境界から見る景色

はじめましての気持ち

やっぱり無理・・・

手放すと、決めたはずなのに


心が折れそう。




せめて


物理的に、


どうしようもなくなるまで


頑張ろうか・・・


予感では


もうそう遠くは、ない気がする




入院したとしても


多分、薬漬けになって


入院中に一気に呆けちゃうだろう


そしたらもう、


老々介護にもなっている実家には


帰れない



今が、最後の時間なのかも


食べたいものを食べる自由は


まだ


ここの方がある。




父は、衰えを受け入れられず、


怖れから


思い込み、


偏執的なこだわりに


逃げている



その姿をみると・・・




不憫で


やり切れない気持ちになり




そう思ってしまう




物凄く勝手で (アスペルガー的に)


こだわりが病的に強くて(アスペルガー的に)


こだわり達成の為なら見境がない


誰の声も届かない




自閉と言えばそれまでだけど




この世にこっそり紛れて生きている

父のようなタイプは


マダラ呆けと同じて


自分に都合の良いことの能力は


他の人よりちょっと出来てしまうから


ほかの事も出来るだろう、って


勘違いされるけど




本当に、出来ないのだよ


絶対に取り組めない事が、障害で


障害者なのだよ


父は更に、老人の特性も強くなっていて。




薬を勝手に捨てた結果


肺に水が溜まってきて


溺れかけているのに


未だ、多分、


薬を自己調整する事に


こだわっている・・・




その対極で


痛み止めをマックスで飲んでいるのに


更に飲もうと


姑息に立ち回り


手に入れようと画策


痛み止めが欲しいのは


痛いからじゃないんだよ。


怖いんだよ。


歩けなくなったのは筋力の急激な衰えで


でも、それを直視するのが恐ろしくて


腰を捻ったから、その痛みがあるから

歩けないと、誰に対しても言うけれど


本当は、そうじゃないんだよ


怖くてずっと言い訳をしているだけ。


わかっているけど、


中毒だから


依存だから


際限なく飲んでしまうってわかるから


薬を任せられないんだよ。




ならばと、他の治療の提案をしてもダメ


医者に相談するのも、嫌。


そうだよね。だってそこまで


実は耐えられないほど、


痛いわけじゃないものね。



全部分かっているのに


何も耳を傾けて貰えず、


努力だけが


空回った




仕事を脇によける私にとって


父が薬を捨てる事は


通院が無駄になるという事。




薬の量が決められなくて


お医者さまも困ってた。


でも、優しい先生で


何度も薬を捨てる父に、付き合ってくれた。



でも


仕事を調整し車椅子通院を頻回に重ねても


報われず7ヶ月が過ぎた。


父だけ、車椅子の上でキラッと目を光らせて


血液データーを確認しては


自分の隠れた(つもりでいる)所業の正しさ?の


自己満足に浸っていた。


のうのうと。


悔しかった


悲しかった。


まるで、私を家来かのように扱う


バカ殿様のようだった。





薬を飲みたくない理由を聞いて


言葉にしたものに関しては


その苦痛を思いやり


改善する為に工夫を重ね、


サポートも構築した。


でも、父は隠れて嘘をついて


捨てる事に励んだ

(本人は調節しているというでしょうが。)




半分ボケた老人が


何を根拠に、


自分に合った薬の量を


探れるというのか。


どこにその確信や自信があるのか


謎だった。





多分、今まで生きてきた間の


全ての薬をそうやって


自分で調整してきたんだろう。


だって、もう


このパターンが習慣だったという事が


今回の事でハッキリ分かったから。




かかりつけ医がある時、


私だけに言った言葉が


『〇〇さんは薬を本当に飲んでるか、わかりませんよ。』 だった。


やっと理解できた。


この先生の父の扱いは、とても冷淡で


ものすごく酷いものだった。


病院に連れてゆくようになって


その先生の態度が私は苦しかった。


きっと父の自業自得だろうと思ったけれど

父も守りたくなって辛かった。



こんな扱いなのに何故、父は

病院を変わらなかったのか?不思議だったけど


多分、冷たくされても


薬に関しては、自分に都合よくコントロールできた?医者だったからだろう


先生は先生で、


父を嫌い、もう、適当にあしらおうと決めていたんだろう。


切ない。


父が、アスペルガー的に


こだわりの姿で振る舞うほどに


周りの助けてくれる人達は皆、


父から心が引いてゆく。


仕方ない・・・わかるよ。



私だって今だって手を引きたくなるもの。




どんなに手を尽くしても


肺に水が溜まって溺れかけている


苦しそうな姿を


見せられるなんて。





見たくなかったよ・・・





半年以上、手当が遅れ


負荷が取れなかった心臓は


もうきっと簡単に、戻らないよ・・・


今頃、しまったと思っても


父は、馬鹿だよ





父の悪化の始まりは


3回目のコロナワクチンだった。


断言できる。




でも、本人は、それを直視できなかった。


やっとやっと、


週刊誌にコロナワクチンの被害の記事が


載り始めて


初めて「まずいのかも?💧」と思ったようだ。


馬鹿だよ。


父には、止める助言をした人間が


周りに2人もいたのに。


何も知らずに信じて打って調子を崩した人とは


父は違う。


半分は、自業自得なんだよ。


だからこそ、多分、


余計に、認めたくないのでしょう。



私は父の自覚を待たず


以前から


ワクチンのケアは施していたけれど


切り札のイベルメクチンは薬でもあり、


騙して勝手には飲ませられないので


タイミングを図っていたのです。


父が疑いを持ち始めた時に


イベルを試すかどうか、尋ねたけど


一瞬迷ったのに「・・・いらない。」だった。




そして父が選んだことは、


コロナワクチンの後遺症についての

記事を書くようになった


某雑誌を


買わなくする事だった。


長年の愛読誌で


老人の数少ない娯楽でもあり


執拗なぐらい、買ってこいと

購入にこだわった雑誌だったのに


2雑誌買っていたのを


コロナワクチン被害の記事が載るようになった


週刊〇〇のみ、要らないと。


もう、買わなくていいと。


不安になったら


切り捨てた。


そっちか・・・と。


父らしい


父は、そういう人だった。




父だけでなく


ありがちな人間の姿かも。




でもね


違う姿をみたかった。


真っ直ぐに後悔する強さがあれば


一緒に闘えたのに。





流石に呼吸が苦しくなりすぎて


捨てていた薬を


飲まねばならなくなって




父の


『薬を捨てていてもデーターが横這いに保っていられるなら、自分の心臓ははまだ大丈夫、

きっとワクチンの後遺症などではない』


という心の拠り所は消えた





その為に


自分を試すように


薬を捨てていたんだろうな・・・



父のロジックは本当に歪んでいて


独特だった



結局、全ての助けを否定して


遠ざけていった。


何も取り組まず


自分の選択だけにこだわった


それは


★心臓の薬を捨てることと


★痛み止めの薬を過剰に飲むコト。



この2つだけ。


これに「こだわった」事だけが


父のとった対策だった。


泣けるよ


でもね


それで、心は救われていたなら


もういいよ。



私には理解し難かったけど



父の独特な心の世界なのだね





時々、本当にボケボケなので


際限なく痛み止めを飲まないように


最近、保管箱に鍵をかけたのだけど


あっという間に(謎)


鍵を解読して開けていた。


けど、開けたはいいけど閉められなくて(苦


私に発見されて


また、訪問看護さんのせいにしていたね。




暗号の数字


どうやって解読したのかな


いくつか予測を立てたけど


それらの想像をしてみたら


何だかやってきたコト全てが


馬鹿馬鹿しくなったよ。


直ぐにバレないように?か


半分だけ盗んであったり


くーーーーー💦


姑息すぎて


脱力だよ。





数日前に


あれほどやりあって


私はもう手を引くよって言ったには本気だったのに



その2日後に、またもう


盗んで飲んでた。





父はもう自分を


コントロールできないんだなって思った


病的なこだわりって


病的な繰り返しって


そういうものだ。





凸凹息子を育てる時も


同じだった


こだわりが通せないとなると


別の事柄で、


別のこだわりが


出てきちゃう💧💧💧




根本が解決出来ないと、堂々めぐり。


こだわりに付き合って


息子の中の何かが解消しないと終わらない


そういう事は


多々あった。


人より、強く、深く、こだわりが続いた。


あの時の息子を見ているよう。


全く、愛らしさは感じない


老人だけど





父は、自分で築いた城である


私達が生まれた家族の中で


自分を解放した。


この空間では自由に振る舞うと


そう決めたのでしょう。


カッチっと、そう決めてしまったのでしょう。


誰にも犯されたくない


絶対に自由でいる事ができる場所。


必死だったのでしょう



私は、


ただただ、苦しかったけど


幼くて言葉にできない苦しさが


今よりずっと


何百倍もあって


気が狂いそうだった。




今は


父の気持ちや理由も


自分のそう思う気持ちも


どちらも否定する事なく


見ることができるけど





どうしたらよかったか?と考えても


どうしたらいいか?と考えても


上手くいく方法も、要素もなく


今も、全てが必然過ぎて


運命だとしか言えないと


悟るようになった




どこにも、救いはないけれど


運命ならば。




たまに考える


この歪んだ父母を、


微かだけど、


微かな愛情をベースに


叱ることができる人間は


この世に 私しかいない。





きっと旅立つ最後まで、


駄目な時は


違うよ、と


いい加減にしなよ、と


叱るよ。



その奥の切なさも


感じながら。






あーーーーーーーーー


結局、


大きく変えられなかった。




でも、心に変化はあったよ


前と同じだとは思わない。




今日、母のお風呂の介助してみて


母は、精神的に異常だった年末から


一番まともな態度だった。


少しは伝わった?


いや、


自分の都合の良い方に


立っただけかな?


勝手な人だから。


よくわからないけれど


数日前とはうってかわった雰囲気になってた。


でももう


ぬか喜びしたくない


正直今は、母への心は閉じておきたい


信頼したくない






老人ホームの見学は始める。


すぐにごりごり押し進めてゆくのは


今は出来ないだけで。



父の病状もあるから


見極めてゆこう




でも、小康状態に持ってゆけたら


もし、それが維持できそうなら


オープンに


手放す事を


会話にもしてゆくつもり


そこに向けて


心を整理してゆくよ



前向きに


必要になったら助けてもらえる場所がある


父母も、そう思える事も


安心に繋がる時期に入ってきたはず




良い施設も


良い人との出逢いも


求めれば叶うはず


凸凹息子も紆余曲折あったけど


繋がった。


それを信じ


そこに繋げる為に。





あーーーぁ⤵︎💧💧💧


子育てと同じだな


凸凹子育て思い出す💧


保育園選び

小学校選び


中学選び

高校選び


気が抜けなかった。




デイサービスや

老人施設選びは


それらと


そっくり


凸凹老人だからね・・・