境界から見る景色

はじめましての気持ち

寺に駆け込む




父の死の少し前から


きょうだいが、


母の為に、という大義名分を掲げて

(欲望がスケスケで気持ち悪かった)


母の欲・弱さにつけ込んで、


あからさまに蠢き始めた。




母も、わかっていて、きょうだいを利用した。


私と、父を 裏切り


踏み躙って。




母は、真の意味で


自分を譲った事がない。


親にもなりきれなかった人。




心揺れて、結局、


母は魂を売ってしまった。


父のターミナルに。




全部、透けて見えていたけど


あまりに父が不憫で


何とか最後に


父の希望を叶えられるように、と


私はプライドも権利も


何もかも全部捨て、


LINEを、きょうだいに、送った




本当に、その直後だった。



スマホが鳴った。


病院からだった。



そして、父は、逝ってしまった。



まるで


父が、


私を守ってくれたようだった。



何故なら


そのLINEには


私の捨て身と


愛情が


記録として残されたから。




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その後、きょうだいは


父の死が思いの外早すぎて、


策略の計画が狂った?ようで



必死に


何かを隠す為に


最低なやり方で、ジタバタした。



親と似てるなって思った。


きょうだいは


いつからか本性が前面に出るようになった。


受け継いでいたんだね。


向き合って来れなかったんだね。




親の死期すら利用するなんて


底まできてるよ。




眠れていなかったのに


本葬までの3日間、更に眠れず過ごした。


母ときょうだいと一緒の部屋で


丸っと3日間も過ごしたから。


平気で 高いびきをかいて眠る


2人の横で


何とか本葬までは、と


爆発したい心を抑えて


眠れない夜を過ごした。





旅立った直後から


信じられない事を聞かされた。


詳細は、把握しきれないまでも


2人が何かを画策していた事実だけが


目の前に横たわっていて


矛盾と言い訳が並べられて


それを信じろと


恫喝された。




ここまで孤独に耐えて


このゴールなのかと


切なかった。


でも あまりに2人のみっともない姿に


傷つく事を通り越して


心底、憤った。




本来の向き合うべき心で


父とお別れができなかった。




何週間か経って


身体の疲労がひと段落した頃


心のそれはやってきた。



あぁ、


よくここまで耐えたな


一体どうやって耐えていたのかな




やっと


もう居ないけど


死の直後の父に


向き合う時間がやってきて


泣き崩れた。



以前、探したお寺さん。


今かも?と、思い立ち


行くことにした。


どうしようもなくて。





御本尊さまにお参りをして


そこのお寺の作法で絵馬を書き


想いを燃やして帰って来た。



不思議な事に


その日から


少しだけ楽になって


ある事を、手放せた。





触れられなかった心に触れる事


しっかり直視する事


表現する事、この3つが揃って


叶うもの。



お寺さんは、


それを起こす一つの装置だった。




背筋を正して


いくつも、いくつも、書き出した想いを


仏さまの前で 


火に焚べるという儀式は、


書いた想いが


目の前で焼き尽くされるから


心の区切りになるんだろうな。




一回目、お寺にうかがった時は


ご住職さまは葬儀で 忙しそうで




私は ご迷惑にならないよう


ひっそり端っこで


粛々と、自分の事を済ませた。



帰る時に、


ご住職さまに呼び止められて「今日はバタバタしてて騒がしくてごめんなさいね。これ持って行って。」


と、


お守りを2ついただいた。


無償で。


手を差し出されて、握手。


「また、いらして下さいね。」と。


こんなご住職さまもいるんだ!って驚いた。



吹雪いていた心が温まり、


少し救われた日でした。




2度目は最近。


心が揺れたのと、


燃やし尽くしたい


新たなものが整理できて見えたから。


それをまた儀式で、支えていただいた。




終わって、帰り道


このお寺に来るのは


多分、一区切りかなと、思った。


きっと一人で、対処出来る日も近いはず。




ありがたい、出逢いでした。


ありがたい、仕組みでした。


そして、古い縛りや囚われから

自由になる選択ををしている


お寺であり、ご住職様方でした。



そこの仏さまや、御神仏は、


不思議です。


とても明るくて手入れが行き届いていて


怖くない。


美しいの。


お顔がいい。



人生で初めて、


像から、想いを馳せてしまう空気を受けず


素のままで前に立てて


心地よいと感じる像に出逢えました。


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さて、


今日は母を病院に連れてゆく。


そこは、父が亡くなった病院で


車椅子の父を 何度も連れて行った病院。



近くを通るだけでも


まだ胸は苦しいのにな。


泣けるだろうな・・・




自分達がした恥知らずな事を


母は お得意の逃避で


もう、なかった事にしようと


し始めている。






私は、一瞬でも恥を感じた母を認めたのに。



私が受けた傷も


受けた策略も




突きつけず


見守っていた。



なのに。




喉元過ぎると、直ぐ元に戻りかける。




父の死ですら、か、と


情けない・・・





せめて



心の奥にしまって、


自分の恥なのだから


自分で持ち堪えていたらいいのに




偉そうに、なかった事にして


自分は関係ない、という偽物の妄想の姿を


私に、巧妙に同意をさせようと


しなければいいのに。





母が踏み躙った人間は


父だけではないよ。


ここにも、もう一人いるのに。



カウントに入っていない事も、いつもの事。


それも脇によけて


見守っていたのに。



何故、私が


なかった事に出来ると思うのか。




何故。




その「いつも」の狡さを


その「いつもの」醜さを




許す気になどならなくて


突きつけた。


私はもう自分を、ゴミ箱にはさせない。



『 黙って自分の心に向き合っているならば突きつけなかった。


それは私の愛情だったのに。


全部、何があったか


もう一度、真実を言おうか?



何故、私に歪ませて背負わせようと


そんな事が出来るの?


信じられない。



あなたはどんどん呆けて、自分達がした事も


忘れていけるかも知れない。


けれど


私は生涯、忘れられない。


絶対に、あなた達がした事は 生涯忘れない。



今だって、普通に接しているけれど


甘えないで。


自分だけが辛いと思わないで。


私は、あなた達から


謝罪があるわけでもない中で、


毎日、まだ 思い出してどこかで泣いてるし


あなた達に あの時された事を思えば


手も足も震えてきて、苦しい。


でも、一人でどうにかしようと


必死でやってる


寺に駆け込みながらでも、やってる。



母が恥を感じたのなら


誰かのせいにして逃げるのは、違うんだよ。


それは 恥知らずのする事!!!




父が最後に見せた姿じゃない。


真逆だよ。


それで本当にいいの?




後悔や恥を感じたなら


ごめんなさいって思って


人に優しくなるんだよ。


強くなるんだよ。


恥ずかしい事をしたって認めて、


ただ、「もうやめよう」って思うんだよ。


さっき私にしたような事を


やめるって事だよ。




そしたら父の死だって無駄にならない。


母が、父の死で変わるなら、


凄い事なんだよ。


物凄い、事なんだよ。』




本当に、こんな事を言いました。




その間、母はジタバタして


私を傷つけ、踏み躙る言葉を


たくさん たくさん 吐いたけれど




最後の


父の死が無駄になる、に


やっと言葉を止めました。


じっと考えていました・・・






母の酷い言葉に


苦しくて巻き込まれそうになりながら


私も耐えました。




耐えて、伝えたい事は


伝えられたなと思います。


母にも、半分は届いた気がしました。



これも私にとって


終わりの始まりの一つです。




母はまだ、きょうだいよりは


可能性は、あるのかも。




きょうだいは、多分、


死ぬまでに自分のした事をみてゆけるか


ギリギリぐらいでしょう。


人は、一足飛びには変われない。


弱ったり大きな衝撃がない限りは。


大体、読める未来です。



それぞれが自分で看取ってゆく人生だけど


関わりがあるうちは


その関わりも、私の責務。



私は私の事をしている。


母の魂が


もう一度


恥を取り戻せる事の方が


私にとっても


望みで


自然な流れなのだから