境界から見る景色

はじめましての気持ち

善と悪のうちわけ




高校の頃


深く深く、


影響を受けたとてもユニークな同級生は

今、医師をしています。


その人が語った言葉を

今でも、時々思い出します



ある時、その人が


「良いところがたくさんあって、悪いところもたくさんある人と、

良いところが少しで、悪いところも少しの人がいたら、どっちを好きになる?」と


その人は「自分は前者。」と言い切った。


私は「後者。」と言い切った。


表現は高校生の幼さが滲んだ


拙いものでしたが


何が言いたいかは分かる気がしました。




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その人の「自分は・・・」という答えに


(なるほど・・)  と、素直に思えたのは


本当に、そのままな人だったから。



周りに心を開いていて


付き合う層が厚くて


その誰もに慕われ、信頼されて、


皆にとって、特別な人になってしまう人でした


物凄くユニークで特異な、自由人でした。




でも、答えが違っても


私の中にもリアリティがあって


揺れませんでした。




悪いところが少ない事は、


そこに到達するまで 自分を見つめた

勇気の賜物だと感じていたから。


人は良いものも悪いものも

全部持っていると思っていて


人生で全部、味わうけれど


その中で、何に引っかかって、

それに取り組む事になるか?は、

業に(運命)よるのだ・・


と、思う私は


悪いところが少ない、🟰イコール


どれほど勇気を重ねて、

悪を減らしてきたんだろうか・・・、と


それは、もしかしたら100個の勇気かもしれないのだ、と思うのでした。


良いところが少なくても???


悪いところが少ない事の意味を

重く、深く、受け止めてしまうのでした


確かに、


良いところが

たくさんあるのは魅力的かも。


でも


私は、そんなに簡単に言い切る気持ちには

なれませんでした。


そう思った事を、


その後も、ふとした時に、


よく思い出しました。




その当時、


その人が言った前者のイメージに


最も近かったのが


私にとっては 両親でした。




どんな親でも


子には色々見えてしまうから。


簡単には切り捨てられないものです



彼らは


良いものと

悪いものが


混沌としていて


ものすごく ピュアなのに

ものすごく 非情なものも


一緒に抱え生きていました。



その非情さ、黒さは


決して向き合われる事なく

解決の糸口すらなく


ずっとそこに横たわって


多分、生涯、変わらないのだと


直感的に 知るしかないという事は




物凄く、簡単じゃなくて


物凄く、しんどくて


物凄く、混沌として


分裂するか、


自分をころすか、を 


いつも迫られる場所でした。




それが、


どれほど苦しいか


知っていたから。





でも、そういう中で


どっちを好きになるか? に関しては


その時の惹かれるもの、


共鳴してしまう似たもの・・・を


持つ人だろうから


タイミングもあるし


本当は、どちらかなんて言えない、


と、思っていました。




ただね💧


そう言った、その彼も


バリバリ前者タイプだった(笑)




惹かれるものの前では


何とか、超えようとしてしまう


私の性分も


その人は見抜いていたでしょう




そうやって生きてきた私に


( これ、超えられる?)と


私に見せた世界は


また違う、特別で


一般的には


当事者として生涯出逢う事が無い方が

普通な世界でした


俺と繋がるという事は


私が享受できると思ってた可能性も

全部捨てる事だけど?と


挑んできたものを


あっさり超えてしまった私に


彼は驚いた事でしょう。


だからこそ


彼の特別になって


彼も、彼なりの方法で


私を救おうとしてくれていたと思います。




私がその人の


隠された深い「混沌」「闇」を


丸っとを受け入れられたのも


実の両親の


混沌や闇に


慣れていたからかも。



彼の混沌に出逢っても


動じなかった理由かも。




彼は、ここには書けない


混沌を生きている、特別、でした。



彼のピュアなものを前提にした


その特別さは




私の絡まった心の糸を解いていくには


必要な混沌だったと今は思います。




あの人との出逢いも


今までの自身の人生の景色や


繋がりが見えるほどに




運命だったんだな、と知ります。




人の出逢いは


必ず、繋がりあった仕組みの中で


必然で生まれるのですね。