境界から見る景色

はじめましての気持ち

弔い方




感情に流されて、


間違えそうになってたみたい




今ここに


生前の父がいると考えたなら。




魂は


旅立ったからと言って


視野が開けても


一足跳びの、進化はないと思う




なのに、私は


旅立ったからと言って


こうあって欲しかった父の幻想を持って


美化して


弔おうとしていたかも



それは、どうも違うんだな


少し奇妙な、あり得ない事が起こり


重なって



心は誘導されて


すとんと、降りてきた。



私の学びは


父が旅立ったといえど


生前やり切れなかった『線引き』なのだ。




それが


父を正しく送り出す事に


なるんだろう




父の性格は


変化を嫌い


聞く耳を持てず


繰り返してきた事を守る事に


生涯、縛られた性格だった



まさに、ここに


縛られる魂になるタイプ




旅立ったからと言って


全ての執着が一気になくなるとは


確かに思えない人だった。




美化するのではなく


でも、思いやる心を持って


上へ、上がれるように




もう手を出せない分


祈るにも


慎重に


自分の祈りの「姿勢」を


見極めるのだな。



自分に向き合わない供養は


父がここを


離れられなくなる理由に


加担してしまうって事かも



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幼少期


登園を渋った息子と、父を重ねた。


老人施設に父母が抵抗したのも、一緒だった




でも、息子へは


私が、息子を託す場所を選び、見極めた後は、



恐れや傷で


登校を嫌がる息子に


母として、心折れそうになりながらも



切ないけど


少し力を込めて


祈りを込めて


背中を押し続けた。



あそこには、


光があるよって。可能性があるよって。



それと、


四十九日後の、父への弔い方は


きっと、似ている。



区切りからは


変わらないと。



私は彼らを正しく


見放せなかった。


漬け込む隙を与えてしまった事で


実は父も母も


新しい段階に行くチャンスを


掴めなかったんだろう






私は、幻想で供養しない




祈る時は


上に父が上がれる事を


祈るのだね



お任せする神仏へ


お願いしますと


祈ろう





最も、そのニュートラルな姿勢に


自分の心を


持ってゆけるのが


「私は大丈夫だよ。成仏してね。その先導を神仏にお任せします。」と


巷に伝わる


祈り方なのだね。




そこには


色々な想いが


工夫が


ぎゅっと詰まってたんだな



なるほど


確かに


上手くできてたんだ