境界から見る景色

はじめましての気持ち

大きな具

母の作った焼き飯。


クマさんの絵皿は🧸昔〜っからある。


陶芸も趣味で、


いいお皿もたくさん持っているのに


日常で繰り返し使われて愛されているのは、

何故か、こういうお皿

料理と買い物(通販)は、


呆けた母の、唯一残った、


遊びであり、創造的活動。


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大ぶりにザクザク切ったキャベツと🥕人参と玉ねぎとピーマン🫑を


フライパン一杯に炒めていて


麺か、ビーフンと合わせるのかな???と、


見守っていたら


出来上がったのは『焼きめし』👀❗️


確かに、老いて細かく野菜を切ることは難しい


でも、多分これは


焼き飯用の 野菜の切り方を忘れたか


もしくは野菜を洗って切っている間に


自分が何を作っているのか、忘れたんだと思う。


とにかく、母が作った


初めてみるビジュアルの『焼きめし』だった


名付けて『野菜ざっくざくな焼きめし』


なんか、ちょっとアジアンチック???




でも、これが、美味しかった✨




私 『あ!美味しい。野菜って大きいままでも良いんだね。目から鱗!初体験。・・・これから、こうしようかな。楽だし。』


『そうよ〜(すました様子で)  野菜の素材の味が残るでしょう?』


と、


まるで意図して作ったかのように (苦笑)


母はこういう時、


「まぁ、本当、そうね。」と、言えない人。





でも、確かに。



しっかり油で火を通して←ここがキモ


柔らか〜く、甘くなった


大ぶりの野菜達は、


それぞれの風味が心地良くて


お米が刻んだ野菜にまみれず


独立してキラキラに炒められていて👍


米好きな私的にはわくわく💕


具材の部分を口に運び、

次に、独立したお米の部分を


調整しながら口に運ぶ


日本人お得意の食べ方『口腔内調理』(笑)で


美味しい焼き飯だった


具材と一体になりきっていない焼きめし』


の美味しさを、発見した✨


しかも、刻む手間が省けて、楽!なレシピ!



塩胡椒だけなのに


母の焼き飯は、美味しい。




海老とか、ケチってないからかな。


私が作ると、


なかなか、味が決まらない。


カレーと


焼きめしは


母の方が、美味しい。



『ザクザク野菜の焼きめし』は


今後、思い出しては作り続ける


母の味、になった気がした。



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数日前、冷凍庫の片付けをした。


冷凍庫から、30リットルのゴミ袋1つ分の

食材を捨てた。ずっしり。


重いから、


自分の家に持って帰ってきて、捨てた。



実家の親は


老いたから、ではなく


元々『片付けられない』2人だった。


一度、戸建ての家から


今のマンションに住み替えていて、


理由は、老後の為にとは言っていたが


一杯一杯になって、逃げたのだ。


片付ける事から。


それも自分達の決断と財で出来るのだったら、


一つの選択で方法だと思ったが。


ならば、


動けなくなる前に、もう一回


【介護付き住宅】へ住み替えて欲しかった。


それが今まで


自分達が、選択してきた全ての事へ


最後の責任を取る機会だったのに



恥を、


呆ける事、病む事で


誤魔化した。



その選択も、いつもの事だったけど。



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実家のカオスな空間の


後始末をするたびに


苦しく、複雑な感情が湧いていた




でも、介護が始まった5年前〜最近を思えば





ほんの最近からだけど


心は、随分、楽になれた。



雲泥の差で、


淡々といられる。


揺れても


あるゾーンに


心が陥らないよう調整する。



それが出来る、という事が


嬉しい。




彼らの佇まい、

カオスが詰まった生活の端々に


苦しみを引き起こした


彼らの心の在りよう、業、を


物からも、カオスからも

ありありと感じてしまう


それも感性だから


仕方ない


ただ、丸っと包み込めない自分も


関係の歪みがあるのだから

(その責は自分だけが背負うものでは、ないのだから)


仕方ない事で。






全部、今のままでも、


解放されたかった。



彼らは老いただけで

今も何も変わらないけれど



私には変化がやってきた



まだ、それが何かは、うまく書けない。


何故そうなれたのかも、いくつか分析はしているが、よく分からない。


なんだろう。


あえて書くなら


やっと、


自分の心の


奥の方に押し込まれていたものを


見つけて向き合ってあげられた、


そんな感じ


見つけては、感じて


手放し方も分からず苦しんだけど


それも必要だった。




何がどう起こったか、今は評価できないけれど




ただ、一つ言えることは


感じることを止めない、という一点で


今がある



これだけは


ずっと意識している選択なのです。





きっと数年後に、


繋がりが


みえるんだろう





1ミリも自信がなく



自分を病ませて逃げそうだった。



でも、持ち堪えられるかも・・・という


予感が生まれた。



まだまだ


揺れるだろうし( 実際そうだし)


苦しい日もあるだろうけれど・・・