動君は獲得します。


獲得できるのです。




身勝手な親の強制は


子の求める事ではないので


嫌な体験になる事が多い。


親が、子の限界が見えていないんでしょう。


子の、ありのままが。



失敗したら


受動はどんどん強固な「障害」になります。


手放していける可能性があるものが


死ぬまで手放せないような歪みになり


不調和を生む。


悲劇です。




まやかしでしかない常識もどきや


正論のふりをした、ただの搾取的存在に


引っかかる事なく


目の前の子と向き合えば


間違えないでいられます。



向き合っているうちに


オリジナルな自分達だけの正解・答え・もしベストではなくても許容範囲の選択肢は


絶対に生まれてきます。




凄く、シンプルで


当たり前の事でした。




でも、それができないのは


親の問題です。


そうして


拗れていくのです。





子に向き合うことは


自分と向き合う事でした。





もし、強制が


愛のないもの、


親の身勝手だったら




失敗します。




愛のあるもの


子の心に寄り添ったもの


見極めた


子の許容範囲である


背中を押す


ちょっとした強制は





必ず、子の勇気に


変わってゆきます。





凸凹受動傾向の子に関して


押せない親が多くいる事を


不思議に思ってきました。



子の自発を尊重するという事が


大正論として存在しているからでしょう。



でも、それを信じるのも


親の勝手です。





自分の想いではなく


子どもを もっと感じてみたらいい。


もっと、もっと、ありのままを。


その上で


自分に向き合うのが


子育ての順番です。







多動君の支え方は、また全然違うし


それぞれ、子育ても


違うのは理解していますが




ざっくり受動君に関して、一言書き置きたいと思いました。




悪循環にはまらないキーは


当たり前だけど


愛でした





愛があるママさん達を


たくさんみれて、幸せでした




卒業式が終わって、



肩を組み、あっちこっちと わちゃわちゃと

楽しそうに一緒に写真を撮っている姿をみるのも


幸せでした。


その中には入れないけれど


息子個人に、勇気を出して

話しかけにきてくれているのがわかる

子達がいました。


大人しく優しい空気の男の子達でした。


息子のカケラがみえる子達でした。




受動君✖️受動君は


今はまだ息子的には成立しないので


一緒に居る間柄ではなかったようだけど


彼らは慕ってくれていたんだなとわかりました。




息子も、方法がわからないなりに


戸惑いながらも


彼らに


誠実に対してきたんだろうというのが


わかるシーンでした。



息子の存在が


学校に通うというハードルを


少し軽くする景色の一部だったら嬉しい




皆、幸せになって欲しい


心からエールを贈る気持ちになった


卒業式でした