境界から見る景色

はじめましての気持ち

最後

もう成長してしまった息子




一緒に過ごした子どもと


最後に


手を繋いだのはいつだっけ


お風呂に一緒に入ったのはいつだっけ


公園に一緒に行ったのはいつだっけ



続く関係の中に


最後が潜んでいた




最後に、


抱っこをした日だけは


覚えている



いくつもの最後を意識したある日、


寂しくて


寂しくて


小学〇〇生になってから


「ねぇ、いつ最後に抱っこしたっけ?

ちょっと抱っこさせて!?」と


鏡の前で2人でふざけたように、ヨイショ!と


抱えてみたら


映った姿はもう「抱っこ」じゃなくて


抱えきれてない大きな荷物のように


でろん、となってて


映った姿に、2人で笑いあった。



私達は、よく くっついていた。



長い間、手も繋いでいたと思う。


小学生になってからは


手は繋がず


肩を組むようになった。


背の小さい息子の肩に、


私は手を回して置くのです。


ちょうど良く、しっくりきたスタイルでした。


だけど、身長が伸びてきて


回す腕の角度が


カップルの高低差ある肩の組み方から


よう兄弟!、みたいな


角度になってしまって(笑)


諦めるしかなくなり


くっついている事ができなくなった。



子育ても、お別れの連続なんだな。



ちょうど二次性徴の直前、


私は何かを察知して


「4歳の頃の息子にもう一度会いたい病」


になっていて


息子に訴えては


「そう言われましても・・・」


と困らせた。



それでも、


それも落ち着いた。



成長なのだから。



父の死も


魂や生まれ変わりを


信じている私なら



成長と思い切ってゆけるかな



まだ、


もう一度だけでも


一瞬でも


生きている父に会いたくなる




最後だと知っていたら。


あれを、最後にしなかった。


したくなかった。



49日前


祭壇の前で母に、


「生きてる父にもう一回だけでも会いたいってふっと思う。母はならない?」と


何気なく会話をしたら


豆鉄砲を食らったような

キョトンとした顔をして


迷いなく「ならないわ。」と。


あぁ、これ本心だ・・


直感で


嘘がつけなかった母を、察知した。


こういう時、母は嘘がつけない


狡い嘘、自己保身の嘘は


平気でつけるけど


優しい嘘とは、無縁な人だから。




父の祭壇の前で


こんな事を、訊いてしまって


母を好きだった父に


こんなやり取りを聞かせてしまって


申し訳なく思った。




涙声で「私は会いたいって思うよ。」と


呟いた。




私も父とは複雑な関係で


複雑な想いはある。


消えない傷も


悔しい想いも


許せないものも、


あり過ぎるほど、ある。



でも。



母と私の違いは何か


考えた。



その違いを


今日は、食事を一緒にした友の口から


贈ってもらった。




私に


後悔はあるけど


恥ではない理由




後悔はあるけれど


罪悪感にはならない理由



ありがとう。


贈られた言葉で癒された。





彼らと


私の違いは




もう埋まらない


埋めようとも思わない。



それぞれが


それぞれの時間の流れで


自分を看取ってゆけばいい




彼らとも


最後を、始めるのです





【今日の良き事】


友と会えた事。お礼を伝えられた事。


銀行の窓口の人がめっちゃ当たりの

良い方だった事。

仕事だとしても、心あるステキな仕事ぶりで、いい加減な仕事しかしない普通の人達にまみれて荒んだ気持ちが、潤った。

恩を忘れずにそこの銀行で口座を持とうと思ったw