境界から見る景色

はじめましての気持ち

友と

久し振りに会えた友


四十九日 終わってないけど


会いたくて。




友、おすすめのベトナム料理屋さんでブランチ


今日の 友との待ち合わせは


10時半。


ゆっくり会いたくて


友はベトナム🇻🇳麺 を注文


名前忘れちゃった。美味しそう✨



私はバインミー🇻🇳


卵とコリアンダーをトッピングで増し増しに!


甘い練乳入りベトナムコーヒーとともに。


バケットは パリッふわ。歯切れが良い✨


コリアンダーの匂いも、あぁこれこれ


私は、コリアンダーが大好き。


酵母で発酵させた欧風パンであるバケットに


アジア🇻🇳が、融合している✨のが


何よりも好ましい✨




私も、日本のお惣菜➕パンで


食べるのが好きなので


バインミーに惹かれるのも道理なのでしょう。




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そして、急な誘いにも乗ってくれた


友を車に乗っけて 🚗びゅーーーっと。




私の中では ⛩と同じ


この大切な場所へ!



また、訪れることができた!と嬉しくなる。


心がさーっと広がった。


ありがたい


今日は友と一緒に来れたので


更に、嬉しかった


(案外、遠いから。)


海を越えた向こうの


お伊勢さんに、手を合わせる。




ここは、父にも観せたかった景色だった。




憎まれ口を叩きながら


日々、責任に苦しいと言いながら


心の中のぐるぐるを直視しながら


喧嘩しながら・・




なのにいつも


どうやったら車椅子で


ここに連れてこれるだろう、と考えたり




結局は


何が彼らを喜ばせるか


いつも最初に


自然に考えてしまう自分がいて




けれど


想いが返ってくる事がなくて


痛かった





もう本当に、


こんなの、終わりにしないとね





これまでの色々を 


友に聴いて貰った。




そして、


この大好きな


大切な場所で


友から贈られた言葉が


「◯◯( 私)にはね、うーん、例えばね、カステラを買って美味しく食べる時にね(父も一緒にどうぞ)っていう、・・・そういう供養が、一番良いと思う。・・後悔はないでしょ。精一杯やったんだから。



だった。




それは まさに


昨日の私のblogと通じる事だった




友の口を通して受けとった。


凄いや。




友の伝え方は


あえて


拙い、

簡単な言い方に


してくれていたと思う。


それも優しさだと思った。


大人の配慮だと思った。




そして、


私が誰かから言って欲しかった


言葉だった




私の供養は




最後に


自己の性や業に駆られて


父に寄り添う事がなかった


姉や母の姿をさとってしまった父を


不憫に思い


悟らせてしまった自分を責めて




これからの父への供養さえ


自分の至らなさに集中して


差し出して


差し出して



姉と、母の、


負債さえ肩代わりする事が責のように


供養をするという


間違いを続けるところだった。




私は誰の、責任を負うつもりだったんだろう。



そんな私を見通して


気遣って



友は、



私が「楽しんで 幸せにいる時」に


父に「一緒にどうぞ」って伝えて


それを供養にしたら良いんだよ、と


伝えてくれた。




この友の言葉には


愛と


優しさが


これからの在り方への指針が


詰まっていました。




ありがとう。


友に、そう伝えた声が、震えた。



『父もどうぞ』


と、絶景を差し出した。




もう、自由になるよ




父も、迷わず


上の世界へ、行けますように。



支えてくださる何者かに(神に)


お願いしますと、祈るよ




父がここにいなくなったからこそ


慎重に、


祈る姿勢は


間違わないように


いなければいけない事を感じました。



今日、友から貰った言葉は


神さまからの贈り物のように感じました。



若くして父親を亡くした友が


私に繋げてくれた、


大切なことなのでしょう。



手元供養でお骨を貰おうと思っていました。


小さな美しい骨壺も買ってありました。


でも、


やめようと決めました。



手元にある事で


祈りの姿勢を保てなくなる


前に進めるように


やめようと決めた



心は届くはず


日々、


祈るから