境界から見る景色

はじめましての気持ち

違和感ある老人

介護中、細切れに自分の家に戻る日々。




駐車場の前で


何やら苦戦している老人を発見


私 「お手伝いしましょうか?」


老人 「すみません すみません」


みると手押し車の椅子に座っていて


その車輪がアスファルトの溝にハマっていた。


車輪を出してあげて、様子を見たら


手押し車に座ったまま、脚で道を蹴りながら

進んでいこうとする。


でも、ハァハァ息が荒い。


様子からそんなに遠くない家かと思って


「お家までお手伝いしましょうか?」と声をかけて手伝い始めると


最終的に脚を上げて押して貰った方が

効率が良いと老人も考えたようで


脚を宙に浮かしたところで

「お願いします!」と声がかかるように


なるほど。後ろから押してゆけと?


あうんの呼吸で理解して


「家はどこですか〜?」と聞く。


右とか真っ直ぐとか手で教えてくれるが


駐車場からは、結構遠くて💧


途中で 「まさか徘徊老人に付き合ってるだけで、このご老人は家も覚えていないんじゃないだろうか???」と


不安になった。


警察に届けるかどうか迷い始めた時に


あそこだと、一軒の家を指差した




えーーーー、


なんだか違和感


正直、老人の


錆びた手押し車も


季節にそぐわない身なりも


スリッポンから覗く浮腫んだ脚も


抱えた病や日々のケア足りなさを感じたし




全てが、滞ってしまっている老人の


哀愁を感じた。




老いて1人なら、


生活の水準がだだ下がる事は、あり得る


よっぽど先を見据えて用意をできる人以外


そういうものだし


老いの融通の利かなさやうっすらボケは


そうなる要素を後押ししか しないから。




「お父さん、お一人暮らし?」と

さり気なく聞くが返事はなかった。


まぁいいか。


家がわかるなら


地域の包括支援センターに

一報入れようかと思っていた。


歩けないのに、どうやって

こんな状況で生活できるんだろう。


この国の中には


たくさんの貧困や障害が


うっすらと包まれて


見過ごされて

見殺しにされている


目を開いてみるなら


発展途上国にあるものは


自国にも溢れていた



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お爺さんが指差した家は


タイル張りの立派な家だった


慣れた手つきで、

乱暴にインターフォンを連打した


一瞬、安堵したのは


家の佇まいから


独居老人ではないと直ぐ判断できたから


でも、その安堵も

すぐに掻き消された


出てきたのは息子さんらしき方


決して怪しい雰囲気でもなく


きちんとした身なりで

ごく普通の男性に映ったけど


でも、


老人を見つけた時と、

老人を送ってきた私を目に留めた時の


一瞬の反応、


一瞬の間に


違和感があった。




ありがとうございました、とは


軽く言われた。


でも、物凄く薄っぺらな


それ以上は口にしない


変な空気だった



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あの家と


釣り合いの取れない、老人だった。




子どもへの虐待やネグレクトは


社会問題として


取り上げられる世の中になったけど




同じように


老人への虐待やのネグレクトって


もっとたくさん、あるんだろうな。


もしかしたら、


あの老人はそれかも。



でも、まっさらな


親を選べない子どもと違って




老人の、今までの生き様が


家族をそうさせているのかも・・・


なかなか抜け出る事が出来ない


負の連鎖、


その仕組みもわかるし


それぞれの痛みがある事も知っているので


なんともやり切れない気持ちになった。



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実家には


在宅医療で繋ぎ、


看取りをするつもりで引き取った父が


なんと復活し始めていて


生かす方向へ舵を切り換え、


医療が始まった。


正直、これがいい事なのか解らないけど


私は、魂を信じていて


人は絶対に自分で旅立ちを選んでいると


思っている派なので


本人がどう言おうと


父が選んだ事なのだと思う




ただ、生かす事を


在宅で続ける事は、もう無理なので


方向性を変えて


私は淡々と、


その目標に向かっている。





死にかけた寝たきり老人


頭は


嫌と拒否する時

悪態をつく時

我をはる時は


最もはっきりしていて

呆けていない


でも、死への自覚


腹を括った悟りも諦めもなく


文句と、怒りばかりぶつけてくる


家に帰ってこれた事も、当然。


何故、家庭がある私が泊まり込んで

夜中に横にいるかも考えない


相変わらずの人だった


最初は


いつもの悪態をつけるまで


何かが回復したのだと


皆んな喜んだ



ピュアだったよ・・



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あの困っていた老人に会って


私の中で


父に対しての見方の


何かが変わった。


線引きも深くなった。




もう同情は捨ててゆく




真に




人は最後まで


自分のやり残したことの


因果を生きるのだと


知ったから


私はもう引き受けない



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ひたすら


感じる中で痛みと共に生きていると


ある時、様々な痛みを


頭で整理できる視野が降りてくる



そういう視野が、


必要のない人と


必要がない時がある。


ただ業を生きる事が、必要な時。




でも、業を生き切ったら


必ず降ってくるそれは


神様からのプレゼントで


手放すサインだ


私は性分で


持ち続けてしまっていたけれど




在宅医療に繋いで


起こってきた


血縁の情けない姿の数々は


やり切れない事だったけど



結局は 、それら全てが


私を自由にしてくれるものになった




今を精一杯過ごしながら


毎瞬、


父にも


母にも


姉にも


お別れの気持ちで過ごしている


いや、


既に、心は終わっている



彼らには


私が見えていないだけで





誰もが、可哀想ではなかったし


誰もが、精一杯だった


誰もが、自分が生きたいように生きている



期待も希望も捨て切ったら


ある意味、すっきりした



早く


望む未来に到達したい