境界から見る景色

はじめましての気持ち

徒然な日々を




父が旅立ってしまった去年


おめでとう、との言葉はないけれど


神さまの憑代だという鏡餅は

一番小さなものを買って置いた。


お節はお祝いじゃなく

休息を取る為の習慣かな?と思ったけど


お節はやめて、


お雑煮と


普段、お正月に食べるものを、少し作って・・

お皿にちょこちょこ盛った。


心の中で


父もどうぞ、と声をかけた。


父は母と姉夫婦と旅行に行っている。

位牌でね。


父を忘れて行っていないか気になって

年末夜の実家に行った。


忘れられて残っていたら切なすぎる

私が引き上げてこようと思ったけれど


仏壇に位牌はなかった。


良かった。


一緒に連れて行ってもらえたね。





いろいろな事を感じ考えた、年末年始でした。



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助けていただいた占い師さんには


ギリギリ、滑り込みで会えて


感謝を伝えられました!




ただ、私が挨拶する時間も、


彼女の稼ぎ時な訳だから、と気を使って


ぎゅっと気持ち込め、小さな手土産渡して、

一瞬で!立ち去ろうとしたら、


座って座って!と引き留められました。


じゃ、料金を払って観ていただく時間にしようと、「観てください」と申し出たけれど


最近しっかり占ってるのだから、もう今日はやめておいて「また今度来てくれたらいいから」と、言ってくださって・・・💦


鑑定2枠分もの時間を、お話しだけして帰ってきました💦


そこで


心に刻もうと思う言葉を


また、いただきました。


『私はあなたの相を絶対の凶相だとは思わないわよ。あなたには実感は受け取れないかも知れないけれど、あなたがいる事で、とても救われている人が、何人も周りに居るはずなのよ。そういう相なのよ。』と


泣けそうでしたが


今日はお礼に来たのだから!と、

ぐっと堪えました。




言い方一つなんだろうな。




この、占い師さんの言葉の意味を


私はいろんな角度から


見えています。


知っているはずでした。


でも、


嬉しかった。


力をもらいました。




最も、恩恵を与えたはずの人達からは


ありがとうも

ごめんなさいも


ない人生です。


それでも、


これが現実だったのだから。




心に収めてゆく「視点」と「寄り添い」が


今の私には、必要でした。




その役目をして下さって、ありがとう。


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この言葉を受けて


また、一つ


超える 


視点と心 が生まれました。



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父のターミナルの時に


姉と母が裏切りに動いた事で




大切な事もタイムリーに処理できず、


滞り


苦悩し、


いい加減、堪忍袋が切れかかって


苛立った私を




策略に勘付かれて居心地が悪い、姉と母が


保身で


父に


〇〇(私が)勝手に妄想しているのだと吹き込み


「〇〇(私)は誤解している。」と


言葉もやっとやっとの父に、


言わせた事。



その言葉を


何を伝えたいのだろう?と


必死に聞き取ろうと


父の口元に顔を寄せ聞き取った自分が、


バカみたいで


切なくて




私には


大きな大きな、


生涯、消えない傷になったのですが


(何故なら、1ミリの誤解もなく、私が予想したより遥かに上回る屑っぷりが、父の死後直後からボロボロと露呈したから。)



その


身体が震えるほどの


悲しく孤独に感じた


父の最後の言葉を受けても




私は、


私が知っている、姉と母の真実は


言わなかった。


死にゆく父に、言えなかった。




私は言わないと、


姉も母も知っていたのですよ。


私は、そんな事は出来ないから。


そうやって私の中の善は


いつも利用されてきた。




あんな時まで、つけ込むとは


思っていなかった。



深い絶望と悲しみを、


やっとの思いで崩れ落ちないよう


怒りで包んで


病室を出るしかなかった。





あの瞬間を思い出すたびに


涙が出て


身体が震えて


どうしたらいいかわからなかった時期がある




でも、少しずつ


その自分を看取っていった。





自分の傷を


脇によけて


あの瞬間を観るならば






自分の至らなさを


突きつけられる気がする


真っ直ぐな私より



父が愛したのは


甘ったるい口調で


口先八丁な俳優のように


割り切って親に取り入った人生を送った


屑になってしまった姉だったろう




例え、そこにあるものが


私には幻想でしかないと解っていても




自分を振り返ったり


反省ができない父には、


居心地良く


信じたかった幻想家族で、娘だったはず。




母も、そうだったでしょう。




端的に言えば


私より愛した???


家族だったのだから・・・。




その家族が


裏切っていた事を知って


受け入れるしか無くなって


絶望と悲しみの中で


旅立つより




私が誤解しているだけだと


母や姉の「嘘の言葉」を信じて




いつものように


私とは向き合わず、


私をゴミ箱にして




そのまま逝くほうが




父も幸せだったろう、




そう思う自分がいるのを


見つけられた。




もう時間がない最後の時に


私が父にしてあげられる事が


私がゴミ箱にされる事だった。




だから


私はあの時、


真実を飲み込んで、言葉にしないで


黙って、病室を出たのだから。




あの時の、


その自分に


もう一度触れる事ができて


涙が溢れた。




それでよかった。


そうするしかなかった。


心から、父を想って耐えたのだから。


それでもその後も


父の願いを叶えるために


全部を手放そうとしたのだから。




そこに触れきって


私は、救われた。






触れられなかったのです。


痛すぎて。


あのシーンに戻れなかった。




誰からも


ありがとうも


ごめんねも


無いけれど




私が知っていたらいい。




私があの時


ゴミ箱役になって


守ったものを。


救ったものを。





そして、


彼らが犯した罪なのだと


心からはっきりと、線引きをした。



いつもうやむやにされて、背負ってきたものは


もう、背負わない。


私はもう、背負わないと決められた。




腑に落とせるように、


寄り添って下さった方々に


心から感謝です。





良いタイミングで


言葉を下さった占い師さんは


逢うべくして出逢った方なのだと思います。





私が彼女に感謝を伝えたら


「きっと私も救われているのよ。」と


サラッと言われました。



そう。



その仕組みに


全ての人が生きていると、私も思ってる。




でも、


それでも、感謝をするの。




私の役割が


私のターンが、


巡ってきたのだと、知って。