境界から見る景色

はじめましての気持ち

発達障害とカテゴライズする意味

発達の凸凹があるよ、と


カテゴライズする意味とメリットは


人によって それぞれ。


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私が凸凹息子にそうしたのは、


日本の教育と


日本人の意地悪さ、無知から


守りたかったから。




凸凹でも息子はグレーゾーンだとは


分かっていたけど


グレーゾーンだからこそ、


より無理解に繋がるのも理解できたから。



ちなみに



インターナショナルスクールに

通うようになって


発達凸凹のカテゴライズ(診断)を

切り札の様に、使う必要がありませんでした


違いを


ただありのまま、受け入れて貰えたから


問題が何か発生しても


普通に、交渉していただけで


学校側に、


どうしても伝わらないもどかしさや、

理不尽なものを感じる事は


ほぼ、ありませんでした。


人間らしく


親も子も、居られて


カテゴライズは要りませんでした。


【注意⚠️】


息子が繋がったインターは、

第二言語が英語で、母国語を持つ子ども達の為のインターだったので


アメリカ・イギリス・オーストラリア・ニュージーランドなど、英語が第一言語の系統の子供たちは入学できませんでした。


母国語の子ども達がいなかったんです。(フィリピンはいたかな???)



このインターの存在の仕方は

奇跡を生んでいたし、幸運だったのです。




子どもたちは、それぞれの国の文化を背負っていて、違う事が当たり前で、


お互いを理解しようという土壌が育ちました。


「これは人としてダメだ」という事以外は


皆が寛容で、


それがうまく循環していた場所でした。




どの国もきっと日本と同じ村意識問題があります。アメリカだって強い。


母国で過ごしていては、培われなかった感覚を、子ども達は獲得していました。


分かりあおうと、自然にしていて

仲が良かった。


その子達のピュアさ、可愛さが大好きでした。


真のグローバル化ってこういう姿かもと

難しい問題なのに


子ども達の中には光を見ました。


普通のインターでは


もしかしたら得られなかった事かも知れません


その理由も今はよくわかります。


なので、インターは全て同じでは無いという戒め、誤解を避ける為に書きおきます

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最近はやたらめったら何でも


『発達じゃね?』と


子どもだけでなく、大人同士でも


ジャッジされるようになるぐらい




発達の凸凹についての


薄っぺらい知識は


世に知れ渡ってきているよう・・・




でもやっぱり、


日本人にありがちな空気・・・



心が透けてる。



凸凹がない人なんて


実は、いないのに。


じゃね?って言ってるアンタも


凸凹だけど?




『自分にも凸凹があるんだな〜』という


共感が育つのではなく


理解が生まれるのでもなく



蔑んだり 


からかって否定する事に


利用されている。



「違い」に対して


自覚や理解が進まない。



本当、村社会だわ。



日本で、いつか共感にまで達する事は


可能なのかな?




簡単に飼い慣らされる羊な日本人・・・


違う事を恐れ、

はみ出る事を心底恐れる日本人は、


ざっくり言えば


一億総、アスペルガー



日本人も、国民的に癒されなきゃいけない傷が


あるんだろうな。



世界中の人々が、


国として背負った凸凹があり


個人として背負っている凸凹が



絶対にある。



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私は、


凸凹は超えられる、と


思っている派です。


それが発達の凸凹と診断されるものでも。


何故なら、


発達障害🟰深いDNAレベルの傷


そう解釈しているから。


可能性を捨てられない。




それがどう起こったかは


人によって様々な理由があるはずですが。




でも、一つごちゃ混ぜにしたくないのは


私の視野は


通常レベルにIQがある発達障害


それが前提。


理由は、ただ、私にはわからない世界だし


IQが一定以下の子に


親が過剰に求めたり、信じたりは


実は親の逃避である事が多いから


それは違うなと思うから。


なので、私の書くことを

IQの満たない子には

当てはめないで欲しいと思います


差別ではなく


区別なのです。


子の、ありのままの幸せを願うなら


まるッと受け入れ、

助けを引き寄せて、

全力で守り、


その子が笑顔でいられる時が増えるよう

生活を構築する事の方が重要だろうから。



でも、


少し前の(今もそう信じている人もいるだろうけど)見解では


★発達障害は治らない


★IQは変わらない


そう言われてきた見解を、私は、そうは思っていません。


事実、クリアしてゆくものを見てきました。


IQも上がってゆく人がいることも

多くは無いけれど、リアルに聞きました。


でも、


どうやってクリアできるか、

絶対の法則化はできていないから



苦しければ


もしくは、失敗する事が怖ければ



凸凹は超えられない、という見解を

親が自分の心に採用してゆくのです。




それが良いか悪いかの話ではありません。


何が嘘か真実かの話でもなく


どう選択しているか?の構造のお話です。



超えていけるかどうかは、確かに保証はない



ただ、


傷が見えたら


癒したいなと 私は思います。



今は理解できないものを

障害とカテゴライズして終わるより


自分から繋がって生まれた命なのだから。


必ず、自分の傷のかけらが子の中に見えるはず。


そこを、共感で埋めてゆく作業でした。


ただ、コツコツと。


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凸凹息子を育てた体験を

お話しして貰えませんか?という


お声がけをいただきました。


旦那は乗り気ではなく


私に話が回ってきました。


うーーーーん


悩んで、悩んで


やめました。




私達は専門家ではなく


聴きに来ている層に合わせたお話は出来ません


体験を語るだけです。


でも、依頼された講演は


対象の子どもは、もう育ってしまった

18才以上の子どもで


なおかつ


これから親が取り組み直す、というより


親は手を離すことを選び、

信頼した人に託す道の上にいて


その子達を預かる人からの依頼だったから。



私達の体験の話が、

今のタイミングで生きるとも思えず。



正解不正解の世界ではなくて



マッチング

タイミング


物凄く大事です。



私達は、可能性はどこにもあると思っているので


その仕組みもわくわくするし


そこにつながる中にも


そこを立ち上げた人の

熱意と、誠意と、愛情が有れば


子ども達が伸びる可能性や光は

あると思っています。


何が立ち現れるか興味深く見守っています。



だからこそ


邪魔しないように


ご辞退させていただきました。


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