境界から見る景色

はじめましての気持ち

残された心




母の誕生日が近い


父に、「母の誕生日、◯日だけど計画ある?」


と訊ねても、


曜日と訪問介護サービスが頭の中で混乱して


「訪問看護があるから駄目だ!」という。


ないのだけどね。


呆け散らかった認識を何とか修正して


私「ババに何かしてあげたい?計画があれば手伝うよ。」


と声をかける。


そしたら


父「何か買ってあげたいわなー」と。


少し驚いた・・・


いや、意外だった。


確かに2人は


老いてからの方が、


互いの誕生日には少し、気をつかうようになっていたのは知っていた。


ちょっといつもよりグレードアップした食事をしたり・・・って感じに。


でも、贈り物を贈り合う習慣は


なかったと思う。




父、色々、思う事が出てきたのかも。


もしくは呆けて


抑圧が良い意味で抜けたのかも。




買ってあげたい気持ちが出ても


でも、もう、歩けないし


自分1人でどこにも行けない。




去年はまだ自転車に乗れていたし


食事も2人で何とか行けたけど  。




そこを鑑みて、声を掛けた。



思わぬ父からの声を、母に届けた。


母もちょっと驚いていたけど


嬉しそうだった。


私 


「2人で話し合って母は何が欲しいか、何を買ってもらうか考えておいて?それを買いに行こう!」


「その日に買えない物でもいいと思うよ。これを買ってもらう!って決めたらいいよ。それを実現させればいいんだから、本当に欲しいもの買って貰いなよ。」


と、伝える。


もしかしたら、


父から母への


最後の贈り物になるかも知れない



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私は2人を手放す、と決めてからの方が



穏やかになれた



彼らがここで過ごす最後の時間は


もうあまり残されていないのだなと


感じながら居るから。





老人施設に移行して


実家から、彼らが居なくなるという事は




肩の荷が降りて


頼る場所が増えて


ありがたい事でもあるし


楽にもなれるけれど・・・



私にとっても


1つの終焉で、


ある意味での死でもあり


何故か 寂しく思っている部分も、


(父母とは苦しい思い出が殆どを占めているのに)


あり得ないようで実は


自分の中にも微かにあるコトは、知っていた。


姉の中にも、ある事も理解できる。




できたら


ピンピンコロリで逝って欲しかったし




ずるずる配慮なく寄り掛かられて

決断ばかりを強いられるより




老人施設に繋がる時は


怒涛の流れの中で


これしかないという選択で繋がって


いって欲しかった。






でも、私達は、


そうじゃない流れのようだ。




その流れに必要なことを


私以外の誰もが、考えたり


背負わなかった事が


苦しみだった。




手放す、と決めた事で


全ての気持ちに、今ここで触れきった。


そしたら



今が一期一会。


不思議な程、穏やかにいられる。



この変化は必然だよな、とも知っている




触れ切る事ができるか


触れ切れていないか、の差。



その差が、生み出すもの。



でもね


それが正解でもないし最善でもないのは知っている。


全ては無駄じゃないよなぁ、やっぱり。


怒りを感じたり


悶々とする時間も、


必要だった。

ものすごく大切な事だった。




それも、今、ここに立つとよくわかる。




ずっと波のように


こういう事の繰り返しで


こうやってゴールに向かってゆくんだ






2人を「見限る」というのではなく


前向きに手放す、という決断は




逆に、彼らが実家にいる時間を


もしかしたら、伸ばしたのかもな、とも思う。



施設の見学は、


今月は色々ありすぎて行けてないけど


これも必然のタイミングなのかも。


行ける時がBestなのだろう。




とりあえずは、目の前の事を


一つ一つ、


最善を尽くすのです