境界から見る景色

はじめましての気持ち

世界の郷土料理



タイトルに惹かれて。


しかも、このボリュームとクオリティで

このお値段とは!


本日の即買いでした。




私は郷土料理、というジャンルが


昔から大好き。


最も、惹かれるジャンルは家庭料理ですが


郷土料理はその枠の中に属するはずですしね。





ずっと気になっている


エジプトの「コシャリ」という家庭料理も載っていました。


国民食で、ファストフードでもあるコシャリ


食材は身近なものだけど


日本人には「え???」と思う


不思議な組み合わせ✨


お米に➕マカロニ・パスタ・ひよこ豆を

塩とオイルと一緒に炊き込んだ🟰ピラフに


トマトソースを添えて


その上に必ず、フライドオニオン🧅❗️


絶対、焦がし強め☝️らしい。


それを混ぜながら食べるんだそう。


国民に とっても愛されていて


日本で集ったエジプト人が、

皆んなで一緒に作って美味しそうに食べている映像を見て


心動きました。


わくわくしているのが伝わってきて。



我が家でコシャリを作ってみた事もありますが


現地の人が作る味を食べてみたいなぁ。




家庭料理も、


海外の方が作る現地の味も


味の決め方、は


人によっても


国によっても


ちょっと違いますよね。


そこが、面白い。




私には


旨味も塩味もなく、


ただただ、超絶・薄味に感じる


豆のスープが


いやいや、これでいいの❗️

これでなければならない❗️❗️❗️・・とかね。


で、何度も味わっているうちに


豆の滋味深さをじんわり感じて


あぁなるほどね❗️美味しい❗️となったり。


彼らが大切にしている何かを共有できる事は、


家庭料理でも

郷土料理でも

海外の料理でも


面白い瞬間です。




あとは、


昔は、本で見るアジアの屋台に


もの凄ーーく、惹かれましたね。


今、屋台ってあるのかな???


何に惹かれていたかというと


自由さに。


自由な表現に。


正式な名前のない料理も、美味しいよ!って


無数に売られている事が。



今思えば、家庭料理と通じるところでした。



アジアの屋台は


国民のお台所的な存在だから?


多彩なメニューが発展したのかな。





日本は決まったメニューの中で


切磋琢磨して違いを出す傾向がありますよね。


どこに行っても


洋食屋さんのメニューはこれ

定食屋さんはこんな感じ・・・

cafeメシはこんな感じ・・・

うどん屋さんはこんな感じ・・・




それが私には、不思議でした。


ちょっと退屈でした。


何故、みんな同じメニューなんだろう?って。


まぁ国民性ですよね。


日本人は基本、


はみ出す事を嫌うし


予定調和が大好きなんですよ。


この傾向は


実は、凸凹気質でもあるんです。


日本人の気質を凸凹的にみると


アスペルガー気質☝️😆


一億・総凸凹人


そう、皆んな


一歩外から見たら、凸凹人。


例えば、欧米はADHD気質です。


もし、欧米の子どもの魂だけが

日本人の姿の子どもに乗り移ったら

多分、とても日本では苦労すると思います。


凸凹人として扱われる可能性大でしょう。



よく動画であるんです


欧米で、子が欲しがっていたペットを

親がサプライズで贈る動画なんですが


欧米の小さな子達がペットを家で見つけて

感極まって一瞬で泣き出すの・・・


でも、これは


文化の違いじゃないなぁと思います


脳の違いなんですよ。


欧米で生き辛い子の中には

日本が生きやすい子もいるかも


その逆も、然り。


もちろん凸凹のタイプによるけどね。




環境でジャッジが変わる凸凹ゾーン


あるあるです。


・・とか、バラしてみたり。





あ、話が食べ物からそれちゃった💦


今日のお昼ご飯は


家で簡単ランチでした。


全く気負いなく


良い加減な一皿だけど、これが好き。


お皿に


❶朝の残りの菜葉入り煎り卵

❷人参・玉葱・レタスのサラダ(タッパーから)

❸ご飯ちょこっと

❹朝の残りの舞茸と葱の赤出汁



サラダにマヨネーズくるくる〜ってかけて


マヨ付きの大き目のレタスの葉っぱで

煎り卵と➕ご飯をくるん♬と巻いて


ぱくり✨


お皿の上で


サラダ巻き作ってるようなもんだよね。


合間に


ちゃんとお出汁をとった赤だしのお味噌汁を


こくり✨


幸せ・・・と思う。




父も最後、


「高級なものは要らない。お茶が飲みたい」


家に帰って来てからは


「おにぎりと、御味噌汁」


とも言ってた。




食べたくても食べられない


飲めない父は


時々、夢うつつ幻視の中で


何かを食べていた。


手と口が動いていた。


良かったね・・・


せめて、


せめて


夢の中だけでも


食べたいものを食べられるように、と


起こさないように見守った。


夢でも良いからと


切なく思った。





今日もお家ご飯、


食べられるって ありがたい。




家族と食卓を囲める時が尊い








家庭料理にも


郷土料理にも




そういうものが一杯詰まっている。





伝えられる一皿、一椀の背景には


たくさんの想いと


歴史があるんだ。