境界から見る景色

はじめましての気持ち

天邪鬼の幸い




天邪鬼、


マイノリティだと自分でも思うから


多くの人が使う方法は


役立たない事が多くても


仕方ないと思ってきました。




その想いは


凸凹子育てには役立ったし




自分を、もう一度育て直す意味でも


役立ってきたと思います。



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簡単に手に入る場所にある


心を扱う情報は、


ポジティブ派、が多いし強いですね




私も


脳科学でもこうだ、と言い切られたりすると


やってみよう〜と、素直に想う派です。




でも、私は 


なんか・・・うまくいきませんでした。


うまくいく人もいると思うし


それで うまくいった方が幸せなのだから


その人達は それで良いのです。




でも、私は・・・駄目でした。



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私の方法は


誰にもお勧めできないけれど


ただ「ネガティブさを扱う」ものでした。



今ここに、居続けて


自分に嘘をつく事を、やめていったら


自然とそうなりました。




流れ、でした。




己を信じる旅なのだから


誰かが提唱する何かより


自分を信じる勇気を出しました。





始まりの違いが


そこには あるのかも。




完全に


自分を否定したところから


復活してきた経緯がありました。




私は害悪で、(無価値、より深かった)


この世に必要ない、という


死の隣にいたところから始まったから。




私は、私に向ける


最もネガティブな想いを


持ちました。



綱渡りで


たまたま、繋がった命でした。




それ以上の


自分が自分に与えるネガティブさは


もう、ないのだから。




自分を殺めようと想う心は


きっと


誰かを殺めたい心と同じです。






でも、それは


悪ではなかった。


ただ、それぐらい 苦しかった ・・って


事でした




その苦しさを


もう一度、手にとって


肯定する旅の始まりでした。




底を覗いて苦しんでいるのとは 


多分、少し違って


底まで 身体ごと降りてしまった人間は


もしかしたら


復活への道のりが、違うのかも。




決して、


なかった事にして


きれいなもので包んで


終わりにはできない事を


ただ、感じてきました。




魂が、教えてくれていたんだなと


今では思います。





底の底から、自覚して始まった旅にも


幸いは、ありました。


そこにも、


救いはありました。



ポジティブな方法が役に立たなくても


生きる道はある。


回復してゆける。


底に沈んだからこその道、


それを強みに、

幸いに、


変える、道のりがある。



もし、


私がポジティブな方法を


役立てる事が出来るとしたら



やっと、


ここから、なのかも知れません。



でも・・・




多分、やり方は変えません


必要が、もうないから。



流れに任せればいいと


信じられるから



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悲しさや


怒りや


恨みや


呪い



初めて、自分のものとして向き合って


全身全霊で味わう事は


怖くて苦しい事でした。




もちろん、


向き合うという姿勢には慣れても


味わう事の苦しみが減るわけではなく


いつも 真剣でした



ただ、



これだけは はっきり言えます



本当に


きっちり向き合えた「負」、


ネガティブな想いは



必ずそれと同じ深さの「善」

同じ深さの「ポジティブさ」を


浮かび上がらせてくれます。


自分のものに出来るのです。



だからこそ、


やってくる負に


向き合ってこられました。




脳は、報酬がないと


病んでしまうらしいですが


そういう意味で、


きっちり報酬を


受け取るロジックに


私も生きていました。




これは法則なのだと思います。



きっと


どこかに同じような人もいると思うから


エールを込めて書きます。





心理学的には理解されていることだけど


でも、学問だから一般には壁がある


彼らは、無責任に促す事もしない。




それに、


無意識で恐れているのだから


そんなネガティブを味わってゆく方法に


惹かれない


触れる気すらしない


それが 普通です。



でも、


私が通った道も




回復への


脳のロジックであり


魂の仕様だと思っています。





ネガティブさを扱う事は


実は、ポジティブな面をも


同時に、掘り起こしている作業なので




無駄ではないし


価値があることなのだと


私は心の底から


実感しています。





他者のネガティブさを


打ち明けられて聴く機会が有る時、


私は大切に扱います。




とにかく、



誰かが示した道でなくても


道はある




自分しか辿れない回復の道が


きっと、ある。




そう、思います。



それに最も重要な事は



ピピっと自分の中に響く「感覚」


だと思います。




そこから全てが始まって


繋がってゆくのだから。




最初はそれが


古い習慣の思考なのかもよくわからず、


間違えてばかりでしたが



勇気を出して


今にいて


自分らしくいられたら



感覚にも


素直に


シンプルに付き合えるように


なってゆくものでした。